第67話  ベッドの中の観察者――アンダーカバー・ブラックエンジェル


(ふわぁ~あ~……ああ、ねみゅい……)


 大人が5、6人同時に横になっても余裕がありそうな大きなベッドの中で、長い黒髪の少女が大きなあくびを漏らした。寝ぐせ頭の五熾天使ごしてんし、ホローズ・ホロブラックだ。掛け布団の下の暗闇の中で目を覚ましたホローズは、もぞもぞと指を動かして小さな空間画面を1つ作った。


(さてさて。メメンたちが何やら騒いでいたみたいだけど、いったいなにがあったのかにゃ~)


 ホローズは目の前の空間画面に映る映像を見ながら、小さな手で目元をこすった。画面の中には、白い床がどこまでも続く全知空間イグラシアの管理領域が映し出されている。そしてイグラシアの管理人である12名のメメンたちは、ソファに座って大きな空間画面を眺めていた。


(なるほど。みんなでネインくんの観察を続けていたってわけか)


 ホローズは目の前にもう1つ小さな画面を作り、メメンたちが見ているのと同じ映像を映し出した。そちらの画面には黒い岩と砂の大地に立つネインと、ネインを取り囲む5人の男の姿が見える。その5人が異世界種アナザーズであることをホローズは一目で見抜き、思わず小さな息を漏らした。


(へぇ~、リアルタイムの映像だと異世界種アナザーズの姿も見えるんだぁ。そんで、ネインくんが異世界種アナザーズたちに襲われているから、メメンたちは騒いでいたってわけね)


 ホローズは再びメメンたちに目を向けた。すると銀色のローブをまとった黒髪のハルメルが、赤毛のヒミナに慌てて声をかけていた。


「お願い、ヒミナ。ネインを助けてあげて」


「いや、助けろっておまえ、そんな必要はないだろ」


 ヒミナは軽く呆れた顔で、画面の中の男たちを指さした。


「あの5人の実力は、どう見たってシルバーゴーレムの足下にも及ばないからな。ネインなら余裕で倒せるだろ」


「でも、相手は5人もいるのよ。たった1人で5人と同時に戦えるはずがないじゃない」


「いやいや、あの程度の相手なら、5人だろうが10人だろうが問題ないって」


「だけど、ネインは人間なのよ。殺されたら死んじゃうのよ」


「またそれかよ……」


 必死に話すハルメルを見て、ヒミナは思わず頭をかいた。


「あー、もぉ、わかったわかった。それじゃあ、ネインがピンチになったらすぐに助けにいくから、それでいいだろ?」


「ううん。お願い、ヒミナ。今すぐネインを助けてあげて」


「うーむ……おまえってほんと、意外に押しが強いよな……」


「だって、ネインが怪我でもしたら大変だもの。それともヒミナは、ネインが死んじゃってもいいっていうの?」


「まあ正直なところ、ネインがどうなろうとアタシはどうでもいいけどな」


「そんなのだめよっ!」


 ハルメルは思わずヒミナにすがりつき、言葉を尽くしてヒミナを説得し始める。その必死なハルメルの姿を見て、ホローズは寝転んだまま肩をすくめた。


(……おやおや。ハルメルちゃんは相変わらずまじめだにゃ~。ま、それはどうでもいいとして、問題なのはイグラシアの方だけどね)


 ホローズはさらに3つ目の空間画面を作り、今度はイグラシアに記録された情報を引き出した。するとそこには、ほとんどリアルタイムのネインの姿が見えるが、周りを囲む5人の男たちはどこにも見当たらない。


(やっぱりねぇ~。イグラシアを通すと、異世界種アナザーズの姿は見えなくなっちゃうかぁ。ということはつまり、不正にアクセスされている箇所はイグラシアの情報収集システムではなく、保存領域ということになる――。しかし、無限に蓄積されていく膨大な情報の中から、ほぼリアルタイムで異世界種アナザーズの情報だけを選択して消去するには、とんでもない情報処理能力が必要になるはず。そんなことが可能なのは、ごく一部の存在に限られるんだよねぇ~)


 ホローズは画面の中で戦闘を開始したネインから目を逸らし、12名のメメンたちをじっと見つめた。


(……この宇宙で、そこまでの情報処理能力を持つ存在となると、神々を除けばそうはいない。まずはうちら五熾天使ごしてんしと、界竜かいりゅうの幹部である静定五竜せいていごりゅう。それと、七星しちせい女神と九大魔王にもなんとか可能。そしてあとは、こいつらメメンだけ――。しかし、今この場には12名全員がそろっていて、怪しい動きをした者は1人もいない。ということは、メメンの中に異世界種アナザーズのスパイはいないということか、または特殊な方法でイグラシアの情報を改ざんしているか、それともまさか――って、うん? なにかあったのかにゃ~?)


