3 呉越同舟、鷸蚌ノ争、漁夫ノ利、虎視眈々

「ウワァァァーーーーーーッ!! ウワァァァーーーーーーッ!!」


 叫びつつ、ナガレは布団フートンから跳ね起きた。完全に出遅れたと思ったからである。何にとは、咄嗟に考えなかった。

 ふと気づいて、周囲を見渡す。脚を畳んだ電子卓袱台が壁に立てかけられた畳部屋。電子戦艦〈フェニックス〉の私室である。ナガレはここの居心地にすっかり馴染んでしまっている自分に、今更気づいた。

 

 そう言えば、ネオ・アマクニ社コロニーのシミュレータでデータ再現サキガケ・ヒカル専用〈エイジア〉を撃破して以降の記憶がない。狂喜乱舞しながら向かったのは〈グランドエイジア〉専用格納庫のはずだが……


『オハヨ・ゴザイマス、サスガ・ナガレ=サン』


 枕元の携帯通信端末インローが明滅し、〈フェニックス〉号の管制AI、通称〈マルタ〉が起きたばかりのナガレに挨拶を告げた。穏やかな成人女性の声だ。


「オハヨ、マルタ=サン」

 

 ナガレも目蓋をこすりながら応えた。マルタは〈フェニックス〉に於ける事実上の副長だ。コチョウも「彼女」を一個の人格として認めて扱ったし、他のクルーにも同様の対応を求めていた。

 

「エート、俺は何したんだっけ?」

『私は確認はしていませんが、ナガレ=サンは〈グランドエイジア〉専用格納庫内で狂喜乱舞してスタッフの方々にハイタッチをした後、昏睡状態に陥ったとのことです。前日からの疲労蓄積と睡眠不足が原因と見られます』

「ぶっ倒れてたのか」

『ハイ。今モニタリングしている心拍や体温、発汗や脳波、その他の情報を総合すると、貴男あなたの体調は極めて良好と言えます。間もなく艦長キャプテンがこの部屋に到着します』


 本当に間もなくだった。オートフスマが開き、小柄な少女S型筐体のユイ・コチョウが入室する。 

 

「起きたか。調子はどうだ、ナガレ=サン?」

「完全に眠気が消えたって感じだな。体調もいい。そういや、俺はどのくらい寝てた?」

「20時間ほどかな。今はヴァン・モンへ向かっている途中、あと1、2時間で到着、と言ったところだろう。むしろいい時間に起きたな?」

「スマン、ぶっ倒れて」

「いいさ。〈グランドエイジア〉もヤチカ=サンにシューフィットしてもらって、個現状これ以上ないと言っていい仕上がりだそうだ」


 コチョウが愛用のタブレットに、航路図を出現させた。翠色の点線ルートが〈フェニックス〉号の進路。その先に待つ鬼の髑髏めいたオブジェクトが、宇宙要塞ヴァン・モンである。

 そう、要塞攻めなのだ。これから電子海賊〈フェニックス〉はヴァン・モン攻城に加わる。


「つまり、決戦か」


 ナガレが口にする。

 

「決戦の実感が来たか、ナガレ=サン?」

「いや、いつもの出陣前と変わらない」


 悪戯っぽく確認するコチョウに対し、ナガレはそう言った。

 確かに実感が否応なく湧き上がる、などということはない。ちょっとした、熾火めいた高揚があるだけだ。いつの間にか、心拍数や体温は高まっていた。

 ただ、それだけである。調子を狂わせるようなことは何もなかった。


「つまりいつものようにやるだけ、ということか。常在戦場、平常心が最強、か。剣豪アーク・サムライの心境に辿り着いたと見えるな?」

「別にそんなんじゃない。俺は自分が強いのかすらわかってないんだ。死ぬのが怖かった。だから、必死に敵を斬ってきた。死ぬかと思ったこともある。でも生き延びられたのは、今まで運が良かっただけとも思える」

「自信は持っていいと思うがのう。それにオヌシの実力で運などと言われれば、多くのサムライたちが立つ瀬あるまいよ」


 頭ではわかっていた。しかし心の何処かで納得し難いものがあった。

 それを見透かしたようにコチョウの視線と語気が鋭くなった。


「イクサを舐めるなよ、小僧」

「……何だよいきなり」 

「運などというアヤフヤなものでイクサの結果が片付くものかよ。確かにオヌシは運が良く、だから今生きている。だがその運を引き寄せたのはオヌシの力だ。剣の技倆ワザマエだ。オヌシのカルマだ。わかるな?」

