4 ニューロンはまだ劣化しちゃいない

× × × ×


 日が落ちかけている。ナガレがそのことに気づいたのと、ミサヲが地に膝を着いたのは同じ頃だったろう。 

 何しろ日の出からずっと歩きづめだったのだ。身につけているのは病院患者めいた真っ更な衣服と靴。山歩きにはどうしたって向いていないし、そもそもナガレもミサヲも初めての経験だった。休憩もさほど長い時間は取っていない。

 

 大切なものと言えば、それぞれの命くらい。


 先行していたテンリューもミサヲの様子に気づきすぐに戻ってきた。テンリューはミサヲのことには鋭い。

 

「どうした?」

「ダイジョブ、転んじゃっただけ」


 ミサヲは健気に無事を装った。ナガレもしゃがみ込み、そっと靴の上からミサヲの足に触れた。

「痛い!」

 ミサヲがうめいた。


 テンリューがミサヲを見つめた。しぶしぶ靴を脱いだミサヲの足は、血豆が潰れひどい状態だった。


「無理するな」

 テンリューは自分の水筒で、傷口を洗ってゆく。テンリューは皆の兄貴分だが、殊更ミサヲには優しく、甘い。


「テンリュー、休憩する?」

 ナガレは提案する。ミサヲに応急処置用救急キットの湿布を貼り終えたテンリューは頭を振った。


「夜になる前にもう少し進んでおきたい」


 となると、手段は一つだけだった。テンリューがその広い背中にミサヲを背負った。テンリューはナガレやミサヲより年上で、その背中には力強さと頼もしさがある。けれど「サン」は付けない。三人話し合って決めたことだった。


 ヒュウ……KRA-TOOOM!! 砲弾の風切り音と爆音からなるハーモニーに、三人はぎょっとして身を竦ませた。


「わたしたちを追って来たのかな…」

 ミサヲの不安をテンリューが否定した。

 

「それはない。俺たち三人、捕えるのに大砲は使わないだろ」 

「そうだね……」


 ミサヲは呟いた。ちっとも不安じゃないんだと自分に言い聞かせるように。

 今逃げているのが大砲や戦車を持ち出しかねない相手であることは、ナガレは口に出さなかった。


 とにかく、歩みを再開する。何かが起きているのは事実だった。それを知りたかったが、余裕はない。不安で仕方ない一方で、これ以上なく心躍らせてもいた。あの施設の中にいれば不安もなかったが、希望もなかったからだ。


 鬱蒼うっそうとした木々を抜ける。足元に乾いた土がこびりつき、角ばった砂利石が薄い靴底越しに足裏を苛む。家屋と呼べそうなものは破壊を想起させる残骸の木切れやモルタルやトタンくらい。街はまだ遠そうだ。


 姿を見せぬ鴉がいている。

 歩きながらナガレは空を見た。


 空の色が変わりつつある。青から藍へ、藍から紫へ。やがて夜の黒へスペクトルを遷移させてゆく空に、流星めいて光が走った。条光がいくつも交錯し、終端を花火めいて膨れ上がらせる。

 願いを叶える流星ではない。触れるものを焼き尽くさずにはおかない荷電粒子ビームの束であり、サムライだけが駆ることの出来る四肢駆動型機動兵器イクサ・フレームのスラスター炎である。

 大型宇宙戦闘艦艇が、人型の騎影が、宇宙を駆け巡るのを想像する。右手にカタナを、左手にタネガシマ・ライフルを持ち、サムライは己の生命と技倆ぎりょう矜持きょうじ戦場イクサバに懸けて闘う。だから彼らはヤマト星系の支配を許されてきた。

 

 いつだってサムライとイクサ・フレームはヤマティアンヤマトの民にとって憧憬しょうけいと畏怖の対象だった。

 

 二条の光が目に入る。弧を描くように、もつれ合うようにして激しく移動しているのは、イクサ・フレーム同士が白兵戦を行なっているためか。

 一つの光の動きが止まる。もう一つの光は相手が動きを止めた地点へ走ってゆく。それは何故か、ナガレの目には生命を賭した死走のように映った。

 二つの光が重なったとき、全天に波紋めいてそれが拡散した。

 黄金のオーロラが。

 全天を覆い尽くすほどに大規模な黄金のオーロラ。揺らめきたゆたう荘厳な極彩に、子供たちは束の間現在を忘れた。


 遠い空からエンジン音高く、一騎のイクサ・フレームがVTOL機能を使って降りてくる。IFM-67V〈テンペストⅢ〉。

 着地したイクサ・フレームが膝立ちになり、コクピットハッチが圧搾空気排出音と共に開放される。


 中から降りてくるのはスズメサカ・ハチエモン。


 ナガレは思う。これは夢だと。

 

