(10)11月27日AM06:34

 目覚ましの音が煩い。そして寒い。いつも通りの朝。暖かな布団の誘惑に毎度負けそうになるも、またあの嫌な金切り声で怒鳴られては1日の始まりが台なしである。もぞもぞと抵抗するのも諦め、ベッドから這い出た。

 制服に着替え、階段を降りる。洗面所へと向かう途中、リビングがやけに静かだと思った。まだ昨日の事で母親の怒りが収まっておらず、もしかしたら朝ご飯抜きかも知れない。取り敢えず身支度を整えてから、恐る恐る、いや、嫌々、リビングの扉を開いた。

 案の定、ダイニングテーブルの上には何もなかった。

 

「……お母さん?」

 返事はない。

「…………お父さん?」

 返事はない。

 嫌な予感がした。考えるよりも早く体が動いた。家中を探し回る。ああ、昨日、おまじないで何を願ったっけ? いや、おまじないはただのおまじないだと、昨日のアレはただの気晴らしでしかないと、

 外へ飛び出す。この時間帯ならば犬の散歩をしている老人や通勤中のサラリーマン、朝練に向かう学生だって、ちらほら見える筈ーーなのに、

 街は静まり返っていた。鳥の鳴き声すら、聞こえてこない。

「うそ、でしょ?」

 靴も履いていないのに、そのまま道路を駆け出した。誰か、誰かいる筈! そんな、おまじない如きで、人間がひとりもいなくなるなんて、そんなの、有り得ない!

 公園に差し掛かる。息が切れる。それでも忙しなくきょろきょろと左右に向けられる視界の端に、いた! 人影が見えた!

 ほら、やっぱり消えてなんかいない。今回も「たまたま」両親の姿が見えなくて、「たまたま」通行人を見掛けなかっただけなのだ。と、ちょうどそこで呼吸が苦しくて、膝に手をついて立ち止まる。安堵と共に薄汚れた白靴下が目に入った。ああ、また怒られるな、なんて思いながら、

「やあ、こんちは!」

 元気いっぱいの声が、すぐ傍でした。まだ荒い息を吐き出しながら、顔を上げる。瞬間、冷や水を浴びせられたかのように、制服の下を伝う汗が、冷たく感じた。

 数メート先に、人が立っていた。

 いや、人…なのか?

 顔があるであろう部分には、見覚えのある、あの、猫の被り物。

「やぁやぁ! 願い事は叶ったかなー?」

 それが、一歩、こちらへ近付いてくる。

 体を逸らそうとするが、足が動かない。

「何でも叶うおまじない! その対価はーー」

 また一歩、

「君の」

 また、一歩、

「ーーイノチだ」

 猫の被り物の口の部分が、ぐにゃり、といびつに開いた。ぎらぎらと尖った牙を舐め上げる、長く赤い舌。そして人間の腕の先から、大きな獣じみた手と、凄まじく伸びた鋭い爪が、

 こちらに、ぬう、と差し出されて、

「……あれー? 鬼ごっこするのー?」

 弾かれたようにきびすを返して逃げ出した。声が背中に届く。…アレは冗談でも何でもない。人間でもましてや地球上の生物でもない。本物の「なにか」だ。食べられてしまう、と本能的に悟った。よく足が動いたものだった。しかし、こうして逃げ出せたのも、もしかしたらただ遊ばれているだけなのかも知れない。

 どこへ行けば良いのかも分からない。だが、足は自然と自宅に戻っていた。玄関に駆け込み、鍵を掛ける。無意味かも知れない。でも、とにかく、早く何とかしなければ。

 汚れた靴下のまま、階段を駆け登り、自分の部屋へ滑り込む。落ち着け、考えろ、どうしたら良いか、

 ーーおまじない。そう、おまじないだ。願いを叶えるおまじない、本当に願いは叶っていたのだ。テストも恋人も、全部願ったから叶った、それだけの事だったのだ。

 そう、願ったから。

 ごくりと唾を飲み干し、震える手でノートとシャーペンを取る。願ったら、まだ、叶う?

 あの化け物を消して! 違う。ノートを2回突っつく。あの化け物を倒せる力が欲しい。違う! シャーペンをクルリと回す。全部なかった事にすればーー『11月15日に戻って』!

 ばき、とシャーペンの芯が折れた。

 がちゃり、と部屋の扉が開いた。

 ああ、もう、駄目だーー。

「……あんた、まだ着替えてなかったの?」

 母親のうんざりした声に、ハっと顔を上げる。

「やだ、何泣いてんのあんた。汚いわね。っていうか靴下! 何でそんなに汚れてるの! 部屋も砂だらけじゃない! 自分で掃除しなさいよね!」

 言うだけ言って、母親は夜食のおにぎりを机の端に置くと、さっさと部屋を出ていってしまった。その背中をぽかんと見送り、またハっとしてスマホを引っ掴む。

 11月15日、時間はーー21時17分!

 動画投稿サイトにアクセスして、例の動画を探してみた。オススメ一覧を幾らスクロールしても、…ない。検索で『願いの叶う』『おまじない』と打ってみるも、出てくるのは色とりどりの胡散臭うさんくさそうな動画ばかりで、あの白黒のサムネを見つける事はついぞ叶わなかった。

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