『来年はきっと無いから』





 準備会からのアナウンスが始まり、直に打ち上げ花火が始まる旨が発表されると公園グラウンドは一気に沸いた。


 地元民でありこの花火大会の経験者でもある紅葉は得意げな顔で、いわく『一番良い席』だというその一角に全員を集めた。


「まだ打ち上げまで時間あるっぽいから記念撮影しよ~」


 酔っ払いは今にも取り落としそうな仕草でスマートフォンを構えると五人に並ぶように指示した。


「あーいいよ。可愛い。私が仕立てた浴衣を美少女が着てるぅ~。たまらんなこりゃ」


 パシャリパシャリとシャッター音を鳴らしつつ、紅葉はおっさんじみた感想を漏らしていた。


「アサカ、アサカ。それ何ですか? とっても甘い良い香りがします」


 ラウラは首を傾げてアサカの手元を指差した。ひづりもちらりと視線を向ける。彼女の手に握られていたのは色とりどりなスプレーがどっさりと掛かったチョコバナナだった。


「……チョコバナナだよ。オーストラリアには無いの?」


 アサカが訊ねるが、ラウラの視線はずっとその手元に釘付けになっていた。


「初めて見ました! とても美味しそうです! お願いしても良いですか!? 一口、もらってもいいですか!?」


「……いいけど」


 まだ警戒心が抜けきらないのだろうアサカは少し仏頂面で、しかしその手のチョコバナナをラウラにそっと差し出した。


「ありがとうございますアサカ! お礼に私の綿飴、アサカにもあげます!!」


「おお良いねぇ! アサカちゃんラウラちゃん! 二人、食べさせ合いっこしてるとこ撮ろう!! いいねぇ浴衣美少女二人がイチャイチャしてるの、お姉さん大好きだぜ!!」


「イチャイチャしてません」


 アサカの否定も無視して紅葉はずいと近づいて来ると二人を被写体に、おそらくここまでの時間で親しくなったのであろうハナをアシスタントのように使いながらアングルや光源を考え始めた。早速除け者にされたひづりと百合川は苦笑しながら数歩下がった。


 予定されていた花火打ち上げの時刻はもう過ぎていたが、どうにもならない事である、少し大きめの雲が現在その付近の空を丁度覆っており、それが流れきるのを待ってから開始すると先ほどアナウンスが告知していた。まだあと十数分くらいは掛かるだろうかと思われた。


「はーい食べさせ合いっこ~」


 アングルその他もろもろを決めたらしい、紅葉はようやく指導と撮影を始めた。アサカが少し高い位置にあるラウラの口にチョコバナナをつっこみ、ラウラは千切った綿飴の一房をアサカの口に運んでいた。アサカはまるで乗り気ではない表情だったが、ラウラはずっとニコニコしていた。


「あー良い! 良いの撮れたよ!! かぁー! モデルも衣装もアングルもアシも完璧だな! 自分の才能と人徳が怖いな!!」


 人徳……? スマホをすいすい操作する酔っ払いの顔を、ひづりは眉根を寄せてじっと見つめた。


 するとそこでふとひづりは隣の百合川が両手で顔を押さえているのに気がついた。


「百合川? どうした?」


 その肩が、びくっ、と微かに震えた。百合川は右手を下げつつも顔の左側は依然として押さえたまま、ぱちぱちと瞬きしながら眉間に皺を寄せてうつむいていた。


「いや、眼に羽虫か何か入ったっぽくて……。いや大丈夫、取れたっぽい。うん」


「そ? あっちに水飲み場あったから、ちょっと洗いに行く? 打ち上げにはまだ時間あるみたいだし」


「平気平気、ほんと心配いらねぇ。……なんだ、やけに優しいな官舎? どうした? 何かあったか?」


 そう訊ねられたところで思い出し、ひづりは思わず背筋が少し伸びた。


 それからひづりはラウラにも話した、『ラウラと百合川は好き合ってるのでは。二人きりにした方が良いのでは』という思い込みをしていた件について、洗いざらい白状した。


「――あはははは。それでか。ああ、なるほどな。理解した理解した。ふふ……えぇ何~? 俺とラウラが~? ……っふ、あははははは!!」


 百合川はお腹を押さえ、さも可笑しそうに笑い転げた。……畜生、こっちに非がある分、笑われても何も言えねぇ……! でもちょっと笑いすぎだろさすがに!


