第90話  人知を超えた絶対なる守護者――ザ・ディグニティ・オブ・コバルタス


 広大な屋敷の中庭で、長い金髪をアップにまとめた若い女性が黙々と腕立て伏せを続けていた――。


 それは半袖シャツに短パン姿のクレア・コバルタスだった。美しく整えられた花壇が並ぶ中庭には色とりどりの花が咲き誇り、いくつもの花びらから朝露あさつゆが時折こぼれ落ちている。そしてクレアのあごからも汗の球がとめどなくしたたり続け、全身からは白い湯気がうっすらと立ち昇っている。すると不意に屋敷から出てきた初老の男が、クレアに近づいて声をかけた。


「――クレアよ。ずいぶんと早くから鍛錬にはげんでおるな」


「ははぁっ!」


 その瞬間、クレアは両手で爆発的に地面を突き飛ばし、勢いよく立ち上がった。さらにすぐさま背すじを伸ばし、男に向かって敬礼した。


「おはようございますっ! ご当主様っ!」


「……2人の時は父でよい」


 その男はクレアの父にしてコバルタス家の現当主、ローガン・コバルタスだった。ローガンは中庭一帯に響き渡るクレアの大声を至近距離からまともに受けて、思わず顔をしかめていた。しかし、全身からあふれんばかりの生気を放出させているクレアは、父の困惑顔に気づくことなく、さらに声を張り上げた。


「かぁしこまりましたぁーっお父さまぁっ! 本日はぁっ! 朝の4時から筋力きんりょくトレーニングに励んでおりまぁすっ! きぃんにくこそがぁーっ! 騎士の力の源でございまぁーすっ!」


「……うむ、わかった。おまえの主張はじゅうぶんにわかったから、もう少し声を落とせ」


 ローガンは思わず手のひらをクレアに向けた。あまりの大声で鼓膜が少ししびれてしまい、これ以上は耐えられそうになかったからだ。


「それではクレアよ。鍛錬の成果を見せてみよ」


「ははっ! どうぞっ! 我が自慢のちからこぶをっ! とくとご覧くださいっ!」


 ローガンに言われたとたん、クレアは自信満々の顔で右腕を横に伸ばし、ひじを内側に曲げて胸を張った。しかしそのとたん、ローガンは思わず渋い表情を浮かべた。クレアの腕は白くほっそりしていて、ちからこぶがほとんど見当たらなかったからだ。


「うむ……どうやらおまえは、この世の誰よりも美の女神に愛されているようだな……」


「ははぁっ! おほめいただきっ! まことに恐縮でございますっ!」


 クレアは再び声を張り上げ、ローガンに向かって敬礼した。それでローガンは何かを諦めたかのように息を漏らし、近くのテーブルに置いてあったタオルをクレアに渡した。


「おまえに少し話がある。汗を拭いて聞くがよい」


「ははぁっ! かしこまりま――」


「それと、声はもう少し落とせ」


「はっ。かしこまりました」


 ようやく声量を落としたクレアを見て、ローガンも肩の力を軽く抜いた。それからクレアに体を向けて、話を始めた。


「さて、クレアよ。シャーロット様の返答の期日は3日後に迫っている。シャーロット様の様子はどうであった」


「は。体調に問題は見受けられませんでした」


「そうか。では、王位継承権者に名乗りを上げて、女王に即位する覚悟は固まりそうであったか?」


「いえ。いまだ、お悩みになられているご様子でした」


「まだ駄目か……。まさかひと月以上の時をかけても結論が出せぬとは……」


 クレアの言葉を聞いたとたん、ローガンは思わずうれいの息を吐き出した。


「愚か者を動かすのは容易たやすいが、軟弱な者はつかみにくい――。サイラス陛下の忘れ形見と聞いて期待していたが、ここまでお膳立てしても心が定まらぬとなると、あまり当てにはできそうにないな……」


