第7話 『夏祭はみんなで浴衣を揃えて』





 夏休みが始まる前に一番ひづりたちを悩ませたのは、『今年はどこの花火大会に行こうか』という話し合いだった。


 昨年度の記録であればネットを使えばすぐに各地で開かれていた花火大会の来場者数や打ち上げられた花火の数などを調べられたし、加えて今年のメンツは四人と少なめだったのだが、しかし関東全域となればその祭も結構な数に及ぶ上、花火大会の日の予定を各々合わせるのもなかなかに難しいのだ。たとえ四人の都合がぴたりと合う日の花火大会であっても打ち上げ花火の数が少なかったりあまり閑散とし過ぎていては寂しいし、かと言って人が多すぎたり場所が遠過ぎると疲れてしまう。毎年ながらこれは悩みどころなのであった。


 そんな折、やけに眉間に皺を寄せて悩む娘を見かねてか、あきる野市から比較的近い青梅市の永山公園グラウンドという場所で毎年花火大会が開かれている事を、かつて地元民であった父の幸辰がそっと教えてくれた。いわく、『適度に人が居て、花火も結構なもの。景色も綺麗』だという。調べてみると確かに打ち上げ花火の数も多く、来場者数もそこそこな場所だった。アサカ達に日程を相談してみると運良く三人ともその日は予定が無いとのことだった。


 そうした訳で、お盆の終わりから一週間後の八月二十三日水曜日。その日、青梅市永山公園グラウンドで行われる納涼花火大会にひづり達の下駄は向かう事となった。


 後から決まった話ではあるが、保護者役を買って出た紅葉もかつて兄の幸辰と共にその永山公園の花火大会にはよく行っていたとのことで、それゆえ仮に彼女が出店のビールで酔っ払って迷子になってもちゃんと帰って来られるだろう、という安心感がひづりの胸にはあった。


 予定通り南新宿の官舎家へ集まり、昼過ぎに山梨から身軽で到着した紅葉に四人は着付けをしてもらう……その手筈だったのだが、家の場所を知らないラウラを回収するべく向かった新宿駅の東南口でひづりは呆然と立ち尽くす事になった。


「…………ラウラ……? なんで……百合川捕まえてんの……?」


 ひづりは相変わらず予想外な行動を起こしてくれるラウラ・グラーシャに、出会い頭早々諦念気味に訊ねた。彼女はどこで拾って来たのか、百合川臨の腕をその長い腕でがっしりと掴んでニコニコしていた。


「偶然見かけたので、さっき捕まえました!!」


 …………もう何も言うまい。ひづりは百合川に視線を向けた。


「官舎、俺、もうどうしたらいいか分かんないんだけど……」


 表情としてはひづりと同じ種類のものをその顔に浮かべ、百合川はこの現状へと至ったその経緯について語ってくれた。


 彼はどうも同じく今日、しかし場所は隅田川の方のかなり大規模な花火大会に友人らと一緒に行く予定だったという。しかし不運な事にその待ち合わせ場所と時間をひづりたちと同じこの新宿駅の東南口にしてしまったらしく、先に来ていたラウラに発見されるなりガッチリと捕縛され『百合川、私たちと一緒に花火大会に行きましょう!』とかなり押し気味に提案されたのだと言う。そして悲しいかな、本来隅田川の花火大会に一緒に向かうはずだった友達連中は利かせなくても良い気を利かせたようで、『……百合川、グラーシャさんと何か進展があったら、後でちゃんと教えろよ』とだけ言い残して皆行ってしまったという。……可愛そうに。ひづりは生まれて初めて百合川臨に同情した。……否、人の事を阿吽像呼ばわりした罰だろうなこれは。うん。


 そうしたラウラの独断による経緯を以って、百合川臨も青梅の花火大会へ一緒に赴く運びとなった。加えて、家に電話をして『百合川も参加することになった』と告げるとやはりアサカもハナも少し驚いていた様子だったが、それでも『百合川くんなら全然大丈夫だよ。去年も一緒だった訳だし』と許してくれた。本当にありがたいことだ。