「わ、割と真面目に、もしそうだったら、祝ってやらにゃならんなぁ、って、思ってたんだからな!? わ、笑いすぎだぁ!」


 ひづりはいよいよ顔が火照って来たものだからつい百合川を指差してやんわりと怒鳴りつけた。


「ああ悪い悪い。ひひ。でもさー、そーんな事言っていいんですか相棒~? 勘違いしてラウラを俺に押し付けた事、忘れてないですか~?」


 百合川はなじるようにひづりに詰め寄った。ぐう……。それを言われたら言い返せない。


「はは、冗談だよ冗談。でもありがとな。もしいつか俺がそういう機会に恵まれた時は、官舎、お前らに頼らせて貰うとするよ。冗談抜きに、お前ら三人は頼りになるしな」


 急に真面目な顔になって百合川はそう言ってくれた。ひづりにはとても嬉しい一言だった。


「素直に受け取らせて貰うよ。……ああ、そうだな。ついでだし私も正直に言おう。私も百合川には頼りっぱなしだしな」


 百合川は片眉を上げて首を傾げた。


「そうか? 図書委員の仕事は今年から半分以上官舎に任せっきりになってるのに?」


「いや図書委員は別にお前居なくてもそこまで困らないっていうか」


「ひどいぜ」


「それよりほら、今月の頭、アサカとラウラのことさ。止めてくれただろ、カッターナイフ出してラウラに斬りかかりそうになったアサカのこと。……アサカには、もうああいう事させたくないんだ。だから、あの時も言ったけど、今もう一回言わせて欲しい。ありがとう。アサカのこと止めてくれて。守ってくれて、ありがとう」


 ひづりが真っ直ぐその眼を見つめて言うと、百合川は照れくさそうに、また居心地悪そうにした。


「か、かゆいな。体がかゆいぞ」


「ははは。存分に痒がれ。それだけの事をやってくれたよ、百合川はさ」


 ひづりはちらりとアサカとラウラの方を見た。二人はまだ、今度は違うアングルと構図での撮影準備に駆り出されていた。


「出会い頭、一番に問題が起きそうになってた二人が、話し合って、折り合いつけて……まだアサカの警戒心は解けきってないみたいだけど、それでも今、ああしてさ……。あの時百合川がアサカを止めてくれなかったら、きっとこの《今》は無かったんだ。だから、本当に感謝してるんだぜ、百合川」


「あ、お、おう……。い、良いってことよ。百合川くんは紳士だからな。当然の事を、したまでのことよ」


 かっこうをつけた声で、しかし自分で言って照れてしまったらしい、百合川はにわかに顔を赤くしながらそう返した。それを見てひづりは思わず笑みを零してしまった。


「しかしラウラの奴の加減の知らなさだけはマジでキツい。今後も交代で相手する方針で頼むぜ、相棒?」


 百合川は、はぁ、と息を吐きながら眉尻を下げつつラウラの方を見つめた。


「ああ、もう勘違いはしないから、そこは安心してくれよ。けど、やっぱ疲れたろ? 悪かった。こんなだったら、きっと隅田川の方の祭にツレと行ってた方が、少なくとも気は楽だったろう」


 ひづりがちくりと痛む胸を押さえつつ訊ねると、百合川はにわかに声を明るくして言った。


「いやいや、何を言いますか相棒よ。確かに体力的にはキツかったけど、こんな可愛い女子たちと綺麗なお姉さんに囲まれた状態で花火大会に来られて、不満を漏らすバカなんか居るもんかよ。俺は成績そこそこのバカだけど、そこだけはちゃんと押さえる男だぜ?」


 フォローしてくれたらしいと分かり、ひづりは笑顔でそれにお返しした。


「ははは、かっこいいよ」


 再び花火大会準備会からのアナウンスが公園グラウンドに響いた。もうじき雲が流れきりそうなので、あと数分ばかりで開始するとのことだった。


「楽しみだな」


「ああ。今日は今の時点で充分、なかなかに楽しめたけどね」


 本日の自分達への皮肉を込めてひづりが言うと、百合川は「違いねぇ」と笑ってくれた。


「…………はぁ。しかしまぁ、何とも懐かしい感じだ」


 すると百合川は不意に気の抜けた声でそうぼやいた。それは短く、また主語も無い台詞だったが、けれどひづりには何となく彼の言わんとしている事が分かった。


「そうだね。去年とは面子がちょっと違うけど。……あれから一年かぁ。あの頃はまだ、ハナとか百合川との距離感、よくわかってなかったなぁ私」


「俺も『バーサーカー文学少女』とか呼ばれてた女子との距離感の見極めには中々の時間と覚悟を要したぜ」


「……百合川、そんなあだ名で呼ばれていた女子生徒は居ない。良いな?」


「ワカリマシタヨー」


 ちっ。この野郎。


 しかしまぁ、こうしてこんな冗談が言い合える仲になった事は、本当に感慨深いものがあった。


 一年前、高校一年生になって初めての夏祭りだった。ひづりはアサカ、ハナと共に、同じ図書委員という理由だけで百合川に誘われ、彼の友人らと一緒に夏祭を回ったのだった。ひづりとアサカはともかく、まだそれぞれがろくに接し方も分からなかった。しかしだからこそ百合川は誘ってくれたのだ、とひづりは今になってそう思うようになっていた。


