6 トヨミ・ミサヲの守護者

 イノノベから貸し与えられたホテルの貴賓室。

 用意されたアクセサリーを選びながら、プリンセス・ミサヲは侍女がいないのを見計らって、部屋の戸口に立ったままの彼女の親衛隊長にこう尋ねた。


「何故わたしを連れてきたの?」

「お前が退屈そうにしていたからさ」


 端正な顔に穏やかな笑みを浮かべて、タツタ・テンリューが答えた。プリンセスに対するとは思えぬ口調だが、咎める者の耳がない時、彼らは幼馴染の頃の口調に戻る。血は繋がらないが、兄と妹であった頃のように。

 サスガ・ナガレと三人であった頃のように。

 

「乗馬、弓道、薙刀、琴、茶道……客人との面会に、お前がやらなくともいいような書類への花押捺印……そんなものの繰り返しでは心も腐るだろう」

「別に腐りはしないけど……」

「だったら誰にも言わずにお忍び外出はやめてくれ。タツタの義父殿おやじどのには絞られるのは俺なんだ」

 

 彼の義父であるタツタ伯爵は旧都オールド・ミヤコの貴族であり、〈トヨミ・リベレイター〉のスポンサーだ。テンリューの優秀さは士立ハイスクール主席卒業が証明するように事実だが、若くしてプリンセスの護衛隊長に選ばれた理由は、優秀さとはまた別に存在していた。

 

 テンリューはちらりと部屋の中を見た。ミサヲと目が合う。彼女はむくれたような顔をしていた。


「そういうことで、了見してくれ」

「わかったわ。でも、どうしてこんなところに? わざわざユカイ・アイランドになんて連れてこなくたってよかったんじゃないの?」

 

 むくれ顔の次は困惑だ。子供の時分からミサヲの天真爛漫は変わらない。彼女の生まれ持った気質、あるいは美質は、どんな状況にあっても失われていなかった。

 

「ここは中立地帯だし、それに……」 

「それに?」 

「俺のカルマが囁くんだ。ここに来れば、何か面白そうなことが起こる、と」

「そうなの?」

「疑うのか?」

「疑わないわよ」


 ミサヲはテンリューがそう言う時、決して疑わない。トヨミ家はサムライの血統ではないが、彼女はカルマのもたらす功徳くどくを信じていた。テンリューという生きた事例を知るが故だ。実際、テンリューのカルマが囁きによって幸運を拾い、生命を救われた記憶もある。

 

姫様プリンセス

 

 侍女から声がかかった。それは二人が幼馴染から姫君とその家臣に戻る合図だった。

 

姫様プリンセス電気自動車オクルマご用意出来ました」

「アリガトゴザイマス。では行って参りますね、テンリュー少佐」

「存分にお楽しみを」


 こうして出かける彼女の背中を見送った。ユカイ・アイランドのショッピングモールや映画館などの娯楽施設を回ってくる手筈だ。ミサヲの顔どころかその存在は、未だヤマトには周知されていないトヨミ陣営秘中の秘である。


「テンリュー少佐、いつもより一分ほど長くイチャイチャされておられましたようですが」

「覗きとは趣味が悪い――しかしニンジャの職務ならばやむを得ないと言えるな、アヤメ=サン」


 テンリューは背後を振り返った。ヤマティック・メイド服姿のイズモ・アヤメ少尉が奥ゆかしく一礼した。アヤメはテンリューの副官であり、イズモ・クラン出身のニンジャだ。時折女官としてミサヲの側にはべる場合もある。イズモ・クランだけでなく、所属を異にした何人ものニンジャがミサヲの周囲に配置されていた。


「それで少佐はこれからどうなさいます?」

あの老人イノノベの眼をこちらに引きつけておくことにする。隠したいことは山程あるだろうからな」

 

 ほんの一呼吸の間を置いて、アヤメは言った。


「不敬ではありませんか? 殿下を利用するなどと」

「否定はしない。だが私から言わせれば、不敬なのはあの老人の方さ。トヨミ家の威光を隠れ蓑に、自らの欲望充足を優先している」


 イノノベが過激派ならば、テンリューが属するのは穏健派だ。少なくとも多くの人間がそう認識していた。そして多くの例に漏れず、過激派と穏健派は対立している。


 実際人生の九割を軍歴に捧げたこの老人は畏敬されていたが、同時に疎まれてもいた。

 危険視と言った方が正確かも知れない。トヨミからトクガ・ショーグネイションが押収・封印していた〈セブン・スピアーズ〉のデータ流出の功績はイノノベの手に帰するものだが、リベレイターのバックアップを抜きにしても彼が保有する戦力は、味方の眼にも余るものとして映っていたのだ。それほど謎のパワーソースをイノノベは持っていた。


 計画の立案はテンリュー自身による。勿論、プリンセスを盾に陰謀を暴こうなどという恐れ多い真似には批判が当然降り掛かったが、テンリューには勝算があった。ヤギュウ・クランとの秘密裏の提携である。

 地下闘技場はトヨミが黙認してきた闇だが、白日の下に曝される日が来た、ということだ。

 しかし、テンリューにとって本当の目的は実際それではない。

 尤も、ミサヲが目撃することは避ける必要があった。今はまだ、彼女が知る必要はない。知るのは全てが終わってからでいい。

 

「欲望充足、ですか?」


 アヤメが意味がわからぬように首を傾げた。テンリューが続けた。


「君は知っているか? あの老人が何故闘技場運営などというハイリスクなビズに血道を上げるのか」

「いえ、存じません」

「あの老人は、若さが妬ましいのさ。憎悪していると言っていい。若さへの渇望が転化した憎悪だ」


 テンリューはその優れたニューロンから、ある記憶を引っ張り出した。記憶は物語になって、彼の舌から滔々と紡がれてゆく。


「……元々、あの老人はイノノベ・インゾーの弟、ウンゾーだったのだ。兄のインゾーが不慮の事故で生命の危機に瀕した時、その全てを受け継ぐことを強制された。やがてインゾーは死んだ。その死は秘匿され、ウンゾーは手術を受けた。整形手術は無論、一族の血統が乗っ取られぬように、断種すらされた」


 アヤメの顔に困惑の影が深くなる。それを楽しむように、テンリューは続けた。

 

「イノノベ・ウンゾーはイノノベ・インゾーになった。やがて彼も老いた。なお明晰な頭脳だが、肉体の老化だけは止められなかった。だから後を託せる誰かに任せて引退するつもりだった。ところが、それは一向に現れなかった。『彼』の子孫は皆どいつもこいつもロクでなし、兄と弟が築いた遺産を食い潰すことしか出来ないような連中ばかり。少なくとも老人の目にはそう見えたのだろう。若さという恵まれた資産すら食い潰す子孫を、老人は憎悪した。若さ、若さ、若ささえあれば! かくて彼は若き者を憎悪するのであった――」


 殆ど一息にまくしたてるようにして語り終えると、テンリューは悪戯小僧めいた笑みを浮かべて、言った。

 

「――なんてな」


 いくらか気を飲まれたような様子だったアヤメが訊いた。


「……どこでその情報を?」


 如何にも軽々しく、テンリューが答えた。


「そう義父殿おやじどのから聞いた。言っておくが、確証はないぞ」

「了解です」

「アヤメ少尉、殿下の護衛、頼んだぞ」

「一命に変えても」


 テンリューは首肯し、自分に与えられた部屋へ行った。

 その逞しい背中を見つめながら、アヤメは口の中だけで呟いた。


「あれがラッシュモン・クランドの再来……我らの希望……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る