第24話 ライバルとの和解、燃え上がる闘志

心の迷いを解くことができ、大会への想いを新たにすることができたが、新に残された時間は一日だけであった。


ほとんど時間が残されていないが河本に向かって豪語した以上、退くことはできない。


しかし、焦りはあってもそのつもりは全く新にはなかった。


残された一日という時間を使ってできることを真っ当しようと闘志を燃やしていたのである。


「あの後、ちゃんと河本先輩と話せたのか?」


歌島での部活が始まろうとすると、龍馬が話し掛けてきた。


新は「話せた」とだけ答える。


「その目の色……なるほど、どうやら調子は戻ってみたいだな」


龍馬はそう言って笑みを浮かべると、それ以上何も言わなかった。


部活が始まって練習が始まった。



これまでの不調を取り戻す勢いで新はクロールを泳ぎ始めた。


荒れてしまったフォームを一掃して正しいものを体に覚え直す。


一度ついてしまった悪い癖はなかなか直せないものだが、水を掴む感覚に集中すると体が思い出したように動き出す。


力の入れ方抜き方の意識が戻り、それまでの機械的な泳ぎに意志がこもっていく。


時間は掛かってしまっていたが、確実に以前のような泳ぎができるようになっていた。


「大分速さが戻ってきたな。タイム計ってみるか?」


龍馬に言われて昼食を摂っていると、ストップウォッチ片手に言われた。


昼食の時間さえも惜しい新はごはんを掻き込みながら頷く。


早めに食べ終わってしまった新は龍馬たちが食べ終わらないままプールに飛び込んでしまった。


「せっかちな奴め。仕方ないな」


龍馬が弁当箱を持ちながら計測し始める。


宗も勝平も昼食を摂りながら新のクロールを見守った。



龍馬が合図を出すと、新は勢いよく飛び込み台から着水した。


水しぶきを龍馬にまで届かんばかりにあげながら荒々しく泳ぐ。


ただ荒々しいだけでなく、無駄の少ない泳ぎのフォームを新は見せる。


以前までの、ただ雑に見えたフォームは、今やかつてのものだった。



龍馬は弁当片手に泳ぎを見ながら言う。


「速いな……以前までの泳ぎが嘘みたいだ」


「タイムを見なくてもわかる。確実にスランプを抜けた速さだ」


計測が終わる間もなく、宗と勝平が新の泳ぎに歓喜し始める。


新の荒々しく効率の良い泳ぎはプールを折り返しても止まらない。


これまでのスランプはもう昔のこと。


それを示すかのように、新はそのままプールを泳ぎ切り、ストップウォッチは勢いよく切られた――。



そして日は移り、大会当日となった。


大会の会場は志摩崎高校のプールより大きく広い。


志摩崎のプールの方が新しかったが、観客席も多ければプールサイドも広く、天井は吹き抜けになっていて空が覗いていた。



これだけ大きな会場だとプレッシャーに負けてしまいそうだったが、今の新にはそれよりも大きな重荷が肩に掛かっていた。


胸の内の闘志も燃えていたので、気圧されることはない。



初乃とは一度だけ会うことができた。


選手の控え室へ廊下を歩いていると、志摩崎として参加している初乃と鉢合わせたのだ。


お互い気づいて立ち止まったので何か声を掛けようかと思ったが、何も話さなかった。


何も話す必要はないことに気づいて、新は笑って親指を立てた。


初乃も同じ気持ちのようでお互いにサムズアップして別れた。



開会式が終わって、インターハイの予選レースが始まった。


女子の種目が先のようで、新たちは観客席で時間を過ごす。


自分が出場する種目、100メートル自由形の時間まで、観客席で女子の試合を眺めていた。



ところが、新にとっては外せない試合があった。


初乃の出場する背泳の試合はどうしても見逃せない。


まだその試合まで時間があるというのに、新は出る訳でもないのに緊張してきてしまっている。


初乃ももしかしたら緊張してきているかもしれない。


そう考えると居ても立ってもいられず、じっと待っているのが苦痛になってきていた。



