3 慨嘆

 ミズ・アゲハ。電子海賊〈フェニックス〉の頭目。経歴・正体・外見不明、ただ女性であるらしいということだけが伝わっている。

 

 彼女は高度情報社会の海を渡る電脳テロリストだが、それとは別に旧都オールド・ミヤコ、トヨミア、ショーグネイションのいずれともヨシミを結び、全星首脳部にホットラインを通じる「便利屋」の一面を持つ。

 活動が確認されてから二十五年、彼女が関連・解決した事件は大小を問わなければ数知れず。関連が疑われるものも含めれば、その全てを知悉する者はいないだろう。その中には、ショーグネイションを揺るがしかねなかった大疑獄事件もある。

 

 首脳部は電子海賊〈フェニックス〉についての情報を全面封鎖した。ショーグネイションにとって、陣営を問わぬ英雄などという存在は目障りだったからだ。事実、彼女は誰の味方でもないことは確かだ。昨日の依頼者を今日の敵とし牢獄へ叩き込むことへ、何の躊躇も忖度もなかった。

 当初は便利な道具めいて使っていたショーグネイションも、状況や立場によってこの電子海賊が敵にも味方にもなることを理解すると、次第に彼女を疎んじるようになったのは自然な成り行きだった。

 

 しかし人の口に戸は立てられぬもの、今日こんにちのアングラネットワークではその名は一種の神性を帯びて語られるようになっている。


××××××××××××


 マスター・トクアンがムネフエの執務デスクの上に携帯端末インローを置いた。


「ミズ・アゲハ。此度は何用かね」


 ムネフエは警戒の色も露骨に彼女の出方を窺った。

 

『わたしもわたしで列車襲撃事件の捜査に動いているのでな。情報共有を申し出に来たというわけだ』

「別口での依頼ということか?」

『ご想像にお任せしよう』


 そっけない応答を返し、ミズ・アゲハは続けた。

 

彼奴きゃつらの主目的は二つ存在した』

「二つ? 研修生の拉致だけでなく?」

 

 ムネフエが反応した。

 

『そうだ、ヤギュウ大公殿。彼奴らが軍用列車〈し-1333〉号を襲撃した理由はもう一つ――ある軍事機密にまつわるものを輸送していたからだ』

「そ、そんな話は聞いていないぞ!」

『どうやら大公殿の頭上を素通りして事を運んだ連中がいるらしいな』

 

 最高権力者としての体面を傷つけられていたことに対して顔を紅潮させる大公へ、海賊は問題の本質をさっさと告げてみせた。

 

『ま、それとこれとは関係なし、大公殿御自身が後々に片を付けられるがよろしかろう。仕事の予約は受け付けておるが、如何いかがか?』

「考慮しておこう……その軍事機密というのは、我々にも教えられぬたぐいのものかね?」

『その通りだ』

「何故?」

『秘密は知る者が少なければ少ない方が良いからだ。そして、これが下手に漏洩すればショーグネイションの存亡にも関わりかねない』

「……何?」


 語気を強めたミズ・アゲハ。絶句するヤギュウ・ムネフエ。

 二の句の告げぬ弟を脇へ押しやるように、ハチエモンが我慢し切れぬ風で本題へ切り込んだ。


「ミズ・アゲハ。その荷物の中身は関わりのないことだから脇にくとしよう。君はマクラギ一党の居場所がわかると言ったな」

『その話に移るとしよう』

 

 卓袱台チャブダイのホログラムがまたもや切り替わる。携帯端末インローを通じて、ミズ・アゲハが干渉しているのだ。勿論ヤギュウ公邸には電子的防御網が張り巡らされているが、それを彼女は一切問題にしていないのだ。ムネフエの目尻が僅かに痙攣したのをハチエモンは見逃さなかった。

 山塊に囲まれたポイントが拡大され、詳細情報をホロ表示させる。

 

『ジキセン城。ここに研修生も全員集めている』

「――確定だな」

 

 ハチエモンは納得したように呟いた。

 目標の達成を確実なものにするならば、捕虜は分散して配置し、時間をずらして目的地へ送るのが最良であろう。それを敢えて一箇所に集めているということは――やはりマクラギ・ダイキューはハチエモンを待っている!

 

『ハチエモン=サンの殺害すら目的に含まれるのかも知れぬな』


 ミズ・アゲハが言った。ハチエモンは頷くだけだった。トクガ最強のサムライとして、買った恨みや売った喧嘩は数えればキリがない。

 

「しかし、時間はなさそうだの」

 

 マスター・トクアンが懸念を口にした。僧職にある身として、囚われの身の研修生を案じた故の言葉だ。

 マクラギは傭兵である。何者かの意を受けて列車襲撃ミッションを遂行したのなら、速やかに撤退を図るのが当然だ。彼がハチエモンを討ち果たすという目的を優先するにしろ、引き伸ばすに限度はある。襲撃より三日が既に経っていた。


「ムネフエ」


 ハチエモンが名を呼んだ。ムネフエが渋面じゅうめんを作り、先んじて言った。


「我がサムライ・クランはいつでも出撃可能です――が、兄上」

「何だ、勿体ぶるな」

「貴方にイクサ・フレームは貸せませぬ」


 断固たる口調でムネフエが応えた。これだけは譲れぬという口調だった。

 

「肺病は完治せず、隻眼隻腕隻足、カルマ受容値は往年の一〇パーセント以下。ドライバーとしては貴方は最早廃疾の身です。今後フレームをかつてのように駆ることは出来ないでしょう」


 痛いところを突かれたハチエモンは、叱られた悪戯小僧めいて唇を曲げた。


「何も騎乗するとは言っていないぞ」

「奇襲部隊に加えろと?」

「不肖の弟子たちが待っている。俺が行かなければ話になるまい」


 それがハチエモンなりの責任の取り方だった。ムネフエの顔が更に渋さを増す。

 

 執務室の扉が開かれた。


「では、軍監イクサメツケとしてわたしが御伴オトモつかまつりましょう」


 入室したのは長い黒髪の乙女だ。シルク生地の着物キモノは目映いほどに白く、緋色の帯には金の丹頂鶴クレインが舞うオーソドックスかつシンプルなデザインだ。それ故に、彼女の美貌を引き立たせてもいた。

 呆気に取られたのはハチエモンだった。彼女を頭から爪先までまじまじと観察してから、

 

「ハクア――お前、いつから聞いていた?」

「最初から」


 ハクアの言葉はにべにもない。切れ長の眼は彼女の叔父の方へ向いた。


「よろしいでしょうか、叔父上――それと、


 そして、父親の方へ。

 ヤギュウの兄弟は視線を見交わした。今度は兄が困惑する番だった。弟の方が彼の姪に言った。


「お前は止めても聞かぬだろうな」

「では」


 言うなり、白い着物と帯が宙に翻り、乙女の姿を遮った。

 その一瞬の後、全身にフィットした真っ白なタイトスーツ姿のハクアが現れた。黒髪をポニーテイルにまとめ、その背にはカタナすら背負っている。これが彼女の戦装束イクサドレスだった。


「今すぐにでも参りましょう」


 ハクアはきびすを返し、それきりハチエモンを一顧だにしなかった。

 

 ハクアの父親たる男、ハチエモンは束の間呆然としてから、慨嘆がいたんのように呟いた。過去に捨て去ったものを悔いるように。


「……ハクア、美しくなった」


 その声がハクアに聞こえたかどうかは、定かではない。

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