8 地下闘技場の裏側
充てがわれた狭い自室に置かれた安い作りのパイプベッドにたどり着くなり、カコは倒れ込んだ。デュエルの後はいつもこうだ。
列車襲撃事件(この言葉がかの事件を指す一つの単語になっていることをカコはまだ知らない)を経て、ジキセン城で救出されなかった研修生はどうなったか?
研修生たちは検品めいて見分され、彼らは集団から引き離され、バラバラになった。
肉体的にバラバラにされてる者はいないはずだ。そうに違いない。そうであって欲しい……何もそこまでされる謂れはない。そうナスノ・カコは思う。
何もわからぬままカコが放り込まれたのはこの地下闘技場だった。二、三戦ほどしてカコもわかった。ここは異常だ、ということが。
闘わされるのは子供たちだ。自分がそこにいる理由はわからないが、低身長と童顔のために飛び級進学とでも見なされたのだろうか。
子供たちと直接会話を交わしたことはない。けれど、敗北して騎体のコクピットから這いずり出てきた幼い顔のドライバーの呆然としたような表情は、忘れられるものではない。僕、何でここにいるんだろう?
ボウヤ、それはね、わたしも訊きたいよ。
それでもカコは多少の幸運に見舞われていたと言える。歴戦練磨のサムライが居並ぶような別の闘技場にでも放り込まれていたら、今よりずっと神経をすり減らすようなイクサを強いられていたに違いないからだ。子供相手ならばカコには殺さないための余裕も、殺されないための技術もある。殺さなくても何も言われていないし。
それに、勝ち続けていれば
彼女は安い合成樹脂素材のテーブルに目をやり、仮眠しようとしたところでそれを二度見した。透明なフィルムに包装された新品の書籍だ。背表紙に繊細なゴシック体で書かれたタイトルは「イクサ・フラワーズ」第十三巻。
来た!? マジで!? 眠気も疲れも一気に吹っ飛んだ。
雑誌「オハナバタケ」は老舗少女漫画誌。創刊から現在まで実力派・ヴェテラン・新人をバランスよく取り揃え、少女たちに愛読され続けてきた。
その中でもハードコア軍事ボーイズラヴカトゥーン「イクサ・フラワーズ」は五年連載され続け、今なおヤマティック少女漫画の
作者の作風の一つである濃厚な
カコもまた、キクチヨに感情移入しながら読んでいた。ボーイズラヴは受けの方に感情移入するのが基本だ。しかしウメチヨにも受け受けしいところがあって……
カコは妄想の世界へ飛んだ意識を現実へ戻す。
最後に読んだのは二ヶ月前「オハナバタケ」の本誌連載分だ。ウメチヨが宿敵タケマロをイクサ・フレームでの一騎打によって討ち果たすも、オーバーワークとオーバードーズが祟り昏倒するシーンで終わっていた(「次回、ウメチヨの運命は!?」)。
食事用の搬入口から送られたアンケートにある「欲しいもの」の欄に、退屈に飽き果てたカコが自暴自棄に記したのが「イクサ・フラワーズ」の最新第十三巻だった。それが無造作にテーブルの上に置かれていた。
勝ち続けた
カコは逸るニューロンを自制した。それからいつも「イクフラ」の新刊を読む時の儀礼めいた作法通り、背筋を伸ばし、テーブルの前に正座してフィルムを丁寧に破ると、恐る恐る最初のページを開いた。
それからカコは漫画に没入した。カコが読んでいない連載分も乗っており、実際お得だった。二百ページはあっという間だった。予想外にも程がある展開に、カコは読後しばし放心した。まさか、ユメジが……でも伏線はあったような……それ以前の巻を確認しようにも出来ないのがもどかしかった。
まあいいや。次の
カコは再びページをめくった。再び没頭した。最初は物語の激流に飲まれるように、二度目は極上の料理を味わうように。一コマ一コマ、決してゆるがせにはならない構図、ストーリー構造。実際軽い少年兵の命が散ってゆく。その中で、ウメチヨは生きるために戦う。戦って殺す。
そんなウメチヨが初めて吐き出した弱音。
『自由を賭けて戦ってたのに……結局縛られてる……一体、俺は何のためにタケマロを……』
一度は読み流したその台詞がカコの胸に突き刺さり、深々とえぐっていった。
自分は一体何をしているんだ? コミックスが読めるからって、こんな場所にずっといるつもりか? この先、ずっと? 子供たちをいじめながら?
羞恥と不安がカコのニューロンを苛み始めた。タケビ・ヒマコ先生とキクヒコ・ウメチヨに合わせる顔がなかった。
キクヒコが、ウメチヨが、ユメジが、ハユギが、登場人物たちの口から紡がれる台詞が、
『こんなものがキミの欲しかったものかよ! エ!? ウメチヨ=サンよ! そんな奴は俺らのリーダーじゃねえ!』
『いい加減にしろよ。こんな場所にいたって、お前は救われねえ』
『
『ハ! だったらずっと腐っていろ。お前の親父のように』
『君の母さんだってそんなことは望んじゃいない!』
『俺が欲しかったのは……俺が……!』
『バカ野郎が! お前は一体何がしたいんだ! 自分だってわかってるだろうが!』
『僕は……自由なキミが……!』
『俺は自由が! 明日が欲しい!!』
涙が紙面に落ちて、美しい獣めいて吼えるウメチヨの顔を濡らした。
「うぐっ……うぐっ……うう……っ、ぐ……」
しばらく、カコは涙が止まらなかった。
× × × × × × × ×
「こんなところがあったのか」
屋根の骨組の上に、ナガレとタナカはいた。
デュエルは〈バルブリガン〉と〈リザード〉。〈リザード〉の
「子供をな、闘わせているのさ」
「みたいだな」
〈リザード〉から子供が出てきた。毛も生え揃っていないような子供だった。剣の修行もロクに修めておらず、それどころかイクサ・フレームに触ることすら初めてのような子供だった。
ナガレは出来るだけ無感情に振る舞った。わずかにでも感情的になると、
まさしく許しがたかった。関係者をまとめて吊るしてカラスの餌にでもしないと、癒えそうにない怒りとトラウマだった。
タナカが声をかけた
「どうだね、そろそろ腹を割って話さないか、ヤマダ・セイヤ=サン」
「何のことだ、タナカ=サン」
「お前さん、実は
「如何にも。俺はニンジャ・ハットリ=サンの配下のウィガ・ニンジャさ」
ナガレは真面目に取り合わなかった。
電脳を失った騎体を回収用騎体が連れ去ってゆく。ドライバーごと。どこへ? それを知る術はない。
ふとナガレのニューロンに思いつくことがあった。
「なぁ、タナカ=サン、まさかアンタこそニンジャだったりしないよな――」
顔を上げる。
タナカの姿は消えている。
代わりに近づく気配。消音ブーツのために音こそ聞こえないが、確実に来ている。何本にも張り渡された鉄骨を縫って――
ナガレは己の迂闊を呪った。気づくのが遅すぎた。タナカはニンジャで、ナガレを売ったのだ。地下闘技場の運営に。
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