「すまんな、官舎。せっかく女の子だけでの夏祭りだったろうに、俺、完全に邪魔だよな……。ラウラにも言ったんだけどさぁ……」


「えー? 嫌です。私は百合川にも居て欲しいです」


「またそんな我侭言って……」


 ラウラはあの話し合い以降ひづりに過剰な触れ合いをして来なくなったが、しかし今度は逆に百合川にべったり気味になっていっていた。


 ひづりはそちらの方面で鈍い自覚があるので何とも言えないのだが、しかしラウラが百合川に対し、彼の友人らが気を利かせたような感情を抱いているのだとするなら、そのお邪魔をするつもりは少しもなかった。むしろ応援すらしていた。


 百合川は良い奴だ。それはこの一年半の付き合いで知っている。その決定権が自分になど無いのはさすがに分かっているが、ラウラを任せる事に不安は無い、という点では、ひづりは彼を充分に認めていた。


「いいよ。アサカ達も良いって言ってくれたんだし、気にするなよ。それに隅田川の方の人が多いのとはだいぶ違うかもしれないけど、こっちの花火大会も結構良いところらしいぞ? 悪いけど一緒に楽しんで行ってくれよ、色男」


 家までの道中、ラウラに腕を組まれたまま申し訳なさそうに歩く百合川に、ひづりは少しだけ意地悪な笑みを向けて言ってやった。








「やぁー来たね、ラウラちゃん!」


 ひづりが玄関扉を開けるなり紅葉がリビングから飛び出して駆け寄って来た。ラウラは紅葉の顔を見つめて首を傾げた。


「オーゥ? 私のこと知っていますか? 会ったことありましたか?」


「あぁ、違うよラウラ。この人が紅葉さんだよ。浴衣を作ってくれた人。あの時、写真撮って送ってもらっただろう? だからラウラの顔、知ってるんだ」


「ああ! ひづりの叔母さまですね!! 初めましてラウラ・グラーシャと言います!! 今日はありがとうございます!!」


 わざとらしすぎるくらいラウラははしゃいで、しかし依然として片腕は百合川を捕まえたまま、反対の手を差し出して握手を求めた。


「おぉ元気が良いねぇ。初めまして、楓屋紅葉です。和裁技能士やってまーす。……で、その隣の男の子はラウラちゃんの彼氏?」


 紅葉は握手を返しながら隣の百合川に視線を移して訊ねた。


 すると百合川は一歩前に出てうやうやしくお辞儀した。


「いいえラウラの被害者です。ですがたった今、人生で二度と無い僥倖に恵まれた男です。初めまして、まさしく紅葉こうようのように鮮やかな美しさのお嬢さん。わたくし、百合川臨と申します。ひづりさんとは一年生の頃から同じ図書委員に務めておりまして」


「おいこら。人んの玄関で、人の叔母を口説くな。やめろ」


 ……そういえば姉さんと紅葉さん、そこそこ体格似てるんだよな。そしてそうか、こいつ、年上が趣味か。なかなか見境ないなこの野郎。


「ははははは! 嬉しいねぇ。あたしもそれなりに口説かれ慣れてるけど、息子と同い年の子にこんな情熱的なアプローチされんのは久々だよ。ははははは」


「…………ぇ?」


 満更でもなさそうにしつつしかし同時に意地悪な笑みもその顔に浮かべて見せた紅葉に、百合川は脳の思考機能が停止した様子だった。


「官舎、官舎! 紅葉さんいくつなの!? 嘘でしょ!?」


 そしてすかさずひづりの耳に口を近づけ、こそこそと訊ねて来た。面倒な奴だな。


「自分で訊けよ百合川紳士くん。紅葉さんすみません、ラウラ、駅で偶然見かけた百合川を無理やり捕まえて来ちゃって……」


「いやいや、いいよいいよ。それに、あたしも腕っぷしには自信あるけど、ほら、女だけだと何かと突っかかってくるバカがお祭にはたま~に居るからさ。百合川くん、だったね? さっき口説いた分、相応のかっこよさを期待してるよ?」


