『会合』





 昼過ぎにはアフリカ園エリアをぐるりと回りきり、カワウソやムササビの居る中央エリアを前に広場で昼食にした。それから西のコアラ館を見て、アジアゾウが動いているところを運よく見られて、ユキヒョウが一匹だけ何処に居るのかひづりは見つけられずラウラに笑われ、アジアの平原エリアでオオカミの群れを眺め、そして南のトキやワシミミズクの居る静かな鳥類エリアも過ぎてしまう頃には、もう二人が見ていない場所は無くなってしまっていた。


 十六時半。閉園の時間が迫っていた。


 ひづりはラウラとお別れするのが嫌で、今日が終わってしまうのが嫌で、小学生の時には見て回れなかった場所を全て回った。ゆっくり、時間を掛けて、ラウラと一緒に動物達を眺めて歩いた。交わす言葉は思っていたよりずっと少なくなってしまったが、ひづりはそれでも良かった。


 空が少しずつ暗くなっていた。ついに閉園のアナウンスが聞こえると牛歩で進んでいたひづりは思わず立ち止まってしまった。


 場所は入場門が見える分岐点。ラウラは足を止めたひづりにすぐ気づいて戻って来た。


 続々と門へと向かう子供連れの客の中、二人は言葉もなく向かい合った。


 ラウラはじっとこちらを見つめて待っていたが、ひづりはただ無言でうつむいて、終わりが近づいたラウラ・グラーシャとの今日をまるで駄々をこねる子供のように引き伸ばそうとした。


「……ひづり」


 やがてラウラが呼んだ。少し低い、優しい声だった。ひづりは恐る恐る視線を上げた。


「ひづりは今日、私を……ラウラ・グラーシャを信じて、こうして会いに来てくれました。《グラシャ・ラボラス》だと知って尚、今日のデートの申し出を受けてくれました。……森の中の動物園を選んだことで、《ボティス》にはひどく警戒させてしまいましたし、ひづりも不安だったはずです。分かってます。それでもひづりは来てくれました。私はそれがとても嬉しいです。ですから、私もそれに応えたいと思います。友達として、心からお返しをしたいです。――好きですよ、ひづり」


「……ラウラ?」


 彼女は微笑むとひづりに近づいてその手を取り、帰路につこうとする他の客の流れに背いて歩き始めた。西へ向かう大通りを、少し早足に。


 陽が沈んでいく。客の姿も見えなくなっていく。


 途中でラウラは足元に《魔方陣》を描いた。それはひづりがまだ使えない《認識阻害魔術》の模様で、その光に包まれるとすでに閉園時間を過ぎたにも関わらずすれ違う飼育員どころか動物達も二人にまるで反応を示さなくなった。


 やがて最西端のみはらし広場も超えるとただただ何もない山道が始まった。ところどころに外灯はあるが、しばらく歩いても人の気配は無かった。歩調は少し緩められていた。


「きっと《ボティス》は今、気が気じゃないでしょうね」


 ラウラは進みながら、ふふ、と笑った。


 しかし気が気じゃないのはひづりもだった。現在のこの状況は、天井花イナリが今にも飛んで来かねないほど悪いものだった。


「ラウラ、ねぇ、どこに行くの? ……こっちに、何があるの?」


 訊きたくない。しかし訊かねばならない。


 彼女と別れるのは嫌だが、それよりもひづりは最も悪い展開……天井花イナリとラウラが殺し合う、その未来だけは避けたかった。


 だから安心させて欲しかった。自分も、天井花さんも。


「……見えてきました」


 その一言と共に彼女の歩みはまた少し遅くなり、ひづりの手も離した。


 ラウラが見つめる先をひづりも見た。


 そこは一際大きな外灯が立った、森の中にしてはずいぶんな面積の広場だった。一応掃除は行き届いているようではあったが、痕跡があるだけでベンチの類は全て撤去されていた。人影もない。


 ただ、見上げるともうすっかり暗くなってしまった空が、生い茂った木々の間から少しばかり見えた。細かい場所までは分からないが、どうやら山の端の部分らしい。かつてはもう少しこの空は見晴らしがよくて、少なくとも今よりは人の行き交う場所だったのだろう。そこはその残骸のようだった。