「お言葉ですがお父様。ご心配には及びません」


「ほう。その根拠は?」


 不意にクレアがシャーロットをかばったので、ローガンは興味深そうにクレアを見つめた。


「王家の血筋に生まれた者は、必ずや王座への道を歩む運命を背負っているからです。シャーロット様はたしかにいつまでもウジウジと悩む軟弱な小娘です。ですが、我らは青蓮せいれんの騎士。そしてはすは、泥から美しき花を咲かせます――。ならば、あるじとして認めた方の決断を信じて待つのが、我ら青蓮騎士ロータスナイトの務めでございます」


「なるほど。シャーロット様は形のない泥ということか」


「ものの例えでございます」


「わかっておる」


 ローガンはクレアに鋭い視線を投げて、それから体を横に向けた。


「おまえがシャーロット様に肩入れすることを悪いとは言わん。しかし、シャーロット様はまだ我らの主と決まったわけではない。そして我らコバルタス家の悲願は、青蓮騎士団を王室騎士団へと導くことだ。ならば、どのような戦いの場であろうと、次善の策を用意しておくのは戦略として当然であろう」


「は。まことにそのとおりかと存じます」


「ではクレアよ。アンドレア様は知っておるな?」


 ローガンは花壇に咲く花々を眺めながら話を切り出した。するとクレアの眉が一瞬だけ跳ね上がった。しかしクレアはすぐに平静を取り戻し、淡々とした顔で口を開いた。


「先日暗殺された、アルビス殿下の妹君いもうとぎみでございます」


「そうだ。直系以外の王位継承権は一家に一名。ゆえに、アルビス殿下の死にともない、アンドレア様が王位継承権第12位に認定された。つまり事実上、カーク・ノーランドに次ぐ第2位の王位継承権者だ」


「は。存じ上げております」


「ならばわかるな」


 ローガンはクレアにゆっくりと顔を向けた。


「アンドレア様にはすでに話をつけてある。我らコバルタス家の切り札はシャーロット様で、すでに根回しはほとんど済んでおるが、保険は常に用意しておかねばならん。ゆえに、もしもシャーロット様のお心が定まらぬ場合、おまえはアンドレア様の騎士となるのだ」


「それはお断りいたします」


 威厳のこもったローガンの言葉を聞いた直後、クレアは一瞬の迷いもなくそう言い切った。


「自分はすでにシャーロット様に忠誠を誓っております。シャーロット様のお心が定まらぬうちに、変節へんせつを考えることはできません」


「まったく……。おまえも融通のかぬ騎士となりおったか……」


 堂々と胸を張って信念を主張したクレアを見て、ローガンは苦々しく顔をしかめた。


「その頑固さでは、マゾックのせがれと上手くやっていけるとは思えぬな」


「お言葉ですがお父様。クルト殿はすでに自分の婚約者でございます。そして、騎士と騎士との婚姻こんいん関係においてもっとも重要なことは、次の世代に騎士の血を残すことです。自分の性格が問題になることはありえません」


「もうよい。この話はこれで終わりだ」


 クレアは再び揺るぎない持論を父に返した。その曲がることのないクレアの意志を耳にして、ローガンは早々に話を切り上げ、首を小さく横に振った。


 騎士として、そして人間として、まっすぐな心を持つことは何ものにもえがたい宝であり、クレアはその宝を魂に宿している。しかし、誰もがそうではないことをローガンは知っていた。だからローガンは、自分にも他人にも厳しさを求める娘の未来をひそかに案じ、長い息を吐き出した。