 百合川臨は、本当に良い奴だ。


「やっぱり、色々と思うことがあるもんだねぇ……」


 ひづりが流れていく雲を見上げながらぼんやり呟くと、百合川も「だなぁ」と零した。


「改まって言うの、ちょっと恥ずかしいけどさ。俺、官舎と同じ図書委員で良かった、ってやっぱそう思ってるんだわ」


 ひづりは首を傾げるようにして彼の横顔を見た。ポケットに両手をつっこんでうつむき、百合川は自身のサンダルでグラウンドの土を軽く蹴っていた。


 去年は訊ねられなかった。そこまで距離が近くなかったから。


 けど今は違う。だいぶ、友達らしい距離感になったと思う。


 だから今まで少しだけ気になっていた事をひづりは聞いてみることにした。


「百合川、なんで去年、図書委員になったの」


 彼はちらりと視線を寄越して来た。それから、ふぅ、と一つばかり息を吐いた。


「俺さ、中学の頃は運動系の部活とか、今もやってる美化委員とかやってたんだ。だから、高校に入ったら心機一転ってことで、たぶん今後絶対にやらないだろうな、っていう、図書室の番人をしてみようと思ったんだよ。ま、本が好きだ、ってのも本当なんだけどさ。でもおかげで良い相棒と出会えたよ」


 にっ、と笑顔を浮かべて彼はそう答えた。


「そうか。期待されてた阿吽像の片割れとして、そいつぁ光栄だよ」


 ひづりが冗談で返すと、彼はまたおもむろにその視線を地面に戻した。


「……ああ。最高の相棒だったよ」


 そう言って、どこか切なげな顔をした。


 ……なんだ? 少しずつの変化だったから気のせいかとも思っていたが、やはりひづりの眼に今の彼は少し様子がおかしく映った。思い違いなどでは決してない、明らかに何かがおかしいと分かるほどに。


「百合川、どうした?」


 ひづりが訊ねると、しかし彼はもうその顔も眼も返しては来ず、ただ独り言のように静かな声を零した。


「いや。良い一年だったなぁ、とは思ってたんだけどさ。これは本当、マジで幸せな高校生活だったって思ってる。思ってたんだ。……でも――」


 百合川のうつむいたその瞳の輝きが一瞬微かに揺らいだようにひづりには見えた。


「……人間、欲張っちまうもんだなぁ……。自分でもちょっと驚いた。身の回りのことって、変わってくようで、変わらないもんだな、って思ってた。こういうの、これからもずっと続いていくんだろうな、って、そう思ってた」


 地面をこするように蹴っていた彼の足は止まり、ゆっくりとその顔は上がって、視線は改めてひづりの瞳へと向けられた。


「……でも、官舎。俺は――」






 ――ドンッ! バァァァ…………。






 満を持して打ち上げられた花火の音に百合川のその言葉は掻き消された。聞いていた通り同時に演出の音楽が流れ始め、それは歓声と混ざり合って辺りは一気に騒然となった。


「おお、すげぇ。あれ? 紅葉さんは?」


 百合川はラウラたちの方を振り返るなり首を傾げた。ひづりもそちらへ視線を向けたが叔母の姿は見当たらなかった。


 アサカが声を張って叫んだ。


「ひぃちゃん! 紅葉さんまたお酒買いに行っちゃった!!」


「ああ!? タイミング悪いなあの人!! 浴衣と一緒に花火撮るってはしゃいでたくせに!!」


 ひづりは眉根を寄せながら辺りを見渡して金髪のプリン頭を探した。


「官舎、俺ちょっとあっち探してくるよ。ビールとつまみになりそうな物の出店が集合してたんだ。あそこかも知れない。官舎は連絡して、ラウラたちとここで待っててくれ」


 そう言い残して百合川は人垣の方へ駆けて行った。


「あ、おう、頼む……」


 ひづりは咄嗟にそう返しつつ、けれど意識は彼が先ほど言いかけた言葉の反芻へと向けられていた。






『……でも、官舎。俺は――』






 なんだ? 百合川はさっき、何を言おうとしていたんだ?


 この一年半の付き合いをして、一度として見たことも聞いたこともなかった、彼の切なげで苦しげな表情と声音……。


 まるでその形を掴めないながらも、しかしひづりは少しずつその胸に確かな不安が募っていくのを感じとっていた。


 百合川。お前、今、何か大事なことを私に話そうとしてくれていたんじゃないのか……?


 歓声と音楽、そして打ち上がり続ける花火の音の下、ひづりは彼が去っていった人垣を見つめて立ち尽くした。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る