2 イルカの見る夢

「キューン、キューン!」


 夕さり方の湖にイルカの鳴き声が聴こえる。到るところで水揚げが行われていた。

 ナガレがバイオイルカについて思い出すのはコージローとの会話だ。


「ある意味ではイクサ・フレームは生き物だからね。ナガレ=サン、イクサ・フレームの電脳って元はバイオイルカの脳髄なの、知らない?」


 知らなかったそんなの。

 朝食に供されるシシャモがバイオカペリンだったなんて。

 

「僕の中じゃ常識だったんだけど…まあいいや。実際生物の脳は非常に優秀な媒体だよ。イチからの学習が必要だけど」


 コージローとナガレの眼が無数のタコ足ケーブルに繋がれた電脳を見る。

 電脳の本体となるユニットは鈍い銀色の金属殻によって保護されている。そう聞かされると緩い半球状の電脳殻が本当に脳味噌にしか見えなくなってくるから不思議だ。

 

「まあ圧縮加工されてるからそのまま脳味噌の形をしてる訳じゃないらしいけどね」


 どんな形なのかとナガレが尋ねる。


「肉色のボールとか聞いたことがあるな……プラスチックくらいの硬さの。あ、だからと言って電脳殻を開けちゃダメだよ」

 

 コージローとアタロウは今何をしているのだろう。あれから――列車襲撃事件から半月も経っていないのに、ハイスクールでの生活が遠い昔のように感じられる。


 ヤナーシュ・ディストリクト、シュヴァレイクほとりには巨大なイルカ像が立っている。波打つプレートを水面に見立て、イルカの尻尾の先端で自重が支えられている。ジャンプするイルカを活写した、躍動感溢れる像だ。

 プレートには「イルカ鎮魂碑」と彫刻されている。実際この像の素材は、イルカの骨を焼いて加工したものであるという。まさしくイルカの魂を慰めるためにモニュメントだ。

 

 バイオイルカは海水・淡水の両方でも生息出来るように品種改良された海棲哺乳類である。元々は食用であったが、その用途は時代が下るごとに増えていった。皮は耐圧素材、筋肉は人工筋肉、眼球は義眼の水晶体――そして脳はイクサ・フレームの電脳に加工される。また、イルカ・ブレインが分泌する脳内麻薬は生体・電子を問わぬ高級違法ドラッグとして取引される。骨も焼灼してセラミック加工する技術が確立されており、イルカの身体はおよそ捨てるところがなかった。


「キューン、キューン!」


 イルカはそのまま専用トラクターに乗せられ、作業場で文字通り生きながらにして解体される。麻酔などの処置によってイルカが感じる苦痛は最小限に留められているというが、本当にそうなのか確かめる術はない。誰もイルカになったことはないし、イルカになろうとも考えていないからだ。どの動物愛護団体でさえこの問題には本気で触れようとはしない。問題提起すらしようとしない。

 

「キューン、キューン!」

 

 ただイルカは賢い。自分の運命を理解したかのように、哀れを催す声で鳴き続けていた。僕、肉色のボールになんかなりたくないよ。キューン、キューン!


 日頃彼らにお世話になっているサムライの一人として、ナガレは鎮魂碑へ合掌し、南無阿弥陀仏ナムアミダブツの六文字聖句を唱えた。どうか彼らにニルヴァーナの安らぎがあらんことを――

 ふと、益体のない疑問がニューロンに浮かび上がる。

 銀色の電脳殻の中で、イルカたちはどんな夢を見ているのだろう?


 ×××


 やがて話を聞きに回っていたコチョウが戻ってきた。

 電気自動車で市街地へ戻る。その頃にはすっかり周囲に闇が落ちていた。

 ネオン看板が点灯し始める時刻である。イルカ・センベイやイルカ・マンジュウなどを売る土産屋や、イルカグッズ加工店が点在している。タジムやエド・ポリスのようなメガロシティの光の洪水に比べれば随分慎ましやかなものだが、十分に活気の満ちた街だ。

 

 イルカ料理でも食おう、とコチョウが提案した時、裏路地から大きな音がした。二人は覗き込む。

 

「返せッ、返せよッ!」

「小僧、テメッコラー!」

「生意気なんだよッコラー!」

 男二人が少年を殴る蹴る殴る! 男たちは体格がよく、少年は華奢だ。シツケにしてもこれでは過剰である。

 

「……児童虐待現場だのう。どうする?」

「見ちまった以上止めるしかないだろ」

 

 コチョウの囁きに、ナガレがグローブを嵌めながら応える。折角なので新調したイルカレザーのグローブだ。以前使っていた物の十倍以上の価格だが、手に非常に馴染んで実にいい。

 

 ちょうど転がっていたスチル製ゴミ箱にナガレはカラテパンチをくれる。ズガン! その音にぎょっとして男たちと少年が振り向く。

 

「やめとけって。大人が子供相手にみっともない」


 ナガレが言う。横に転がった、剣呑な眼で、拳の形状がめり込むようにして残ったゴミ箱を男が見やる。


「……サムライか。一般人カタギの喧嘩に手を出すなよ。武家諸法度違反だろ?」


 確かにサムライ専用の法典である「武家諸法度」にはサムライの理不尽な暴力を戒める項目がいくつもあるが、決して十分に有効ではない。ショーグネイションの法制はサムライに対して甘いと言わざるを得ない。

 サムライが本気になれば、カタギのヤクザ程度は数秒で片付けて証拠も残さず逃げおおせることが出来る。


「喧嘩には到底見えんがね。あと、アンタらが真っ当な一般市民カタギにも」


 男たちの視線が更に剣呑になる。シャツの首筋から刺青タトゥーが僅かに見えていた。


「うるせえッコラー!」


 男の一人が匕首アイクチを抜いた!

 と見るや、ナガレの動きは更に迅速である。足元に転がるゴミ箱をシュート! ――ガン! 顔面にクリーンヒット! 鼻血を吹いて昏倒する男!

 

「――ヒッ!?」


 相方が一撃で倒され残された男が狼狽を露わにする。ナガレはまとわりつく羽虫でも払うような仕草をした。

 

「……ブルシットどもめ、覚えてやがれ!」


 男は相方を引きずりながら逃げ出した。


 コチョウが裏路地へ入ってきた。


「根性なしのヤクザだのう

「根性を出されても困るっての」

「それもそうよな。どれ少年よ、立てるか?」


 コチョウが手を差し出す。

 少年は座ったままナガレの方を見た。


「……兄ちゃん、サムライなのかい?」

「ウン」

「……助けてくれる?」

「勿論だ」

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