「それではクレアよ。そろそろ本題に入るぞ――」


 ローガンはゆっくりと歩き出し、クレアの横を通り過ぎた。するとクレアも即座に回れ右をして、ローガンの背中についていく。


 初老の騎士と若き騎士はそのまま中庭の奥に建つ東屋あずまやに入り、小さな屋根の下で足を止めた。そしてローガンはクレアを振り返らずに話を始めた。


「つい先ほど、王位継承権者たちの命を奪った暗殺者について、最新の報告が届いた」


「それでは、警備軍がようやく捜査情報を開示したということでしょうか」


「うむ。まあ、あちらにも面子があるからな。捜査に進展がなければ、情報を出し渋るのも仕方あるまい」


 声に非難の色をにじませたクレアに、ローガンはさとすようにうなずいた。


「しかし、ようやく全体図が見えてきたらしい。まず、今回発生した一連の暗殺は、3つのチームが個別に行動しているとわかった。1つはカロン宮殿を襲撃した精霊術師。もう1つはカトレア姫を暗殺した5人の男たち。そして最後は、アルビス殿下とソニア姫の屋敷を、巨大な岩で押し潰した2人組みの魔法使いだ」


「は。その情報はすでに聞き及んでおります」


 クレアが淡々と口を挟んだとたん、ローガンは指を1本立ててみせた。話をかすなという意味だ。


「そのうち、2人組みの魔法使いについてはまだ何もわかっていない。しかし、5人の剣士たちについてはもうケリがついた。どうやら腕の立つ冒険者アルチザンが、たった1人で5人全員を始末したそうだ」


「なんとっ! それはまことでございますかっ!?」


「うむ。これは確定情報だ」


 驚きのあまり目を見開いたクレアに、ローガンはゆっくりとうなずいた。


「その冒険者アルチザンは、5人の敵を即座に打ち倒したと聞く。ゆえに、暗殺者を雇った黒幕の正体は聞き出せなかったが、それでもじゅうぶん以上の働きだ。これでようやく一矢報いっしむくいることができたからな」


「ですが、カトレア姫を暗殺した者どもは、白百合騎士団のアルバート・グロック殿を討ち果たしております。そのような腕の立つ者どもを倒した冒険者アルチザンとは、いったいどのような人物なのでしょうか」


「その情報は極秘事項ということで開示されなかった。しかし、冒険者アルチザンというのは自分の名前を売りたがる者どもだ。それが素性すじょうを隠すというのは考えにくい。そこから推測すると、おそらく警備軍に雇われた凄腕の刺客というところだろう」


「なるほど……。暗殺者に対して暗殺者を放ったということですか。ならばたしかに、公言こうげんを差し控えてもおかしくはありません」


 ローガンの憶測を耳にして、クレアは納得した表情を浮かべた。


「それでは、残りの1人、カロン宮殿を襲撃した者は判明したのでしょうか」


「うむ。その暗殺者の名は――ジャコン・イグバというそうだ」


「ジャコン・イグバ……」


 クレアはその名を口の中で呟いて、こぶしを固く握りしめた。


「ではその者が、お兄様のかたきということでしょうか」


「そう考えて間違いあるまい――」


 ローガンも瞳の中に鋭い光を宿しながら、世界のすべてをにらみつけた。


「その外道は、かつて北西大陸ジブルーンのイグタリネ王国魔法戦団を、たった1人で壊滅させた泉人族エルフという話だ。そして今は、『暴食ヴォレイシャスのイグバ』という異名いみょうとともに、世界中で暗殺をう闇の世界の住人らしい」


「かしこまりました。それでは早速、青蓮騎士を総動員して、その薄汚い暗殺者を捜索いたします。泉人族エルフとわかってしまえば、見つけることは容易たやすいでしょう」


「――待て、クレア」


 すぐさま動き出そうとしたクレアの気配をローガンは背中で察し、即座に呼び止めた。


「騎士団を動かしてはならん。そしておまえも、ヘンリーのかたきを討とうなどと思ってはならん」


「なっ!? なにをおっしゃいますかお父様! 気でも触れられたのですかっ!?」


 ローガンの淡々とした言葉に、クレアは両目を見開いた。しかしローガンは落ち着き払った声でさらに言う。


「冷静になって考えてみよ。コバルタスの長い歴史において、ヘンリーは最強とひょうされた騎士だ。そのヘンリーを倒したジャコン・イグバに、今のおまえでは勝ち目がない」


「そのようなことは関係ありませんっ! かなわぬまでも一矢たりとも報いねばっ! それこそコバルタス家の名折れですっ! たとえ勝てぬ戦いであってもっ! 我らには引けぬ時があるはずですっ!」