初乃が出場する試合が目前になった。


新が下を向いて待っていると、龍馬が観客席に戻ってきて声を掛けた。


「新、ちょっといいか」


新が「うん」と顔を上げる。


「お前に客人が来てる」


それを聞いて新は驚く。


こんな時に誰が会いに来るのか。


怪訝な顔していたが確かめてみて更に驚いた。


志摩崎の河本が席にやってきていたのだ。


「突然どうしたんですか?」

「一昨日のお前と同じだ。話したいことがあってここに来たんだ」


そう言って河本は静かに「隣いいか?」と言った。


新は動揺が収まらないまま「どうぞ」と答える。


「あれから初乃の調子が戻ったんだ。どれだけ練習しても初乃の泳ぎ方が悪くなるばっかりで、タイムも遅くなる一方だったのに、あの日お前が現れてから立て直したんだ。この大会までほとんど時間が残ってなかったのに、ずっと練習し続けてそれまでの泳ぎを取り戻していった。以前までの速さを……いやそれ以上の速さで泳げるようになったんだ」


「……僕もそうでした。初乃さんと会えなくなってからずっと自分の泳ぎができなくなっていたんですけど、志摩崎に行って河本先輩と話してから変われました。それから残った一日で今までを取り返そうと必死になってたんです」


話をしていると、初乃がプールサイドに出てくるのが観客席から見えた。


いよいよ初乃の出番になったようだ。



「それはどうしてなんだ? どうして調子が良くなったり悪くなったりしてたんだ?」


「……僕もはっきりとはわかりませんが、きっとお互いの心配で集中できなかったり、分かり合えたりしたからだと思います。面倒と思うかもしれませんがかもしれませんが、そういうものが全くなかったら、今の自分はなかったはずですよ」


新が答えても河本はまだ眉間をひそめたまま俯いていた。


どうにか納得してもらおうと新は何か言葉を掛けようとしていたが、ちょうど初乃の試合が始まった。



初乃が泳ぎ出したのを見て、新は身を乗り出して目を見張る。


初乃がバサロキックで水面に出て、背泳ぎを始める。


他の選手との差はほとんど付いておらず、まだ試合の結末がわからない。



初乃の泳ぎは、スランプだったとは思えないほど滑らかだった。


以前と同じように、いやそれよりも速く泳いでいるように見える。


泳いでいる初乃を見るのは秘密合宿以来だった新は本当に不調だったのか疑いたくなってしまうほど好調だった。



ターンする頃にはそれぞれの選手に差が出始めて、中には何秒も遅れてしまう者も出てきた。


その中で初乃は先頭を切って泳いでいく。


他の選手を引き付けず差を離していく姿に、新は手に汗を滲ませて見入っていた。



そして初乃が一位でゴールすると、新は思わず声を上げて立ち上がった。


河本も隣で見ているにも関わらず、まるで初乃と同じ志摩崎の部員のように歓喜した。


「やりましたよ河本先輩、初乃さんが一位ですよ!」


「あぁ、そうだな」


河本も新と一緒に笑みを浮かべていたが、それよりも新の喜び様で呆気に取られていた。


新の喜んでいる様子を改めて目にしても不思議に思えたのかもしれない。


「……やっぱりお前はわからないな。どうしてうちの学校の勝ちをそこまで喜べるのか不思議だよ」


「一緒に頑張ったから嬉しいんですよ!」


河本が新の言葉を反芻しながら「わかった」と答える。


眉間をひそめた難しい表情をしていたが、その口元だけは緩んでいた。


わからないと言われてしまったが、少しでも納得してもらえたようで新もまた口を緩めていた。


「次は男子の試合だな」


河本は聞きたいことを聞けたのか、席を立ち上がりながら言った。


「お前がどうであれ、俺が水泳で手を抜くことはない。本気で泳ぐからお前もその泳ぎ方で結果を見せてみろ」


新は志摩崎で話した時のことを思い出し息を飲む。


再び闘志を胸に宿しながら勇ましく「はい」と答えた。

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