『二柱』




「……なるほどのぅ。そのような事を言うたか、あれは」


 朝食の片付けをして少し休んだ後、畳部屋に集まった三人を前にひづりは昨日の出来事を語った。


 一部始終を天井花イナリだけはその《未来と現在と過去が見える力》で《見て》知っていたが、和鼓たぬこと花札千登勢は何も知らない。だからひづりは全て話した。


 今月の頭に交換留学でひづりのクラスへやって来て、そしてだんだん仲良くなれていっていたそのラウラ・グラーシャという転校生が、実は《グラシャ・ラボラス》という《悪魔の王》だったこと。


 母の官舎万里子の死因はその《グラシャ・ラボラス》との《契約》の完遂によるものだということ。


 それを父は知っていて、これまでずっとひづりに秘密にし続けていたこと。加えてそれを天井花さんにも頭を下げて、秘密にするように頼み込んでいたこと。


 そして父は、母が《グラシャ・ラボラス》と『どんな《契約》をしたのか』についてこの期に及んでも頑として話してくれない、ということ。《グラシャ・ラボラス》もそれを教えてくれなかったこと。……ただ、それがどうやら、何としても父としては一番、最もひづりに対して秘密にしておきたかった事だ、ということ。おそらくそれを知ってしまった時、父は次女がひどく傷つくと恐れている、ということ。


 ひづりが高校に入って間もなく同じ図書委員になりよく話すようになった百合川臨という男子生徒が、《グラシャ・ラボラス》の《契約者》であるらしいということ。加えて彼が《グラシャ・ラボラス》と《契約》したのは、ひづりに原因がある、ということ……。


 ひづりが胸に抱いているその天井花イナリたちに対しての疑問や質問は、最初に『とにかく昨日お主が聞いた話をまずは全て話せ』と言われていたため、許可されず省かれていた。そうしてまずは本当にただ報告するだけとなった。


 語るたび心臓の鼓動が何度も早まり、居心地の悪さを常に感じていたが、ひづりの報告が終わると隣で泣いていた千登勢がそばに寄って来て抱きしめてくれた。


「つらかったですわね……ひづりちゃん、つらかったですわね……」


 ひづりの頭を撫でさすりながら千登勢は顔を真っ赤にしてぼろぼろと涙を零した。机を挟んだ向かいに座る和鼓たぬこもハンカチで顔を押さえてめそめそと泣いていた。


「報告は以上、ということじゃな。うむ、では質問を始めよ。もっとも、たぬこは昨夜も言うたように何も知らぬ故、問うのはわしと千登勢に対してだけとなるが」


 天井花イナリは一人だけ、いつかもしていた様に積み上げた座布団をぐしゃぐしゃに倒しソファのようにして座っていた。その座り方がどうやら気に入っているらしい。


「で、では……」


 ひづりは一つ息を呑んで、それからまずくっついたまま泣いている千登勢に訊ねる事にした。


「千登勢さんは、どこまで知っていましたか? また、何を知っていますか? 教えて下さい」


 千登勢はどうにか泣き止むと、ひづりから体を離して涙声ながらに語り始めた。


「……ほとんどが初耳でしたわ。ひづりちゃんに百合川くんというご学友がいらっしゃるのは聞いていましたけれど……。……姉さんの死因は、わたくしも心臓発作だと聞かされていました……。わたくし、察しが悪いのでしょうね……《悪魔》が絡んでいたとは思いもしませんでした……。ですからその《グラシャ・ラボラス》、という《悪魔》の事も知りません。その《悪魔》が、姉さんとどんな《契約》を交わしたのかも……。……そうなのですね……幸辰さんは、知っていたんですのね……」


 うつむき、悲しげな顔で千登勢は、すん、と鼻をすすった。彼女の言葉に嘘は無いようにひづりには思えた。今しがたひづりの口から母、千登勢にとっては姉である万里子が三ヶ月前《悪魔》によって殺された、と説明された時の彼女の顔は、おそらく昨日ラウラからそれを語られた自分と同じ顔をしていたように思えたから。


