『リコちゃん送別会』          4/5




「うおぉおん……!! リコたんが居なくなるの、ぐぅふ、さ、寂しいでござるよぉ……!!」


「やーんウチも寂しいですよぅ~! ご主人様ぁ、ウチが遠くに行っちゃってもぉ、絶対忘れないでくださいね~?」


「忘れないよリコたあああああ」


 《主天使》たちの襲撃から二日後。《和菓子屋たぬきつね》では引っ越しを再来週に控えた夜不寝リコの送別会が開かれていた。


「うるっさ……」


 ひづりは周囲の客に聞かれない程度の声で呟いた。店のホームページやSNSの告知で集まった夜不寝リコのファンは想像していたよりかなり多く、三十分ほど前に彼女が出勤して来てからというもの店内はもうずっとこんな調子だった。


 本来の《和菓子屋たぬきつね》の営業方針であればこれだけバカ騒ぎを起こされたらすぐにでも客全員叱り飛ばしていたところだったが、今日に限っては口を出すまいとひづりは決めていた。というのも、夜不寝リコが《和菓子屋たぬきつね》でどんな気持ちでメイド店員をやっていたにせよ、これだけの人を店に惹き付け、楽しませていた事実は変わらないのだ。平日の十七時に集まったにしては相当な人数であるし、都合で今日来られなかったファンも居るだろう。送別会くらい好きにやらせてあげようと思ったのだ。ついでに言うと先月からちよこが勝手に始めたこの《和菓子屋たぬきつね》のメイド喫茶キャンペーンも併せて今日を以って終了するらしいので、そこも落としどころの一つとしていた。


「はぁ~い!! リコちゃんと記念撮影したい人は、商品注文時に特別チケット付きのセットをお買い求めくださいね~!!」


 今回の送別会を主催し久々にフロアに顔を出したちよこは最後の稼ぎ時とばかりに悪徳商法に精を出していた。留守にしっぱなしだった姉がしばらくぶりにちゃんと店で仕事をしている訳だし、という事で、これもひづりは見ないふりに徹していた。


「リコちゃん、お仕事頑張っていたのは知っていましたが、こんなに人気があったんですね」


 ひづりの向かいの席の凍原坂が、客らとまたチェキの撮影を始めた夜不寝リコを眺め、微笑ましそうに言った。


「義妹だからってあの可愛さを客観的に見られないのは愚か者だぜ。売り切れた後で泣いて頼んで来たって、俺はこのリコちゃんとのチェキ券をお前に譲ったりはしない」


 凍原坂の隣で和風パフェをつついていた渡瀬が一番高いコースの物らしい金色のチェキ券を指先に挟んでひらひらと見せびらかした。


「それって誰が頼んでも撮ってくれるのかしら? 私もチェキ券付き? というの、注文すれば良かったかも」


 ひづりの隣で一恵が冗談っぽく笑った。


「私、言って来ましょうか? リコさんのお母様ですし、お代は気にしないでください」


 夜不寝さんはかなり嫌がりそうだなぁへへへ、と思いながらひづりは一恵に提案した。


 しかし一恵は首を横に振った。


「ありがとうございます。でもいいんです。最後の出勤日ですもの、リコにはちゃんと、お客さん達との今日の思い出を大事にして欲しいんです。一昨日の火庫ちゃんとの家出には驚いたけれど……リコ、立派にお仕事出来るようになっていたのね……」


 子の成長を喜ぶ母親の顔で彼女はそう言った。


「そういえば、女子高生がテーブルに居るのが嬉しくてつい聞きそびれてたが、今日ひづりちゃんは仕事お休みの日なのかい?」


 渡瀬が今更な質問をした。同じく気になっていたらしく一恵もこちらを見た。凍原坂が眼を泳がせた。


 ひづりは渡瀬から視線を逸らし、肩を竦めて見せた。


「あー……実は一昨日、貧血で倒れまして。や、全然大した事は無かったんですが、でも方々から『お前は最近頑張りすぎだ』と怒られてしまいまして。ですから、バイトはしばらくお休みなんです」


 実際に倒れた訳ではないが、父と紅葉にこっぴどく叱られたのは本当だった。ひづりは最初、《天使》の大群に襲われて両腕が一回吹き飛びました、なんて報告、二人には心配ばかりを掛けてしまうだろうから今回は黙っておいた方がいいのでは? と考えたりもしたのだが、しかし敵勢力の首謀者と思しき《悪魔》の名が明らかになった事、ひづりが母親と同じ強力な《魔術》を使えるようになった事、など、それら事態の大きな進展を二人に伝えない訳にもいかず、結局天井花イナリと一緒に叱られる方を選んだのだった。


