第36話 第十章 死闘⑥

「キース、何か縛るもんはねえか」

「ある。だが、縛ったところで、ウロボロスを使われれば意味がない。薬の効果時間も分からん以上、一件落着とは言えんだろう」

 キースの憂い顔に、ニコロは笑みを向けた。

「見てみろよ。間違いなく一件落着だ」

 代弁者の胸元が光っている。ふらりとよろめくニコロに代わって、黒羽が近寄り、代弁者の服を裂いた。

途端に、光が弾ける。

「う! こいつは……」

 黒羽は絶句する。代弁者の体に、岩に似た物体が無数に埋め込まれていたからだ。

「ドラゴニュウム精製炉。まさか、こんな形で装着していたなんて。今、あの世に送ってあげるわ」

 彩希は両手を握り、祈りを込めた。

(ああ、どうか。幸せな眠りを)

 同族の苦しみが癒えるように。あの世での生活が、これまでの地獄を忘れさせてくれるように。

「ああ、なんと……美しいのだ」

 囚われた魂は、自由へなれた喜びを眩いばかりの光で表現する。

「どうか、安らかなる眠りを。私達を見守っていて頂戴」

 魂は涙に濡れる彩希の頬を掠めてから、黒羽達の周りをたゆたい……徐々に高度を上げていく。

 日は昼から夕刻になる間際の頃。茜色になりかけの空に、無数の光が満ちる。花火のように派手ではないが、見た者に染みる優しさと悲しさを与えてくれる光は、やがて彼方へと消えさり、祭りの後に感じるわびしさをサヨナラの代わりに残していった。

「……もう、代弁者は薬を飲んでも力を発揮できないわ。キース、後はよろしくね」

「任されよ。黒羽殿、ちょっと手伝ってもらえませんか」

「構いませんよ」

 黒羽は、返事をしつつ、彩希の方を盗み見た。

 彼女は、木に寄りかかるニコロに向かって歩き、何かを話しているようである。

 気にはなったが、雰囲気から察するに大事な話なのだろう。

(邪魔しちゃいけないな)

 強引に視線を剥がす。

「……アレ?」

 ズキリと胸が痛んだ気がした。

 なぜ、そう感じたのか。黒羽にはわからなかったが、高校時代に好きだった先輩の姿が浮かんだ。

(どうして先輩のことを……)

 もう少しで、答えが見つかる気がしたが、「黒羽殿、ロープの端を持っててください」というキースの言葉を聞き、掴みかけた何かが心のどこかにすり抜けていった。

 ※

「狂乱の殺戮事件」の首謀者捕まる。

 この知らせは、多くの人々を驚かせた。

 ウトバルク本国は、代弁者に対する事情聴取を徹底的に行い、バーラスカ根絶とドラゴンを含む被害者救済に向けて活動することを発表した。

 ウトバルクは、事件解決に尽力した面々に、特別名誉勲章を授与することを決定したが、全員が辞退し、名前さえ公表されなかったため、吟遊詩人達の歌の中にひっそりと形を変えて語り継がれることとなった。


 ――代弁者捕縛の翌日。

 雲一つない青一色の空の下、黒羽達はプリウの入り口に集っていた。

「では、我々はウトバルク本国に帰ります」

「ええ、お気を付けて。ニコロ、お前大丈夫なのか?」

 黒羽はニコロの肩を叩くと、彼は余裕ぶった笑みで肩をすくめた。

「誰に言ってやがる。俺は一流の冒険者だぜ。麻薬中毒なんかに負けるかよ。あっという間に治して、元通りになるぜ。なあ、親父」

 ニコロは手にした槍に問いかけると、槍はほんのわずかな量のウロボロスを排出した。

「元気でね。また、縁があったら会いましょう」

 彩希がキースとニコロに手を振る。

 ニコロは、眩しそうに目を細めると、頭を振り親指を立てた。

「きっと会おうぜ彩希ちゃん。なんだったから、その野郎に嫌気が差したら、俺に会いにくればいい。いつでも歓迎だぜ」

「おい、別れのあいさつでそんなことを言うなよ」

 晴れやかな空に、笑い声が響き渡る。

 天気もそうだが、心も本当に晴れやかだ。

 ニコロは、キースに頷くと背を向けて歩き出す。

「じゃあな、秋仁。治療が終わったら、キースと二人でアンタの店に行く。せいぜいもてなしてくれよ」

「ああ、いつでも来い。自慢の料理と飲み物で歓迎するよ」

 黒羽はとびっきりな笑顔で、彼らを見送った。騎士達と合流し、その背中が見えなくなるまでずっと、黒羽達は入り口にいた。

「行ってしまったな」

「ええ、そうね。フフフ、変な人達だったわね」

 愉快そうに手を当てて笑う彼女に、黒羽はきまり悪そうに問いかけた。

「なあ、お前。ニコロと何を話していたんだ。ほら、代弁者を倒したあとに木の下で」

「え、ああ。返事を言ったのよ。彼、アジトから私達を逃がす時に、私のことが好きって言ってくれたからね」

 黒羽は、心臓の鼓動が速くなった気がした。

「お前はどう答えたんだ」

 彩希は、にんまりと笑い、黒羽の顔を下から覗き込みながら言った。

「どう答えたと思う?」

「茶化すなよ。もし、お前がアイツに付いていきたいっていうなら、行っても良いんだぞ。契約はここで切ればいい。その……遠慮はいらない。店は一人でも大丈夫だし、これまで通り、俺のできる範囲でお前の兄さんを止める手伝いもする。だから」

 続く言葉は、唇に当てられた彼女の人差し指にせき止められる。

「ねえ、秋仁。分からないの? 私はここにいる。あなたの傍に。それが答えよ」

 心なしか彩希の頬は赤い。黒羽は頭を大げさに掻くと、彩希の背中をポンっと押した。

「じゃあ、帰るか。明日から祭りで沢山の人に店をアピールする。忙しくなるぞ」


 昨日と変わらぬ風が吹く。違うとすれば、その風を浴びる者達の心だろうか。

 喫茶店の経営者とその従業員は、帰路に就く。風に髪をなびかせて、青空に負けぬ晴れやかさで笑いながら。

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