 クレアは唾を飛ばして父に吠えた。倒すべき敵がわかった今、最愛の兄を殺された恨みが爆発的に燃え上がったからだ。そんな怒りの炎に身を焦がすクレアに、ローガンは片手を向けて黙らせた。


「おまえの言いたいことはわかる。同じ騎士として、そしてヘンリーの父として、私にもジャコン・イグバを斬り捨てたい気持ちはある。その想いはおまえの怒りに引けは取らん。だがしかし、今ここで我らが倒れたら、コバルタス家の未来はどうなる」


 ローガンもこぶしを握りしめてそう語り、再びクレアに背中を向けた。息子の命を奪われた怒りに震える顔を、娘に見せたくなかったからだ。


「……よいか、クレアよ。我らはこの国を守る騎士の家に生まれたのだ。ならばこの国のため、耐えがたきにも耐えねばならん。そしてヘンリーがのこしたマーカスを一人前の騎士に導き、我らの誇りを伝えるのだ。それこそが、コバルタスの血を受け継いだ者の使命なのだ」


 その瞬間、鈍い音がわずかに響いた。クレアが奥歯を噛みしめながら、東屋あずまやの柱にこぶしを叩き込んだ音だ。しかしクレアはすぐさま背すじを伸ばして姿勢を正し、血がにじむ手でローガンの背中に敬礼した。


「クレア・コバルタス。ご当主様のご命令、たしかにうけたまわりました」


「うむ」


 信念のこもった父の言葉に、クレアは身を切る思いで従った。ローガンもまた、煮えたぎる怒りを抑えながらうなずいた。しかしその直後、ローガンは不意にくらい笑みをわずかに浮かべ、確信を込めた低い声で言葉を続けた。


「……しかしクレアよ。案ずることはない。ジャコン・イグバの命は、ほどなく刈り取られることがすでに決定しておる」


「刈り取られる……? それはいったいどういう意味でしょうか」


「そのままの意味だ――」


 ローガンは顔を上げて、はるかなる空の彼方に目を向けた。


「ジャコン・イグバとやらは、たしかに化け物級の暗殺者だ。しかし、上には上がいる――。我らがクランブリン王国には、人知を超えた最強の守り手が存在するのだ」


「最強の守り手……?」


 ローガンの言葉を聞いて、クレアは思わず首をひねった。そんな話は今までに聞いたことがなかったからだ。そしてそのクレアの困惑を感じたのか、ローガンは1つうなずき、続きを話す。


「これはごく一部の者しか知ることを許されぬ、国家の最重要機密事項だ。ゆえに七大貴族の一角である私ですら詳細は知らぬ。しかし先ほどの報告とともに、ある情報が届いた。どうやら数百年の眠りから目覚めた最強の守護者が、暗殺者どもの狩りを開始したそうだ」


「数百年の眠り!? その守護者は人間ではないということですか!?」


「……クレアよ。この世には、見てはならぬ闇の底というものが存在するのだ。それは騎士や貴族のみならず、王ですら例外ではない。なぜならば、我らが思っている以上に、人間というのは弱い存在だからだ――」


 ローガンはそう言って、自分の心を見つめながら長い息を吐き出した。


「その守護者の正体を知る者は、もしかしたら1人もおらぬのかも知れぬ……。しかし、その名の一部を耳にしたことはある」


「その名というのは、いったい……」


 クレアは思わず息を殺し、ローガンの背中をまっすぐ見つめた。その視線を受け止めながら、ローガンは静かな声で言葉を続けた。


「その人知を超えた者の名は、我らがクランブリン王国の建国時から存在する絶対なる守護者――だ」


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