 幸辰と紅葉はひづり達の話を聴き終えると、天井花イナリには今まで以上の危機意識を持つ事と、それからひづりには一週間バイトと《魔術》の練習の禁止を条件として、以降もひづりが天井花イナリと関わり続ける事を認めてくれた。この二日滞在先の電波が悪いのか海外の甘夏とは電話が通じなかったので幸辰と紅葉のみで話が決まったが、彼女がその場に居たらもしかしたら話し合いの結果は違っていたかもしれず、ひづりはもうしばらくは甘夏の携帯の電波環境が改善されないよう願ってしまっていた。


「まぁ、そうなんですか。あと十日ほどですけど、学校で困った事なんかがあったら、いつでもリコに言って下さいね?」


 一恵は本当に心配してくれている様子だった。娘にはせめて高校卒業までは東京に残っていて欲しい、という夜不寝夫妻の願いをちよこは結果的に叶えてあげられなかった訳だが、けれど彼女達も別に交渉人でも何でもないただの和菓子屋店主であるちよこに本当に娘を説得出来るなどとは最初から思っていなかったのかもしれない。夜不寝家と不仲の別れにならずに済みそうなのは良い事だったが、しかしこれがつまり姉にとって「成功すれば医者の一家に恩を売れるし、失敗しても何ら失うものはない」という損のない儲け話だったのだと思うとひづりはちょっと複雑だった。


「ぬわあは……。ずいぶんと騒がしいな……。送別会とは聞いていたが、祭りのようではないか……」


 不意にあくび交じりの声が掛けられ、四人の視線が通路へ向けられた。


「《フラウ》さん」


 ひづりはつい嬉しくなって笑顔で応じた。《フラウ》は寝ぼけ眼で四人を眺めた後、改めて凍原坂の顔を見上げ、にんまりと笑った。


「良い良い。楽にしているがいい。わっちはとーげんざかの膝を温めてやりに来ただけだ」


 そう言いながら彼女は凍原坂の膝の上にもぞもぞと上がっていってそのまま器用に丸まって目を閉じた。


「……ありがとう、《フラウ》」


 《フラウ》の小さな頭を凍原坂の大きな手が優しく撫でた。ひづりはそんな親子の姿をぼんやりと見つめた。








『──僕の願いは、いずれまた敵が現れた時、今日と同じ様に《フラウロス》と《火車》として君たちにその力を思うまま発揮してもらうこと。ただ、それ以外の時はこれまで通り、僕の娘で居て欲しい。僕の人生の最期の時まで、どうかこの願いを受け入れて欲しい──』








 ……あの後、凍原坂は《フラウロス》との《契約》をそのように更新した。かつて官舎万里子が口にした《契約》によって《フラウロス》と《火車》は互いに心身の共有と著しい弱体化を科せられていたが、今回凍原坂が交わした新たな《契約》はそれらを廃し、彼女達に本来の姿と精神性を維持させるものへと変更された。凍原坂の膝に納まる《フラウ》のその小さな体は以前と何も変わっていないように思えるが、しかし彼女が望めばその擬装は即座に解除され、肉体はいつでも本来の《フラウロス》へと戻り、月曜日に見せたのと同じ凄まじい戦闘能力の発揮を可能としていた。当初万里子は《フラウロス》のその強力な《魔性》を抑え込むためにあの様な《契約》を交わしたらしいが、十四年間を共に過ごした三人の間にはもうとっくにそのような枷は必要無くなっていた。同じく《契約》が途絶えた事で消滅してしまっていた《周囲の人間は二人を凍原坂春路の娘として認識する》という万里子による《認識阻害魔術》についても、先日新たに《フラウロス》によって掛け直しがなされ、渡瀬や一恵など凍原坂の知人らはこれまでと同じように引き続き《フラウ》たちを彼の娘として《認識》していた。


 それと、先月よりひづりが定期的に凍原坂に掛けていた《滋養付与型治癒魔術》、これについても、元に戻った《フラウロス》が今後は代わりに行う、という形で話がついた。ひづりとしても大学の講師である凍原坂が親類でもない女子高生とこそこそ頻繁に会っているなんて妙な噂が彼の周りに流れるのはよくないと思っていたので、これも心配の解消と同時に一つ肩の荷が下りたようだった。