「……ここに、連れて来たかったの?」


 到着し、ひづりは改めて広場を見渡した。やはり誰も居ない。少し強く木の葉を揺らす風と、二人の足音だけがあった。


「ええ。と言ってもこの場所に何か思い入れがある訳ではありませんし、何か用意している訳でもありません。私も初めて来る場所です。それは《ボティス》からも聞いていると思います」


 どきり、とした。今のひづりとラウラと天井花イナリは過去を覗き覗かれる関係ではあるが、こうしてはっきり言われると胸に来るものがあった。


「……うん、聞いてる。ラウラがここに来た《過去》は無いし、だから罠も何も無いはずだ、って。……ああ、そっか、あのやり取りもラウラにはもう《見える》んだっけ……?」


「ふふ、正解です」


 彼女は振り返り、昼前にもして見せたようにまた背を向けて歩きながらにっこりと笑った。


「《ボティス》の《未来と現在と過去が見える力》は燃費も良いですし、何より《現在視》の力はとても便利だと思います。私は、今この瞬間から二時間前後はまるで《見えません》。ひづりの事をリアルタイムで常に遠くから見守れる千里眼……。羨ましいです。だから今のこれは、そんな良い《眼》を持っている《ボティス》への、ちょっとした嫌がらせですね。私がひづりに何かするんじゃないか、って、はらはらしながら見ているんでしょう? ふふ、想像すると可笑しいです」


 彼女は愉快そうに少し声を高め、歩きながら器用にくるくると回って見せた。


「では本題ですね。此処は、まぁ、強いて言うなら《丁度良い場所》だったからでしょうか」


 ぴたり、とその足を止めると彼女は再びひづりに向き直った。


 ひづりは息を呑んだ。本題。ラウラの目的。今日の終わり……。


「広さ的にも、人が近づかないという点でも、かなり良いです。何よりひづりとデートした後、そのままこうして来られます。《転移魔術》でひづりを連れ去ろうものならきっと《ボティス》が追いかけて来ますからね。でももう良いですよ。《ボティス》を呼んでも」


「…………え」


 彼女の提案にひづりは固まった。


「む? どうしましたかひづり」


 どうしたも何も無い。


「だ、だって天井花さんを呼んだら、ラウラは……」


「ああ、もちろん争う気は無いです。ただ、《ボティス》もそろそろ苛々が限界じゃないかと思うので。あの子の《現在視》、《見える》だけで《聴こえませんから》ね。だから、話を聴ける距離まで来てもらおう、という、それだけですよ」


 ふふ、と微笑んで彼女はちょっとかっこいいポーズをした。


 ……良い、のか? ラウラの方から、《グラシャ・ラボラス》の方から《ボティス》を呼んでも良い、と提案されるとはさすがにちょっと想像していなかった。


「……分かった。うん。きっと天井花さんも心配してくれてる。私の判断が間違いじゃないって信じてくれてる。それと勿論、ラウラのことも」


 ラウラは不意にその顔から表情を消した。一昨日の夕刻、父と駅前で会った時と同じ雰囲気だった。どくん、と心臓が嫌な具合に跳ねたが、ひづりはそのまま押し切るように言った。


「でも、その前にちゃんと訊いておきたいことがあるんだ」


 ひづりの問いかけに彼女はおもむろに首を傾げた。


「なんでしょう?」


 その声音は《グラシャ・ラボラス》寄りになっていた。けれど、そうじゃないんだ。


「ラウラ。……本当に今日を、《最後》にしないといけないの……? 私達と、このまま一緒には居られないの……? 私、ラウラともっと本のお話したいよ。ラウラの読書の感想、これからも聞きたいよ。ラウラは《グラシャ・ラボラス》で……きっと百合川と《契約》したことも、何か理由があるんだって、それは分かるんだ。でも、それでも私はラウラに居て欲しいよ。あなたが《悪魔》でも、私の母さんの魂を攫った《悪魔》でも、それでも良いよ。何を願ったのかは知らないけど、母さんが願って交わしたその《契約》で、母さんは死んだんでしょう? なら、《悪魔》にとってそれは何も間違いじゃない。ラウラは間違ってない。母さんも、そうなるって分かっててやったんでしょ。なら、私とラウラが友達でいちゃいけない理由なんて無いよ!」