 そう言いながら紅葉は軽く握った拳を百合川にそっと向けてウインクしてみせた。……こういう仕草、本当に似合うなこの人。


「は、はい!!」


 照れてる。自分で口説いておいて照れてるよ百合川。気持ちは分からんでもないが。


 靴を脱ぎ、リビングへと向かう紅葉の背中を追いながら、百合川は再度こそこそとひづりに話しかけて来た。


「官舎、お前、お姉さんと言い、叔母さんと言い、親類に美人さん多すぎじゃね……?」


「ははははは悪かったな私は阿吽像でよ。でもまぁ分かるよ。シラフなら紅葉さん、お前が抱いた印象通り、かなり美人でかっこいい人だよ。シラフならな。でもあれにお酒が入ったら、お前、覚悟しておいた方がいいぞ」


「え? どうなんの? え、待って? 覚悟って何??」


「覚悟は覚悟だよ、阿吽像の片割れ。口説いたツケは払えよ。絶対絡まれるぞお前」


 保護者を買って出たが紅葉は間違いなく出店のビールに口をつけるだろう。屋台の食べ物は大体三割増しで美味しく感じるものだ。酒豪の彼女が飲まない訳がない。


 酔っ払いアラフォーの相手がどれだけ面倒くさいか、存分に味わうが良い。


「アサカちゃんハナちゃん! ひづりちゃんたちが到着したよ~!」


 扉を開けるなり紅葉は両手を広げ、リビングのソファで待たせていたアサカとハナにひづりたち三人を紹介するようにした。……この人まだ酔ってないよな? テンション上がってるだけだよな?


「ひぃちゃんおかえり」


「ただいま」


 アサカが隣の百合川とラウラにちらちらと視線をやりながら出迎えの言葉をくれた。二人が腕を組んでいるのがどうも気になっているようだった。


「っていうかうわ~、百合川マジで来ちゃってるし……?」


 ハナが眼を細め、そう冗談めかして言った。百合川はにわかに眉を八の字にして悲しげな声を漏らした。


「えーやめて……『同窓会で言われて傷つくセリフ第一位』ここで持って来るのやめて……。俺被害者、被害者だよ……」


「ひひひ。冗談だよ冗談。誰も『帰れ』なんて言わないって~。でもさー嬉しいだろ~百合川ぁ~? 美女と美少女、揃い踏みだぜ? しかもお前、ひづりんの家来るの初めてなんだろ? 居心地の悪さはどうさ、男子? いひひひひ……」


 続け様にニヤニヤと笑いながらハナは百合川に言った。こいつもテンションちょっとおかしいな。


「いや、お前らが美少女なのは、普段からありがたく眺めさせて貰ってるから耐性はある。でも紅葉さんの綺麗さと、……ああ、確かに官舎の部屋に来るのは初めてだしちょっと緊張はする……。ってあれ? 官舎のお父さんは?」


 きょろきょろとリビングを見回して百合川は首を傾げた。


「父さん、今日仕事だから居ないんだ」


「あぁ、だから紅葉さんが保護者役なのね?」


 納得した様子で百合川は紅葉を振り返り、ポン、と手を打った。


「もちろんその前に浴衣の着付け担当でもあるんだけどね? という訳でさっそく着付けと行こうかぁー! 時間結構ギリギリになって来たから手早く済ませよう! 最初にあたしに脱がされたいのは誰だぁ~?」


 紅葉は自身の腰に手を置いて得意げに微笑んで見せると、改めて部屋に集まった女子高生四人に楽しげな、それとちょっといかがわしい響きのある声を掛けた。


「はい、はい! 私、お願いしたいです! 紅葉さんが作ってくれた浴衣、着てみたいです!」


 紅葉のノリに合わせてはしゃぎつつ、ラウラは百合川から腕を離すと羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てて下に着ていたポロシャツを一気にたくしあげた。


 ――待って。


「ち、違う違う待て待てラウラ!! 一人ひとり! 順番! この紅葉お姉さんが、別の部屋で、浴衣の着付けをしてくれるの! だから学校の体育の授業みたいに一斉に着替えるんではないの!! あとラウラが百合川連れて来たんだから、それ忘れちゃだめ!!」