「……また凍原坂さまの膝へ来て……。あなた、前より甘える様になったんじゃないの……?」


 びくっ、とひづりは肩を揺らした。知らぬ間に《火庫》が通路に立っており、《フラウ》のおさげを恨めしそうにぎゅっと握っていた。


「ぬあ? あぁ《火庫》か。なんだ、貴様もわっちの体温が欲しいのか。構わぬ構わぬ、ここへ来い」


「そんな話をしてるんじゃないのよ……」


 どう考えても二人は座れないであろう凍原坂の膝をぽんぽんと叩きながら言う《フラウ》に、《火庫》は髪の先で燃える炎をめらめらと強めながら返した。


「火庫ちゃん、体調は本当にもう良いの? 無理をしちゃいけないわよ?」


 一恵が少し身を乗り出して訊ねた。《火庫》は一恵を振り向いて、それから思い出した様にお盆をテーブルにそっと置いた。


「その件は本当にお騒がせ致しました。もう大丈夫です。一昨日リコさんを連れ出した事……本当にすみませんでした」


 凍原坂が注文したわらび餅と一恵が注文した大福をそれぞれの前に並べながら《火庫》は謝った。


「良いのよ良いのよ、それはもう。最初は驚いたけど、しばらくお別れになっちゃう前に二人で雪乃ちゃんの故郷に行ってみたかったんでしょう? 凍原坂さんとリコから聞いたわ。気にする事ないのよ」


 月曜日の夜不寝リコと《火庫》の家出は、捜しに行った凍原坂が二人を見つけてそのまま連れ帰った、という話で一恵には伝えられたらしかった。


「リコが《和菓子屋たぬきつね》さんで働けたのは、きっと火庫ちゃんが居てくれたおかげでもあるのよ。ありがとうね、火庫ちゃん」


 一恵は《火庫》ににっこりと笑いかけた。《火庫》は一瞬夜不寝リコの姉の表情になって「……お礼を言うのはこちらです」と呟いた。


「あ、ところで気になってたんだけど、その眼鏡……」


 《火庫》がお盆を持ち上げてテーブルを離れる気配を見せた瞬間、一恵が思い出した様に引き留める声を上げた。


 するとそれに乗って渡瀬も隣の凍原坂を押す様にして体を通路側へ寄せた。


「あぁそれ、俺も気になってたんだ。凍原坂が掛けてたやつだろ? 確か昔雪乃ちゃんに貰ったってやつだ。度は外してあるみたいだけど、どうして火庫ちゃんがしてるんだい?」


 好奇心に輝く一恵と渡瀬の視線に倣い、ひづりも《火庫》の顔を見た。


 彼女の目元には今、凍原坂が以前使っていたフルリムの眼鏡が掛けられていた。


「これは……」


 フレームに触れ、《火庫》は少し目を伏せた。








 ──昨日、凍原坂らと店に来た際、《火庫》は話してくれた。




『蘇った《雪乃の記憶》を見て分かったんです。十九年前、贔屓にしていた眼鏡屋から創業記念の品として凍原坂さまのもとへ送られて来て……そして先日からフルリムの眼鏡の予備として再びお使いになっている、アンダーリムの眼鏡……。これは本当は、あの頃ストーカーをしていた雪乃が……わっちが送り付けた物だったようなのです……』




 電車で凍原坂と出会ってまだ一年も経っていなかった頃、「自分が選んだ物を春路さんに使って貰いたい」と思った雪乃は、一人暮らしをしていた凍原坂のアパートに忍び込んで眼鏡のレンズの度やサイズを調べ上げ、当時彼が利用していた眼鏡屋へ行って彼に一番似合いそうな物を購入し、それから父親のパソコンを使って偽りのキャンペーンチラシと手紙を作成すると、それらを全て綺麗に梱包して凍原坂が留守の間にアパートの郵便受けへと押し込んだ。




『……凍原坂さまと付き合い始めた雪乃がこのアンダーリムの眼鏡を嫌い、新しいフルリムの眼鏡を買って凍原坂さまにプレゼントとして贈ったのは、きっとこの眼鏡を送りつけた《わっち》の事を思い出したくなかったから……あるいは、その細工がいつか気付かれてしまうのではないかと恐れたから、だったのでしょう……。ですからこれは、《わっち》と雪乃を明確に別ける、負の象徴とも言えます……。…………ですが』




