8 破壊のサムライと救出のニンジャ
〈フェニックス〉からの電子的干渉は順調に効いていた。ナガレは一度も咎められることなく、殆ど自由に基地内を闊歩出来ていた。
『右から来る』
十字路に差し掛かったところでコチョウからの通信が入る。ナガレは壁に張り付き、白衣の一群をやり過ごす。
再度歩き始める。曲がり角、足音が迫りくる。コチョウは警告しなかった。
タナカだった。いや、今はサトーと名乗っていたか。まあどうでもいいことだろう。いずれにせよこのニンジャの本名ではあるまいし、本名にはナガレは別段興味がない。タナカは悪びれる様子もなく挨拶した。
「ドーモ、サスガ・ナガレ=サン」
「……やっぱり俺の本名を知っていやがったな」
ナガレが一歩踏み出すと、タナカ=サトーは片手を上げて制止した。
「待てヤマダ=サン。話がある。聞いてくれ」
「ほう、納得できるだけの理由があればいいんだがな」
ナガレの眼は油断なく中年男の動きを探っていた。相手はニンジャ、警戒するなという方が無理だ。彼らは目的を果たすためならば何でもする。
『ナガレ=サン、短気を起こすでない。
コチョウが諫めるのに対し、わかってるよ、とナガレは口の中だけで答えた。先程の遭遇はつい怒りに任せてしまいコチョウからの叱責を受けたが、今は頭も大分冷えていた。
「君はカウヴェ・シティで起きている連続誘拐事件を知っているか?」
「ヨモギ=サンから聞いたよ」
「それなら話は早い。ここではヒト電脳を造っているのさ」
「ヒト電脳?」
訝しげに呟くとその語感の悍ましさに気づき、ナガレは顔を歪めた。
「詳しくを聴くかね?」
「――いや、いい。俺の想像したのと概ね同じだと思う」
ナガレは悪い夢でも見たかのようにかぶりを振った。ここでクエスチョン。電脳の原材料はバイオイルカの脳髄。ではヒト電脳の素材は? ――そういうことだ。
「……つまり、拉致された人たちはその『素材』ってことか」
怒りと焦りをナガレは腹の底に感じた。怒りは非道な人体実験を繰り返す者たちに対するものであり、焦りはコージローの身をあんじたからだった。
「そうだ。私の目的はその計画の阻止だよ。雇用主はタツタ・テンリューというのだがね」
「アンタの依頼者なんてどうでも――」
ナガレの反応が一瞬だけ遅れた。取るべき反応を見失って、ナガレは通常よりずっと多くまばたきをした。
「……アンタ、今なんて言った?」
真顔のタナカの眼に一瞬だけ獲物が引っかかったことを喜ぶような気配が浮かんだが、今のナガレにはどうでもよかった。
「私はタツタ・テンリューに依頼されてヒト電脳計画を阻止しにここへ来た。……タツタ・テンリューという名前に覚えがあるようだな?」
ナガレは認めた。
「――ああ。テンリューなんて名前の男は、俺が知る限り一人だけだ」
10年前、ナガレにもテンリューにも姓などというものはなかった。ナガレはただのナガレだったし、テンリューはただのテンリューだった。ミサヲもまたただのミサヲでしかなかった。そういう施設だった。
「テンリュー=サンは君のことを御存知だよ。気にかけてもいた」
それは俺もだ、とナガレは口走りかけた。
テンリューがどこまで知っていたのか、ナガレは知りたかった。テンリューのことも、そしてテンリューと共にいるであろうミサヲのことも、詳しく訊きたいと思った。
しかしナガレは踏みとどまった。今やるべきことを決して忘れたわけではなかった。ナガレに逸脱の兆候が見られれば、コチョウがすぐに釘を差しただろう。
「……俺の知りたいことを餌にして、アンタは何が欲しいんだ?」
タナカ=サトーは頷いた。
「このベースには多数の戦力が常駐している。無論、イクサ・フレームもだ。その中には〈レヴェラー〉も含まれる。それを潰して欲しい」
ナガレは少し沈黙した。コチョウが反応した。
『話を続けよ』
「手段は?」
「このルートだ」
タナカ=サトーが
「この格納庫は地上近い。この地点は一見小山にしか見えないが、カタパルトデッキが隠蔽されている。まあ、イクサ・フレームならばハッチを一撃で破壊出来るだろう」
『海にも近いな』
カウヴェ・シティ全体との地図とも整合させて、コチョウが呟くように言った。二足歩行艦艇とも呼ぶべき〈レヴェラー〉は水陸両用でもある。その格納には軍艦サイズのスペースを必要とするだろう。イクサ・フレーム格納庫に置くことは不可能だ。ということは、必然としてどこかに〈レヴェラー〉のためのスペースが存在することになる。しかしマップには記載されていない。そういう場所を、コチョウは見抜いていた。
ナガレがコチョウに代わってそれを口にすると、タナカ=サトーは頷いた。
「〈レヴェラー〉用デッキの予想配置は……このあたりだな」
コチョウの予想ともそう外れてはいないが、随分広い範囲だ。しかし壁を全部潰せばいいとナガレは結論した。
「わかった。これをブチ壊しにする。その代わりに、だ」
「何だね?」
「拉致された人たちを救出すること。確約が欲しいな」
「最善は尽くすさ」
「頼んだ」
「終わったら、また」
言い交わし、二人は別方向へ歩いてゆく。一人は破壊へ。一人は救出へ。
『ここで上へゆこう』
行き止まりの天井をコチョウが差して言った。天井に取っ手があり、引くと縦穴に簡素なラダーが連なりずっと上まで伸びているのが見えた。
ひたすら登っている最中は、何も考えなかった。やがてコチョウが言った。
『……タツタ・テンリューか』
「コチョウ=サン、知ってるのか?」
『〈トヨミ・リベレイター〉の幹部の一人だよ。若くして少佐にまでなったので、ちょっとした話題になっていたのだ。まあ養父であるタツタ伯爵の引き立てもあってのことではあるが――それにしても、彼とオヌシが知り合いだったとはな』
「幼馴染だよ。ずっと忘れたことはなかった」
ナガレがミサヲのことも語ろうとしたとき、マンホールに突き当たった。押す。光が漏れた。顔を出す。海が日光を反射し、暗がりに順応した眼が束の間眩んだ。
「ここでいいんだよな……」
周囲を警戒しながら見渡す。見張りはいないようだった。数時間ぶりの日光に眼が慣れるのを待つまでもなく、ナガレはその名を呼んだ。
「それじゃあ――来いッ! 〈グランドエイジア〉!!」
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