「わしが言うまでもなかろうが、千登勢は嘘を言うてはおらん。以前、《ヒガンバナ》から『千登勢は、万里子がイギリスに渡っていたその理由を聞かされていない』と聞いておったでの。であれば、万里子が《グラシャ・ラボラス》と関わっておった事を妹の千登勢に秘密にしておる可能性は高いであろうな、と思うておった。理由は分からぬがの。そして案の定じゃ。ひづり、千登勢もお主と同じく、幸辰からそれらを秘密にされておった側じゃ。故に今日、ここへ連れて来た。千登勢が居れば、ひづり、お主の不安も多少は除かれようしの」


 ふい、と視線を逸らして彼女は淡々と言ったが、その言動は分かり易過ぎるくらい優しさで満ちていた。ひづりは頭が下がる想いだった。


「あぁ、それと今日じゃがの。幸辰にははっきりと『来るな』と伝えておいたから安心せよ。『もし来ればちよこと同じ病院で父娘仲良くリハビリをさせてやる』と釘も刺しておいた。面倒な嘘吐きは少々下がっていてもらわねば、どうも時間もなさそうなのでな」


 時間……? ひづりが首を傾げていると、天井花イナリはおもむろに座布団の中で体をもぞりと動かしてやや前のめりに姿勢を変え、言った。


「では、わしが答える番かの」


 どきり、とした。その真っ直ぐに向けられてくる朱色の眼差しは、『知る覚悟はもう出来ておるのじゃな?』という鋭いものへと変わっていた。


 ひづりは背筋を伸ばし、それから同じように少し身を乗り出して頷いた。


「はい。教えてください、天井花さんが知っていること」


 漆塗りの長い机を挟んで少しの間の後、天井花イナリは、すぅ、と息を吸った。


「まず、わしはお主が幸辰から聞いておるように、万里子めの死因と、そこに《グラシャ・ラボラス》が関わっておったこと、それ自体は知っておった。何せ《過去視》が出来るからの。当然であろう。しかし以前も言うた様に、《見えるだけ》であって、会話までは聞こえぬ。あやつらが何を話し合い、《契約》したのかまではっきりとは分からんかった。何かしらの企みがあってか、万里子も秘密にしておったしの。加えて、後に幸辰までも『娘達には《グラシャ・ラボラス》の事は一切秘密にしておいて欲しいのです』と懇願してきおった。故に、その《契約内容》は《グラシャ・ラボラス》と万里子、そして幸辰。現時点でわしらが思いつく限りは、この三人だけが知っておる、という事になるな」


 天井花イナリはその小さな手で指を三本立てて見せた。


「それと、……まぁ、こちらもあてになる話ではないゆえ長くは語らぬが……。わしが万里子によってこの日本で召喚された時、そこに《グラシャ・ラボラス》は居った」


 おもむろに頬杖をつくと天井花イナリは視線を適当なところに転がして何やら不服そうな顔をした。


「《グラシャ・ラボラス》は《知恵の悪魔》とも呼ばれておる。ひづりもそばで暮らしてみて、体験しておるのではないか? あやつは単純に言って、何をするにしても効率が良い。やたらに知識が豊富じゃから叶うことではあろうが、魂の回収にしても、勝手に一人で最速記録を目指したりするなどして遊んでおった。じゃからあやつが《人間界》で二十年も何をしておったのか、気になりはした。しかし癪じゃから訊かんかった。それにあやつも、万里子との《契約》について、何も答える気はなさそうであったしの」


 彼女のその語り口を聞いてひづりはふと思い出すことがあった。


 《フラウロス》。そうだ。今の彼女の口ぶりは、《フラウロス》について語る時の感じと少し似ていた。


 ……《ボティス》と《グラシャ・ラボラス》は、もしかして仲が良かったのだろうか……?