 《火庫》はひづり達の前でその修理されたばかりのフルリムの眼鏡を掛けて見せた。




『凍原坂さまは、《わっち》も、お付き合いをしていた雪乃も、どちらも同じく雪乃だとおっしゃってくださいました。ですから、これからどちらか一方の眼鏡を凍原坂さまがまた予備として何処かへしまっておくのであれば、それならばいっそ、雪乃が凍原坂さまに贈ったこの眼鏡は、わっちがこうして持っていよう、と、そう思ったのです』






 《火庫》と西檀越雪乃。今回の一件に関わった誰もが彼女のその複雑な出自の発覚について大いに心配していたのだが、けれど凍原坂をはじめとする家族のケアもあってだろう、《火庫》はどうにかかつての自分自身との折り合いをそうした前向きな形でつけられたらしかった。ひづりもそれは本当に喜ばしい事だと思った。


 ──ただ。


「ええ……凍原坂さまは、今お掛けになっているアンダーリムの眼鏡をとても、とても、気に入っていらっしゃるので……前の女に貰ったというこちらのフルリムの眼鏡はわっちがお預かりしておくことにしたのです……」


 フルリムの眼鏡を貰ったのは、自分の男が自分以外の雪乃おんなから貰った物を身につけているのが気に食わないから、というのが一番の理由だったのでは……? ともひづりは内心思ったりしていた。


「そうだったの。ふふ、お父さんとお揃いね? とっても似合っているわ」


「そうであろう! 《火庫》は何を身につけても似合うからな! 自慢の家臣である!」


 凍原坂の膝の上で《フラウ》が得意げに騒いだ。


「あなたはそろそろ凍原坂さまの膝から退きなさい。凍原坂さまの膝に寝転がるなら、私の手が空いてる時だけ、って昨日約束したでしょう。あなたがもうボケてないのは分かっているのよ」


 以前の《契約》で分割され《フラウ》に移されていた凍原坂への感情、その全てが今回の新たな《契約》で自身の中へ戻ったからか、《フラウ》を責める《火庫》の声は前よりずっと冷たく、攻撃的だった。


「ははは……そうだね《フラウ》、《火庫》がやきもちを焼いてしまうから、さぁ、また畳部屋で寝させてもらっておいで。僕らも後で行くから」


「む……仕方がないな。……おっ、《ボティス》! 今日も忙しそうであるな! わっちが毛づくろいをしてやろう!!」


「触るな。やめんか。触るな!!」


 凍原坂に膝から降ろされて不服そうな顔をしたのも束の間、《フラウ》は近くで仕事をしていた天井花イナリを見つけると俄かに嬉しそうな顔になって駆け足で絡みに行った。片手間に気絶させられていた頃と違い、今は本来の《魔性》を取り戻したからであろう、髪を舐めたい《フラウ》と髪を舐められたくない天井花イナリはそのまま店内の通路で向かい合い互角の取っ組み合いを始めた。


「や、め、ろと言うておろうが……!! お主!! この間同盟関係の間はわしとの闘いも控えると自分で言うておったであろう!! もう忘れたのか!!」


「ぬぐぐ……忘れてはおらん!! 勘違いをするな、これは闘いではない!! 同盟関係とはつまり今は貴様もわっちの家族という事であろう! 家族ならば毛づくろいの一つもするものだ!! 《火庫》なぞいつもわっちに一時間は舐めさせるぞ!!」


「……ッ!! おい凍原坂!! 見ておらんでこの馬鹿猫を止めよ!! お主の娘であろうが!!」


「は、はい!! 今行きます!! ……すみません行ってきますね」


 割と本気で困っていたらしい天井花イナリの救助要請に凍原坂は慌てて席を立ち、ひづりと一恵に一礼してから、その小さな《悪魔》たちの元へ駆けて行った。


「じゃあ行きますよ~? おいしくなーれっ、おいしくなーれっ」


「うおおリコたあああああんッ!!」


 その時、夜不寝リコとファン達の方でまた一際大きな歓声が上がった。


「ではお次はチェキ番号十一番の方~! お越し下さ~い!」


「お、俺の番だな。行って来よう」


 イベントの進行状況を告げるちよこの店内アナウンスを聞いた渡瀬がチェキ券片手にのそりと通路へ出た。


「あ、渡瀬さん、ちょっと待ってください」


 ふと思い立ってひづりは渡瀬を引き留め、一恵を振り返った。


「一恵さん、やっぱりリコさんと一緒に写真撮って来て下さい」


「え?」


 彼女は意外そうな顔をした。ひづりは続けた。


「上手く言えないんですが……たぶんリコさんも恥ずかしかったり、気遣ったりで、きっと言い出しづらいだけなんじゃないかって、私思うんです。だから今日……というか、今回の記念に、お二人にはちゃんと記念の写真を撮っておいて欲しいんです」