 思いつく限りひづりは心の内を吐露した。そうあってほしい未来を願った。


 すると彼女はその眼を丸くして、それから声を上げて笑った。こんな風に無垢な大声で笑う彼女を見るのは初めてで、ひづりは少し呆気に取られた。


「あは、あははは……。はぁ。……ああ、羨ましいです。《ボティス》が本当に羨ましい。こんなに想って貰える日々を送っているなんて……」


 彼女は笑い声を静めるとそう独り言のように呟いた。


「ありがとうございます、ひづり。でも、ごめんなさい。私は百合川と《契約》を交わしました。それを果たさなくてはいけません」


 ラウラはゆっくりと首を横に振って、寂しげな顔をした。


「それ、その百合川との《契約》は、果たされたら、私達の関係は壊れるの? ラウラはここに居られなくなるの?」


 ひづりが身を乗り出して問い質すようにするとラウラは、すっ、と手のひらをこちらに向けて制止を促した。


「それは、後で百合川本人に確認してください。でも、私は《悪魔》です。《契約》が果たされたら《魔界》に帰らないといけません」


 …………何?


「後で……? 後って、どういうこと……? 《契約》が果たされたら、百合川は魂をラウラに取られちゃうんじゃないの……?」


 混乱してひづりが眉根を寄せるとラウラは薄く微笑んだ。


「ひづり。私は《人間界》が好きです。いつの時代に召喚されても、楽しくて新しいものばかりです。今回の召喚は過去の清算が目的でしたが、それでもやはりあなたと過ごしたこの一月は私にとってとても楽しいものとなりました。ありがとうございます。大好きですよ、ひづり……」


 数歩後ずさりしたラウラの体がにわかに駅前の時と同じ様に真っ黒な闇に包まれた。それとほぼ同じタイミングでひづりの目の前に《転移魔術》の《魔方陣》が描かれた。


「ラウラ……!」


 全身を包んだ闇が剥げ落ちるとラウラ・グラーシャの体は《グラシャ・ラボラス》へと変化していた。


 そしてひづりの目の前に描かれた《魔方陣》からは《和菓子屋たぬきつね》で待機、監視して貰っていた天井花イナリが現れ、立っていた。


 《ソロモン王の七二柱の悪魔》、《ボティス》と《グラシャ・ラボラス》。


 二柱がついに再会してしまった。


「……こうして直接顔を合わせるのは三ヶ月ぶりですね、《ボティス》?」


「ああ。この一月、嫌と言うほど見ざるを得んようにしおって。構って欲しがりが」


「お互い様ですよ。見たくも無い顔を見させられ続けたのはこちらもです」


 いきなり険悪な雰囲気だった。ひづりは我知らず無言になって二柱の《悪魔》の顔を見比べた。


「…………《ボティス》。ついさっき何の話をしていたか分かりますか? 分からないですよねぇ?」


「あぁ……?」


 にわかに得意げな顔をした《グラシャ・ラボラス》に、じろり、と天井花イナリはその圧の凄い眼差しを返した。


「ひづりは《ボティス》みたいなちんちくりんより、私みたいな大人っぽい方が好きなんですって!」


 …………ほ? ひづりは思わずラウラを二度見した。


 してないぞ? ラウラ? そんな話はしてないぞ?


「阿呆を抜かせ」


 すると天井花イナリはばっさりと否定した。


「ひづりはわしの様に妖艶で美しい《悪魔》が好きなのじゃ。図体がでかいだけで色気もまるで備わらんお子様がつまらん冗談を言うな」


 ラウラは眼を見開いた。黄色のその瞳がぎらりと光った。


「言いましたね!! よくもまあそんな見てくれになって、何をそんな自信たっぷりですか!! それに、お子様~!? 私の方が百も年上でしょう!! ボケるにはまだ早いんじゃないですか!!」


 ……あれ? そういう感じなの? 仲悪いって聞いてましたけど、そういう感じなんですか? て、天井花さん……?