「……ああ」 

「オヌシは生きるために最善を尽くした。オヌシを生かすのにわたしも可能な限りのことをした。だから運は我らに靡いたのだ。人事を尽くして天命を待つ、などと言うが、逆を言えば最善を尽くさねば天命は下ることはないのだよ」 


 少女筐体のコチョウが一息にまくし立て、言い過ぎたと思ったのか黙り込んだ。その時ナガレは、初めてコチョウが本来の年齢通りの――正確な年齢は知らないが――女性に見えた。


「コチョウ=サン」

「何だ?」

「何かあったのか?」


 彼女は虚を衝かれた顔をした。そして、溜息をついた。


「わかるか?」

「何かに怖がっている。そう思った」

「……その通りだよ」


 わたしは怖いのだ、とコチョウは言った。


「……あれだけ欲しかった真実が、手の届く場所まで来ている。だのに、知るのが怖いのだ」

「知りたかったことなのに?」

「知りたかったことだからこそ、だ」

「コチョウ=サンも怖いことがあるのか」

「あるさ。饅頭マンジュウが怖い。熱々のお茶も怖い」


 使い古された落語ラクゴ由来のジョークに、ナガレもコチョウも苦笑した。


「その真実とやらは――ヴァン・モン要塞にあるのか、コチョウ=サン?」

「あるかも知れない。いや、そちらは確定ではないな。真実がどこに転がっているかわかったものではない。行かねばわからない――それだけは確かだな」

「ないないばかりだな」

「否定形を重ねて、人間は真実を探し、見つけてきたのだよ」

「警句みたいなことを」


 またもやナガレは苦笑しながら、タブレットの髑髏型オブジェクト――ヴァン・モンを見た。

 

 ユイ・コチョウという女が世界平和を求めて宇宙海賊になった。時を隔てて、サスガ・ナガレという男は復讐を願って電子戦艦〈フェニックス〉に身を投じた。

 目的は異なるが、向かう空間的座標は同じである。ナガレもコチョウもヴァン・モンへゆく理由が存在するのだ。イクサの炎の中へ身を投じる理由があるのだ。

 

 ストレッチなどで到着までの時間を過ごすように言い残すと、コチョウは退室した。


 残されたナガレは作務衣セイムウェアを脱ぎ、いつものイクサ装束――黒いイルカレザー製の耐圧服に袖を通し、時が来るのを待った。

 イクサの前の高揚は、消えるはずもなかった。


× × ×



「急所は掴めた」

 

 タツタ・テンリューは独りごちるように言った。その言葉に、今まで眠るように座椅子に深く腰を掛けていたタノメ大佐が反応した。

 

「ほう? 斥候ウカミ3騎、使い捨てた甲斐があるというものだな、テンリュー少佐」

「起きていらしたのですか、大佐? しかし皮肉を言わないでいただきたいな。うちの分析官は案外優秀なのですよ」


 冗談めかしてテンリューが言う。

 

 今作戦〈オペレーション・ラクシャス〉に於ける〈トヨミ・リベレイター〉の旗艦〈99マイルズベイ〉の上級士官室である。そこで作戦の考証を一人行なっていたテンリューは、だからこの老大佐の存在に大して気を払っていなかった。


「敵に緩みが見えます。下はともかく、上は逃げ腰なのですよ、既にして」

「勝てるかね? 俄仕込の、呉越同舟オン・ザ・ゴエツボートのこの陣営で?」

「それでも勝てるはずです。味方の士気は高い」

「それは、援軍が来る前にカタをつけねばならぬから、かな?」


 タノメ大佐の問いに、テンリューは応えなかった。大佐自身返答は期待していないだろう。答えは知れ切っていた。


 援軍、即ちこの作戦に本来関与しない軍団の参戦である。トクガ側ではクスノキ及びフジワラ、トヨミ側ではサトゥーマなど有象無象の軍閥。そう言った者共が〈オペレーション・ラクシャス〉の概要を知った場合、座視しているものとは到底思えない。鷸蚌の争いイツボーズ・ウォー漁夫の利ギョフズ・ゲインすべく、虎視眈々タイガーズアイで狙っているはずである。


 また、ヤギュウが温存している大公麾下艦隊やヴァキスカ艦隊が鉢合わせし、交戦する危険性をも考えられる。それではトヨミとトクガの全面戦争の始まりとなりかねない。


「故に、あと一時間で正面攻撃を仕掛けます。要塞制圧までの刻限は、明日正午と見積もって」

 

 テンリューは決断的にそう言った。タノメ大佐はただ頷いただけだった。

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