 ひづりは通路に出て、奥の席の彼女に促すようにした。


「良い事言うねぇひづりちゃん。行きましょうよ一恵さん。凍原坂をのけ者にして写真撮って来てやりましょ」


 通路で待ってくれていた渡瀬が、にっ、と口角を上げた。


 一恵は娘の方を見て、それから諦めた様に笑った。


「ええ、そうね。そうして来ます。ありがとう」


 ひづりに手を引かれて立ち上がった彼女は渡瀬と一緒に騒がしい夜不寝リコの一団の方へと歩いて行った。


 席で一人留守番をする形になったひづりは手持ち無沙汰に店内を見回した。


 そこでふと、天井花イナリから《フラウ》を引き剥がすべく《火庫》と共に奮闘する凍原坂の姿が眼に止まった。








『──あんな出来事を越えても、恥ずかしながら、私にはまだやはり《火庫》と《フラウ》と別れる日について、出すべき答えをはっきりとは出せませんでした。ただ……二人と暮らせる日々の幸せを、新しく気づかせてもらった事と向き合いながら、これからも大切にしていく……今はまだ、それでいいのかもしれないと思いました──』








 昨日店を去る際、かつての自分との向き合い方を見つけた《火庫》と同じく、凍原坂もまた《娘たち》との今後の人生についてのそうした考えをひづりと天井花イナリに打ち明けていった。


「…………」


 ひづりは膝の上に置いた両腕を見下ろし、一昨日、紫陽花が咲く様に発動したあの大量の《防衛魔法陣術式》を、イモカタバミを、市郎を、母を思い出した。


 それから父の、甘夏と紅葉の、千登勢と《ヒガンバナ》の、天井花イナリと和鼓たぬこの、アサカとハナの、そして姉の顔を頭に思い浮かべ、すん、と鼻を啜った。


 大切な人たちとの別れがいつ来るのかは分からない。何十年も後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。命には、頑張っても、頑張らなくても、最初からどうにもならない事がある。自分の選択の間違いが、皆を死なせてしまう事だって……。


 でも。それでも。凍原坂が言った様に「今を大切にする」以上に周りの人たちのために一人の人間が出来る事なんてきっと無いのだろう。


 ひづりは膝の上で手を組み、店内の喧騒に耳を傾けた。


「《フラウ》!! こら!! もう諦めなさい!! 天井花さん嫌がってるだろう!?」


「そうよ《フラウ》やめなさい! 凍原坂さまに何度も叱らせないで!!」


「ぬおお、邪魔をするな《火庫》、とーげんざか!! 《ボティス》は昔から髪を舐めようとするといつもわっちを避けるのだ!! せっかく同盟を結んだこの機会、逃す訳にはいかんのだあ!!」


「機会も何も貴様の臭い舌にわしの髪を舐めさせる日なぞ永遠に来んわ、この馬鹿猫がッ!!」


「はぁーい! 次はリコちゃんのお母さんの一恵さんと、リコちゃんの義兄さんのお友達の渡瀬さんが一緒の撮影でーす!!」


「えッ!? 母さんと渡瀬さん!? え、ちょっと、嘘ぉ……」


「ごめんね、リコは嫌かもって思ったんだけど、お母さん我慢出来なくて」


「リコちゃん、撮る時俺と手でハート作ってくれないか。こういう感じに手でハートを」


 ふふっ、とひづりは笑った。思えばこんなに賑やかなのは告知も無くいきなり店の改装が行われた九月の夜不寝リコ初出勤日以来だった。あんまり騒がしいのは嫌いだったが、それでもこのメイド喫茶風に改装された眩しくて賑やかな《和菓子屋たぬきつね》が今回の凍原坂家や夜不寝家の人達との関わりにとても大切な場所だった事を思うと、明日の定休日を境に以前の静かな《和菓子屋たぬきつね》に戻ってしまうのは、やっぱりちょっと、本当にちょっとだけ、名残惜しいなと思えた。










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