『愛されている』




「出来たわよ。二人とも、入って来て」


 襖を引き、甘夏が廊下で待機していたらしい二人に声を掛けた。ひづりは改めて変なところは無いかと姿見の前で少し落ち着かないまま髪や帯を触った。


「じゃーん。ほらひづりちゃん、こっち向いて向いて」


 幸辰と佳代秋を連れ戻すなり、甘夏はやけにはしゃぎながらひづりにそう促した。


「…………」


 甘夏と共にこちらへ視線を向けて来る二人に、ようやく覚悟を決めたひづりは無言のままゆっくりと振り返って見せた。


 楓屋紅葉製の上等な浴衣を身に纏い、容器からして高級そうな甘夏より贈られた和服用のヘアピンを飾り付けた己の今の格好。


 贈られた物への不満などほんの少しもひづりには無い。着物が似合わない身を自覚しているが、それでも楓屋紅葉が仕立てたものが似合わない人間など居る訳が無い事は分かっている。故に身につけたこれらを恥じ入る気持ちなど微塵も無い。


 ……しかし、どうあっても照れくささだけはその胸にはっきりと在って、如何に心の持ちようを決めようともその顔が熱くなっていくのを抑える事は出来なかった。特に視線を合わせる勇気が出ない。つま先から頭のてっぺんまで照れてしまって、もはや父と顔を合わせることすら困難だった。


「おお、似合うねぇ。しかし本当に良い出来だわ。さすがみーちゃん」


 佳代秋はその顎ひげを撫でながらまじまじとひづりの浴衣姿を眺め、主に妻の和裁技能の素晴らしさを褒めた。


「あぁ、やっぱりとっても可愛らしいわ。ぴったりだわ。ほら、ゆーくんも、もっと近づいて見ないと――」


「…………俺の娘が世界で一番可愛い……」


 幸辰ははしゃぐ姉に引っ張られて姿見のすぐそばまで来たが、ひづりと一瞬視線が合うなりその両手でおもむろに自身の顔を覆い、か細い声でそんな感想を漏らしながら膝から崩れ落ちた。


「うわぁあぁ悔しいぃ……。でもほんとめっちゃ可愛い……ひづりちゃん可愛い……。養子に欲しい……可愛い……。でも画竜点睛が姉貴のヘアピンなのがマジで悔しいいいいいぃ!! ……あぁ、でもやっぱめっちゃ可愛い……養子に欲しい……」


 紅葉は親指の爪を噛みながら悔しそうだったり嬉しそうだったり興奮したりと慌しくその表情を変えつつ、ひづりの周りをぐるぐると回っていた。


「ひづりちゃん、とっても似合っているわよ。とっても可愛いわ。そうだ、お写真撮らないと。ひづりちゃん、こっち向いて~。はい、チーズ! ……あ~素敵だわぁ! これ、待ち受けにしましょう。あとでゆーくんにもあげるね」


「……俺の娘が世界で一番可愛い……」


「悔しい……可愛い……めっちゃ可愛い……ひづりちゃん好き……」


 そんな具合で三兄妹はひづりのそばで延々『可愛い可愛い』と言い続けていた。


 しかし『可愛い』など普段あまりに言われ慣れていない身、ひづりはそろそろ顔が燃えるように熱くなってしまって限界だった。


「……あ、ありがとうございます!! とっても嬉しいです!! ……でも、可愛い可愛い言わないでください!! こちとら言われ慣れてないんですよ!! やめてください!! い、今からもう『可愛い』って言うの禁止します!! 髪飾り外します!! 浴衣脱ぎます!! 紅葉さん!! 脱がして!! でもお二人とも、本当にありがとうございます!! とても、とっても嬉しいです!! 大好きです!!」


 ひづりはそう叫んで紅葉と甘夏に、ぎゅうっ、とハグをすると、次に父と佳代秋を部屋から追い出して襖を閉め、髪飾りを丁寧に外してそっとケースにしまい、そしてすぐにまた立ち上がって紅葉の前に立ち、浴衣を脱がすよう催促した。


 えーもうちょっと着てようよ~、と駄々をこねる姉妹に、しかしひづりは断固としてその拒絶の姿勢を譲らなかった。顔が熱くて熱くて、もうしばらくは冷めそうにないほどだった。


 もう、本当に勘弁してくれ……。……嬉しいけども。








 花火大会の当日は紅葉がまた単身、ひづりと幸辰の家へ駆けつけて、集まったアサカやラウラたちへの着付けをし、そのままお祭へも保護者役として付き添う、という話に、本人たっての希望で決まった。


 こんな上等な浴衣を仕立ててくれた上に、お祭の当日にまたわざわざ一人で東京までへ来て、着付けをし、更に保護者役までしてもらうというのはさすがに気が引ける、と思いやんわりと断ろうと思ったところ、しかし先日、《和菓子屋たぬきつね》に彼女が来たがった理由をひづりはふと思い出してその口を噤んだ。


 『自分が仕立てた着物を、着る人が着て、ありのままに過ごしている姿が見たい』。楓屋紅葉はそこに自身の仕事のやりがいを見ている。それをひづりは知っていた。


 では、それならば。


 ひづりは『これらの浴衣を自分達が着て、そして夏祭りを楽しむ姿を保護者として付き添う紅葉に見せてあげること』、それこそが、こんな高価な誕生日プレゼントをくれた彼女への一番のお返しになるのだろう、と理解したのだ。


 『可愛い』の連呼に多少辟易こそしたが、しかしひづりは決して嫌ではないのだ。自分と父のことをいつも想ってくれる、父方の叔母と伯母からの贈り物が、たとえそれがどんなものであろうとも嬉しくない訳がないのだ。


 そうとも。こんなにも素敵な浴衣と髪飾りを身に着けて回れる今年の夏祭りが、一体どうして素朴になど終わろうか。


 ひづりは改めて紅葉に頭を下げると、再びハグをしてあげた。彼女は少しばかり驚いた様子だったが、「でへへへへ……」と嬉しそうな声を漏らすと腕を回して抱きしめ返して来た。


「紅葉が保護者役なんて、大丈夫かしら?」


 かたわらで甘夏が割と現実的な意見を述べると、紅葉はにわかにその顔を険しくして唸った。


「姉貴は友達との用事だかなんだかで来られないんだろ!? だったら大人しく悔しがってろってんだ! 第一、あたしだってひづりちゃんと同じ歳の子供居るっつーの! バカにすんじゃないよ未婚者ぁ!!」


「……あら、言うじゃないの。表に出なさい紅葉。その悪質無様な酒癖が治るくらいにその酔い、ええ、それはもうスッキリと醒ましてあげるわ……」


 甘夏は露骨に凄味の利かせた声を返しつつ紅葉の襟首を掴んだ。


「ああもう! だから! 私たちを姉妹喧嘩の間に挟むのはやめてくださいってば!!」


 いい加減さすがに嫌気が差し、ひづりは叫びながら二人を引き剥がした。


 この二人、本当にこれさえなければなぁ……。ひづりはこの姉妹に挟まれて育った父の気苦労というものに対し、毎度の事ながら同情の想いを馳せずにはいられなかった。









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