 ひづりは慌ててラウラの腕を掴んでポロシャツの裾を下げさせた。しかしあまりの出来事にひづりもさすがに対応が遅れ、一瞬ではあるがラウラは完全に下着が見えるところまでたくしあげてしまっていた。アサカもハナも紅葉も、ぽかん、としていた。


 にわかに静まり返ったリビングでラウラはかたわらの百合川を振り返ると、「オウ……」と一言漏らした。


「そうでした。百合川、連れて来てたんでした。日本の浴衣初めてでしたから、楽しみで、すっかり忘れてました」


 ……忘れてたって、あなた、さっきまで一体誰の腕を掴んでいたつもりだったんだ。


 隣に居た百合川もやはりひづりと同じく対応が間に合わずに至近距離で思い切り《見えてしまった》らしく、今はその顔を両手で覆ってこちらに背中を向けていた。


「ひ、ひでぇ女だ、無理矢理連れて来ておいて……! ほんと気をつけてくださいよラウラさんさぁ! ちょっとどころじゃなく思いっきり見えちゃったじゃないですかコラァ! 健全な高校生男子になんてもの見せやがりますかこの、この……!! このあと意識してドキドキしちゃって花火大会どころじゃなくなっちゃったら一体どうしてくれるんですか! もうヤダこの子ぉ!!」


 顔を覆ったまま百合川はその様にくぐもった声で絶望を吐露した。ひづりは同じラウラの世話係としてその心中を察した。


「オーウ……。ごめんなさい百合川?」


 ラウラは申し訳なさそうな声で、背後から百合川の顔を少し覗き込むようにしながら謝罪した。


 やがて深いため息を吐くと百合川はゆっくりと振り返ってラウラの頭をぽんぽんと撫でた。


「…………許そう。百合川くんは寛大だからな……」


 しかし、百合川はそう諦念気味の声で呟くなり再び背を向け、トボトボと歩いてアサカが掛けていたソファの隣に背を曲げたまま静かに座り込んだ。……うん、今のは完全に百合川が被害者だよ。みんな分かってるよ。


「あはははは! じゃあいいや、脱いじゃった順で。ラウラちゃんにはまだ浴衣披露出来てなかったしね。着付けはひづりちゃんの部屋ですれば良いんだっけ?」


 紅葉はラウラの両肩に手を添えつつ、ひづりに訊ねた。


「あ、はい、そうです。私もついていきます。ラウラと紅葉さん、何となく二人揃えて放置すると暴走しそうな雰囲気あるし」


「えぇヤダなにそれー!? 言いがかりだよぉ! 信用ないなぁ! ひづりちゃんの部屋勝手に漁ったりしないよ紅葉さんはー!?」


「……今月の頭、紅葉さんがうちに不法侵入した時、私の部屋のクローゼットが開いてたのは一体何ででしょうか……?」


「あ、やっべ、バレてる……」


 紅葉は視線を逸らしながらラウラの陰に隠れるようにした。この叔母は……。


「というわけだから、着付けちょっと手伝って来る。続けざま待たせて悪いけど、アサカとハナは次どっちが着付けしてもらうか決めといて。百合川は……すまんな。女だらけの部屋じゃ落ち着かないと思うけど、まぁ三人で菓子でも食べつつ話でもしつつ、ゆっくりしてて。アサカ、悪いんだけど百合川にもお茶淹れてあげて」


 リビングにそう言い残し、ひづりは叔母とラウラを連れて自室へと向かった。


「ちょっと待ってひぃちゃん! それはつまりラウラさんの後、私たちもひぃちゃんに着付けするところを見られるってことでいいのかな!? じゃあその逆もあるのかな!? ひぃちゃんの着付けを私が手伝っても良いのかな!?」


「マジか。そいつぁたまらねぇ話だな。次の着付けはどっちが先に、ってより、ひづりんの着付けの手伝いをあたしとアサカどっちがするか、を決める方が重要になって来ちまったじゃねぇか……。燃えてきたぜアサカ。おい百合川男子、審判しろ。ラウラの着付けが終わるまでに勝負を決める」


「お前らまだ俺を巻き込むのか。あまりにも人の心が無いぞ」


 背後のリビングから友人三人のバカな会話が聞こえて来たが無視してひづりは自室の扉を開け、紅葉とラウラを案内した。






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