「お主こそ、それでひづりを手篭めにした気で居るのか? ボケたのはそちらであろう。それにひづりは現に昨夜もわしと寝室を共にしたぞ。実に良い顔で愛でられるのじゃ。お主は知らぬであろう」


 天井花さん。昨夜『も』じゃないです。昨夜『だけ』です。それに良い顔で愛でられた記憶もないです。


「ハハーン! 嘘はやめてください! 一緒に寝たと言っても本当にただ一緒のベッドで寝てただけじゃないですか!! ひづりに本気で嫌がられて拗ねてたの分かってるんですからね!!」


「何じゃ、そんなことまで覗き見しておったのか? 下品じゃぞ。それに嫌がられてなどおらん。ひづりはまだ幼き身ゆえ、わしの艶やかさは少々刺激が強すぎただけじゃ」


「いーえ!! あれは本気で嫌がられてました~!! 現実を受け入れられない王様になんて、誰もついて来ませんよーだ!!」


 ちょっと待って欲しい。


 何を見させられているんだ私は。


 これが《悪魔の王様》の喧嘩なのか。


 想像していたのと違う……!!


「それに本当にひづりは私の事好きだって言ってくれましたー! ずっと一緒に居たいって言ってくれましたー!! これは本当に本当ですもーん!!」


 ラウラは自慢げに胸を張ってふんぞり返った。


 天井花イナリがこちらに視線を投げて来た。


「何じゃ? そんなことを言うたのかひづり?」


「え、あ、はい……。……あれ? 好きって言った私? ラウラ? 待って、待って、記憶が怪しい。……『一緒に居たい』、それは言った!!」


 困惑しつつも確かな情報を思い出してひづりは声を張った。天井花イナリは眉を八の字にしてその小さな肩で大きなため息を吐いてみせた。


「ひづり、言うたであろう。こやつは嫉妬深く、めんどうくさいと。アサカも居ろうに、そのようなことを軽々と口にすべきではないぞ」


「は、はい……え? なんでそこでアサカが出てくるんですか?」


「……お主それは本気で言うておるのか」


「いーえ! アサカも《ボティス》も関係ないですー! これはひづりと私の問題です!! 関係ない《ボティス》は引っ込んでてください!!」


「関係ない訳があるか。わしの《契約者》じゃ。わしのものじゃ。誰が渡すか。まして《フラウロス》ほどの色気も無いお主なぞにどうして譲ってやる道理がある。ふざけるでないわ」


「ハァー!? あの脳みそ筋肉猫を比較に出しましたか今!? 冗談じゃないです言い様にも加減というものがあります!! 取り消して謝ってください!!」


「断る」


「むー!!」


 ……これ、いつまで続くんだろう。


「もう良いです! それでなんですか《ボティス》!? 来たってことは来た理由があるんでしょう!?」


 《グラシャ・ラボラス》は腕を組んでそっぽを向いて見せた。


「理由もクソもあるか。お主が変化を解きおったから来たのじゃ。お主こそどういうつもりじゃ。目的は何じゃ?」


 天井花イナリが問うと《グラシャ・ラボラス》は眉間に皺を寄せたままちらりとこちらを眼だけで振り返った。 


「……私の目的達成のためには、ひづりにもこの場に立ち会って貰わなくてはいけません。であれば、……不本意ですが、これはひづりを今後守る役目が与えられたあなたにも聞いておいて貰わなくてはいけないんですよ。……全く、《未来と現在と過去が見える力》は便利な一方で音声情報が得られない、なんて、面倒な話です。良い迷惑ですよ」