「ただのぅ……。あれが《契約》によるものなのかどうかはやはり分からぬが、《過去視》で《見た》ところ、《グラシャ・ラボラス》は二十二年ほど前に万里子の血縁と思しき人間を三人、拷問に掛けて殺しておる。ちよこが生まれた直後の出来事じゃ。わしは、あれが一番、あやつらが交わした《契約内容》である可能性が高いと睨んでおる。あの殺害行為以降、《グラシャ・ラボラス》は目立った行動をしておらぬからの。そして三ヶ月前、万里子の魂を奪って《魔界》へ去った……。ただまぁ、あやつは気に食わぬ人間は平気で殺すからのぅ。先も言うたが、可能性であって、確定ではない」


 二十二年前に母の血縁者を殺していた……? 《グラシャ・ラボラス》が……?


「……それ、たぶんなのですけれど……私の母、扇億恵と、祖母の扇兆おうぎちょう、それから姉さんの義理の父親……飯山直弥だと思います……」


 するとおもむろに隣の千登勢がひどく重々しい口ぶりで語った。


「さすがに察するか。その通りじゃ千登勢」


 千登勢の言葉に天井花イナリは顎を上げた。


「あの、その三人に何か……」


 そこまで言いかけたところで、ひづりは、どくん、と心臓が跳ねるのを感じた。


 何か? 何かじゃない。そんなもの、考えるまでも無いことだった。


 母の体の傷。虐待。そして隣の千登勢の苦しげな顔。


 答えは明白だった。


「……《グラシャ・ラボラス》が殺したのは、母さんを虐待していたその三人、ってことですか……?」


 震える口唇でひづりが問うと、千登勢は静かに頷いた。


「扇億恵、扇兆、飯山直弥。あやつらが万里子に暴力を振るっておった《過去》はわしも見た。あまり面白いものではなかった故、必要な情報だけ見るに留めたがな」


 天井花イナリの口ぶりは冷たかった。彼女は万里子の話題になると大体それまで受けた扱いに対する怒りを露にしていたが、しかし今の彼女が件の三人を頭に浮かべてその顔に見せた表情は、間違いなく嫌悪感のそれだった。


 部屋の空気が酷く重く感じられた。


「とにかく今はまだ可能性の一つとしてそれがあるというだけじゃ。幼少期から虐待を受け続けていた万里子はその三人に対し《悪魔》の力を借りて報復を行った……。十分に濃厚な線ではあるが、しかし、先も言うたように《グラシャ・ラボラス》が勝手に自分の意思で殺した可能性もある。断定するにはまだ早い」


 すると天井花イナリはそんな沈んだ空気を換気するかのように普段の淡々とした調子で語った。


 未解決ではあるが問題が一つ区切りとなったところで、ひづりはやはり気になっていた事を訊ねるべく決心し、口を開いた。


「あ、あの、天井花さん」


「何じゃ?」


 再び座布団ソファに体を埋めた彼女に、ひづりは、ぐっ、と拳を握り締めた。


「天井花さんは、《グラシャ・ラボラス》と、《魔界》でどの程度親しかったんですか……?」


 ぴくり、と彼女の朱の眉毛が小さく揺れた。しかしそれは不快感というより――。


 彼女は寝転がったままゆっくりと視線を逸らして、それから静かに長く息を吐いて見せた。


「……そうじゃな。秘密にすることでもないか。いや。語っておくべきじゃな。ラウラ・グラーシャが《グラシャ・ラボラス》であることを今まで黙っておった事への償いはする、と昨夜わしは言うたしの。ああ、言わねば良かったわ……」


 ごろり、と座布団の山で寝返りを打って天井花イナリは、それはもう珍しく、駄々をこねるような口調でぼやいた。


「わしら《七二柱の悪魔》は代々、《名》と《能力》と《思い出》を引き継ぐ、と話したじゃろう。そして……その《思い出》を見るに、《ボティス》と《グラシャ・ラボラス》は、ずいぶんと昔から親しい間柄であったようなのじゃ。……それこそ何代も前からの」


 天井花イナリは部屋の隅を見つめたまま眼を細めて言った。


「……わしとあやつは《友》であったのじゃ」






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