『企ての中心に居た少年』




 景色が揺らぎ、式場の映像が消えた。眩いばかりだった室内からにわかに薄暗い夜の山中に戻された事で、ひづりの眼は少々ぼやけた。


「ひづり。ありがとうございました。重くもなんともなかったでしょうが、抱きかかえて良い気分のものでもなかったでしょう」


 ラウラがそばへ来て腕を広げ、母の魂を返すよう促して来た。


「いや、どっちかと言うと母さん役をやらされた事の方が良い気分じゃなかったよ」


 ひづりは軽口を添えてその《白い球体》を彼女に返した。


「でも、ありがとう、紅葉さんのこと。……本当に、ありがとう」


 父になだめられている父方の叔母をちらりを振り返りひづりはお礼を言った。


 きっと自分では、彼女のその心に抱えた痛みをやわらげてあげることも、こんな風に救ってあげることも出来なかった。


 これは、《過去視》と《未来視》を操り、そして何より官舎万里子の魂をこうして所持していた《グラシャ・ラボラス》であるが故に出来た事に違いなかった。


「ヤハ。良いんですよ。何を損した訳でもありませんし、何よりこれでひづりの複雑だった親族関係が今日を以って一切後ろ暗いものの何も無い、実にクリーンな状態になるなら、私は大満足です」


 彼女はにんまりと可愛らしい笑みを浮かべ、両手で万里子の魂をぎゅっと抱きしめた。ひづりは少しだけ母に嫉妬してしまいそうだった。


「では、以上で私から皆さんへの用事は全て完了しました。これより、連れて来たのと同じ《転移魔術》で皆さんをそれぞれの御宅へお帰しします。時間も掛かりません。今日はもうゆっくりお休みになってください」


 傍らに《転移魔術の蔵》を呼び出して万里子の魂をそこへしまいこむと、続けざまにラウラは数時間前と同じように六つ、《転移魔術》の《魔方陣》を紅葉達の足元に描いた。


「ですが、ひづりにはまだいくつか用事がありますので、もう少しばかり残ってもらいます。これはとてもひづりのプライバシーに関わる事ですので、どうか十七歳という年頃の少女の気持ちを慮ってください」


 そうラウラが早口にまくし立てると六つの《魔方陣》はにわかに輝きを増し、ちよこ、幸辰、千登勢、《ヒガンバナ》、市郎、紅葉、甘夏の体をその光の中に呑み込んで、次の瞬間には綺麗さっぱり《魔方陣》ごと消し去ってしまった。


「……だ……大丈夫なの? すごい急だったけど……」


 六人と悪魔一体。全員一言も発する間もなく、ラウラの《転移魔術》によって連れて行かれてしまった。


「平気じゃ。今《現在視》で確認しておる。皆、家や病院に戻されておるぞ」


 少し離れた場所に立っていた天井花イナリがひづりの安心する情報をくれた。


「ふふーん。当然ですとも。私が《魔術》を失敗する訳ないですから!」


 《ソロモン王》に並ぶと謳われた《智慧の悪魔》である、という件について言っているのだろう、ラウラは胸を張ってふんぞり返った。


「それに、私と彼らはこれでおそらくもう二度と会う事はないでしょうし、そもそも惜しむ別れでもありません。私は時間を大事にしますよ」


 そしてそんな淡白なコメントで締めくくった。


「……まぁ、うん、ラウラが何か失敗するとは思ってないけど……。それよりさっきの、その、私のプライバシーがどうこうって、何? どういうこと?」


 訊ねるとラウラはにわかに眼を丸くして、それからひづりに視線を移した。


 そしておふざけ気味だったその顔から表情を消し、やや低めの声で言った。


「……私の《願望》は、先ほどの紅葉の一件を以って全て完了した、と言ったでしょう。ええ、私のは、です」


 ……あ。ひづりはすっかり忘れていた《それ》を思い出した。


「ですから、次の工程へ移ります。先ほど幸辰たちへ伝えた通り、これはひづりのプライバシーに関わる問題です。とてもとても、難しい問題なのです」


 ラウラは徐に右手を真横へ伸ばすと、ぱちん、と指を鳴らした。


 広場の隅、ひづり達から数メートルばかり離れた地面に見知らぬ模様の《魔方陣》が現れ、かと思うとそれは即座に破裂し、粉々に砕けて光の粒子となって消えた。


 そしてその中心には先ほどまで気配すらなかった一人の少年の姿が認められた。


「お前……」


 ひづりがすっかり忘れていたもう一つの疑問。そのぼんやりとした全体像すら掴めなかった、不可解な謎。


 同じ綾里高校に通う、二年C組の男子生徒。図書委員として一年以上の付き合いがあり、ひづりがおそらく男子の中では最も親しいと感じている、本好きの少年。


 そしてひづりに対して何らかの《願い》を抱き、その達成のために《グラシャ・ラボラス》と命の契りを交わしたという、《契約者》――。


「予定通り、百合川。あなたの番です」


 外灯の光が当たらない広場の一角に立ち尽くしたまま、彼――百合川臨はその眼差しをひづりへと向けた。









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