「何ゆえわしの《能力》をお主にそこまで言われなくてはならん」


「《ボティス》の顔を見たくないだけです!!」


 突き立てる様にその長い両足を地面に踏みしめ、《グラシャ・ラボラス》はまた子供っぽい怒り方をした。


「とにかくあなたにも知ってもらう必要がある。それだけですよ」


 ふん、と再びそっぽを向いて彼女は締めくくった。


「はっきりせんな。聞くだけでよい、と? 奔放なお主には珍しいではないか」


 天井花イナリはまた嫌味を言ったが、彼女はもう反応しなかった。


 ひづりは胸に手を当てて一つ息を吐いてから天井花イナリに声を掛けた。


「大丈夫です。たぶん。《グラシャ・ラボラス》は、大丈夫ですよ」


 天井花イナリはぴくり、とその長い狐耳をこちらに向けた。


 三人が立ち尽くす広場に風の音だけがしばらく流れた。


「やれやれ。分かった。ひづりがそうまで言うなら、《グラシャ・ラボラス》、今回はお主の意に沿うてやる。警戒は解かんがな。帰る時はひづりに礼を言って行け」


 剣の切っ先を向けたまま天井花イナリは《グラシャ・ラボラス》に同意の声を投げた。


「言われなくても言います。……ひづり」


 不機嫌そうに返しつつ、《グラシャ・ラボラス》はちらりとひづりに視線を戻して来た。ひづりも顔を上げる。


 《グラシャ・ラボラス》はゆったりとした歩調で近づき、そしてひづりの二メートルほど手前で立ち止まると息を吐きつつ眼を伏せ、少しうつむいた。


 ……何だ? ひづりは庇うように前に立つ天井花イナリの背中越しに彼女を見つめ続けた。


 やがてその顔を上げると《グラシャ・ラボラス》はとても穏やかな声で言った。


「先走ったお願いですみませんが、約束をさせてもらえませんか。これから何が起きようと、私はあなたの家族に決して手を出さない。それを誓わせてください。でないと……私も、それほど温厚な《悪魔》ではないのです。あなたの家族の反応によっては、何をするか分かりません。ですからどうか誓わせてください。《グラシャ・ラボラス》はこれから数時間、感情的にあなたの家族を傷つけるような事は決してしない、と……」


「……ラウラ……?」


 嘘の壁を捨て去った彼女のその口ぶりと表情は、もはや全て苦悩に満ちたものへと変貌してしまっているようにひづりには見えた。思わず胸に突き刺さったラウラのその声と面持ちにひづりは咄嗟に足を踏み出した。


 しかし、


「来てはいけません」


 拒絶する彼女の声がそれを止めさせた。


「ひづり。これは《願望》なのです。そして《血への執着》でもあります。私自身が求めたものです。そして、未来は確定ではありません。《ボティス》が正しいです。私はこれからあなたの《敵》になるかもしれない事……それを理解してください」


「待って、どういうこと? 家族って何? 何を言っているの……?」


 直後、ひづりたちと《グラシャ・ラボラス》との間に六つの《魔方陣》が描かれた。《転移魔術》の模様だった。


「誓わせてください、ひづり」


 最後に《グラシャ・ラボラス》はラウラ・グラーシャの表情と声で困ったように微笑み、後ろに下がった。


 ひづりの心臓がどくんと跳ねた。六つの《転移魔術》で運ばれて来たのは――。


「…………え……? どこ……ここ……?」


 楓屋紅葉が最初に口を開いた。


「お父……さん……?」


 花札千登勢が、隣の花札市郎と視線を合わせて首を傾げた。


「……ひづり?」


 父、幸辰が背後のひづりに気づいた。隣に立つ官舎甘夏もこちらを振り返った。


「なん……で……」


 そして、入院中のはずの姉、吉備ちよこが右腕を三角巾で吊ったパジャマ姿で立っていた。ひづりの心臓の鼓動が速まり、口からは困惑の声が零れた。


「目的を果たさせてもらいます」


 《グラシャ・ラボラス》が呟いた。《転移魔術》で呼びつけられた六人の視線も彼女へと向けられた。


「その人生に於いて万里子と深い関わりを持ち、そして《執着》を胸に《今》を生きる皆さん。あなた方はついにこの日を迎えました。《未来》のために《過去》と向き合う、この日を」


 彼女は蛍光灯の明かりの下、二メートルを超えるその巨躯と、幅十メートルはあろうかという巨翼を厳かに広げ、その場の全員に見せ付けるようにした。


「ではまずご挨拶から致しましょう。数日ぶり、また初めましての人間の皆様。私は《ソロモン王の七二柱の悪魔》の一柱、《グラシャ・ラボラス》と申します。今より二十三年前、官舎万里子によってこの《人間界》へと召喚され、彼女と《契約》を交わした《悪魔》です。そして達成された《契約》に従い、三ヶ月前のあの日万里子の魂を奪い、その生命を終わらせた者です」


 彼女の黄色の瞳が外灯の光を浴びて輝いていた。その表情には何の感情の色も無く、各々視線を向けたまま戸惑いに言葉を失っているひづりの血縁者たちの事など気にもしない鉄面皮の様相を呈していた。


 天井花イナリが言った《順序》という言葉がひづりの頭の中で鳴り響き、抑えようの無い動悸を誘発していた。


 嫌でもひづりは受け止める他なかった。これからその終わりが始まろうとしているのだ、ということを。


 そして自分たちはついに知ろうとしている。


 《悪魔》、《グラシャ・ラボラス》との間にある、官舎万里子の死の真実を。













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