 ××××××××××××


 自覚した途端夢は破綻を来たし、意識が覚醒する。

 

 眼の前には紐一本でぶら下がるケミカル提灯チョウチン蛍光灯と、湿気が滲んだ剥き出しのセラミック天井。薄い麻布が一枚敷かれただけの床が体温を際限無く奪ってゆく。寒さにより寝不足の身体に無理を強いて、サスガ・ナガレは身を起こした。体育座りになっていたはずが、睡魔に負けて横になっていたらしい。体温の低下は体力の低下に繋がる。避けるべき事態だ。

 

 もう十年前のことだ。夢としてたまに見る。決して忘れられない、サスガ・ナガレとしての原風景。

 しかしハチエモン=センセイが出てくるのはやり過ぎだろう、とナガレは思う。記憶や事実と矛盾がはなはだしい。それを許容出来るほどナガレのニューロンは劣化していない。

 

 オーロラを見た後のことは一切記憶にない。気がつけば二人と離れて、すっかり荒れ果てたミナクサ市街にいた。そこで師匠センセイと出会うことになるのだが更に三ヶ月後の話だ。

 以来、ミサヲとテンリューには会っていない。

 

 殴られたうなじの付近に手を触れてみる。やや熱を帯びてまだ痛むが、この分だとさわりはなさそうだ。時折冷え切ったセラミックに頭を押し付けていたのがよかったらしい。

 


 この牢(そう呼んでも差し支えなかろう)に入れられて四日が経つ。特別扱いという訳ではないし、全く嬉しくもないのだが、全員独房である。

 

 透明な強化ポリカーボネイト製の板が格子こうしの代わりに嵌め殺しにされており、触っただけでもサムライの腕力で破壊出来る程度のものではないとわかった。ポリカーボネイト板には電子ロック付きの出入口もついているが、ナガレがここに入れられた際は気絶していたので、開けられたところは見たことがない。防音機能はしっかりしており、隣の収監者と会話などできそうになかった。また、試みようとすれば兵士が怒鳴りつけてくるのも目に見えていた。確認できないが、恐らく監視カメラは独房ごとに付属している。

 

 食事は定時になると一日二回、壁の後ろ側にある小さなスリットからスシ・レーションが運ばれてくる。銀パックで包装されたそれに食品表示はないが、不味いので西ヤマトの製品だろうと偏見を込めてナガレは想像し、食べていた。

 

 また、兵士が見回りに来る。常にツーマンセル、軽装だが全員必ず目出帽バラクラヴァ装備で小銃を携帯している。彼らは収監者たちが大人しくしている分には概ね無口でありさっさと立ち去ってくれるが、じっとしていないと怒鳴りつけられる。

 ナガレが収監一日目、手持ち無沙汰に筋トレをしていたら怒鳴りつけられた。一層筋トレに励んでやろうかと考えたが、食事が来なくなったら困るので実行に移すのはやめた。

 また特定の相手には連中は陰湿だった。房の片隅には申し訳程度の敷居で隠されたトイレがある。右隣の研修生は運悪く用を足している最中に見回りが来たらしく、兵士たちが通りすがるたびに悪質なジョークで嘲笑われていた。


 拉致されたのは恐らく五十人ほどだから、全体でそこそこの人数を収容出来る監獄なのだろう。ナガレが数えたところ男が二十人程度、女子の姿はない。ということは女子は別に隔離されているのか。

 

 許されるのは食事か、排泄か、座るか、寝るか、考えるかくらいだった。だから、ひたすら状況把握に努めた。

 

 収監されているうちにマクラギ・ダイキューが会いに来るかも知れないと考えていたが、今のところその気配さえない。敵と馴れ合うつもりはなかったが、マクラギとの会話は暇潰しにはなりそうだと思っていた。それもアテが外れた形になった。


 座禅ザゼンを組んで瞑想メディテーションに入った。しかし、いつまでこの状況下に置かれるのか。助けは来るのか。来なかったらその後、一体自分たちはどうなるのか――

 

『――ナガレ=サン、聞こえるか?』


 ナガレは目を開けた。

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