 思考に没頭していたホローズはハッと我に返った。不意にハルメルの悲鳴が響き渡ったからだ。そのハルメルの視線の先を見てみると、画面の中のネインの動きが完全に停止している。どうやら異世界種アナザーズの1人がネインの動きを何らかの方法で封じたらしい。それで慌てふためいたハルメルは、ソファに座っていたララチの手を引っ張って無理やり立たせて、話しかけていた。


「おねがい、ララチ。わたしをネインのところに連れていって」


「どうして?」


「ネインが危ないからよ。早く助けに行かないと、本当に殺されてしまうわ」


「でも、魔法が使えないハルメルがいっても、たすけられないから意味がない」


 ララチはキョトンとした顔で首をひねった。


「それなのに、どうしてハルメルはネインをたすけにいこうとするの?」


「ネインは一生懸命に生きているからよ」


 ハルメルは白い床に膝をつき、真剣なまなざしでララチを見つめた。


「小さな子どもだったネインは、なんの魔法も使えなかったの。だけど、家族のかたきを取るために必死に魔法を習得したの。そうして毎日まいにち寝る間も惜しんで体を鍛え続けてきたの。ネインはね、涙は流しても泣き言はいわずに、歯を食いしばって生きてきたの。そんなネインの姿を見ていたら、胸の奥が痛くなったの。わたしはメメンだから人間よりも丈夫な体を持っている。だけどわたしは、ネインみたいに頑張ってこなかった。必死になって魔法を習得しようとしなかった」


 ハルメルはララチの手をそっと握り、胸の中の想いを言葉に変えて伝えていく。


「わたしはヒミナやララチみたいに魔法が使えない。今まで誰にも言わなかったけど、それがすごく辛かった。だけどわたしは落ち込むだけで、魔法を覚える努力をしなかった。ただ毎日イグラシアの管理をするだけで、それ以上はなにもしてこなかった。でも、ネインは違う。ネインは自分の意志で自分の道を決めて、今日まで必死に生きてきた。先の見えない闇の中をたった1人でかき分けて、1歩ずつ歩いてきたの。だからわたしはネインを助けたいの。どうしても助けたいの。頑張って努力してきたネインが傷つくところなんて見ていられないの。だから、お願いララチ。わたしをネインのところまで連れていって」


「……よくわかんない」


 必死に言葉を尽くしたハルメルを見て、ララチは困惑顔で首をひねった。正直なところ、ハルメルの言葉はほとんど理解できなかった。ララチにとって人間は無関係の存在だったからだ。だから人間を助けたいというハルメルの気持ちには欠片かけらも共感できなかった。しかし、ララチにとってハルメルは同じメメンの仲間であり、その仲間が悲しそうな顔をしているのは見たくなかった。だからララチはハルメルを見つめながら、こくりと首を縦に振った。


「よくわかんないけど、ハルメルが真剣なことはわかった。だからつれていってあげる」


「ありがとう、ララチ」


「……あ、だったらあたしも一緒に行ってあげる」


 ハルメルが思わずほっと息を漏らしたとたん、長い水色の髪のミルシュがソファから立ち上がり、ハルメルに近づいた。


「ごめんね、ハルメル。あたしってちょっとにぶいでしょ? だから、ハルメルが今まで辛い思いをしてたなんてぜんぜん気づかなかった。ほんとにごめんね。だからそのお詫びに、あたしがあの人間を助けてあげる」


「あ! だったらボクも!」


 ミルシュの話を聞いたとたん、青い髪のシャーレも慌ててハルメルの前に駆けつけた。


「ミルシュが行くならボクも行きたい!」


「あんたは現能世界リアリスに行ってみたいだけでしょ」


「うん。たまには外で飛んでみるのもいいかなぁ~って。てへ」


 ミルシュに突っ込まれたとたん、シャーレはぺろりと舌を出した。するとヒミナもおもむろに立ち上がり、頭をかきながらハルメルたちに近づいた。


「……まったく、しょうがねぇなぁ。わかったよ。アタシがハルメルと一緒に行くから、ミルシュとシャーレはここで待ってな。おまえたちだと手加減しそうにないからな」


「え? ヒミナ、あんたなに言ってんの? 敵に手加減する必要なんてないじゃない」


「そうだそうだ! 周囲一帯まるごとぶっ飛ばすぐらいしないとつまんないじゃん!」


「だからおまえらはダメなんだよ……」


 ほぼ同時に抗議の声を上げたミルシュとシャーレを見て、ヒミナは深々と息を吐いた。それからミルシュとシャーレを軽々とソファに放り投げ、指でさしてにらみつける。


「いいか? おまえたちはそこから動くなよ?」


「え~、だったらお土産ぐらい持ってきてよ~」


「そうだそうだ! ボクも現能世界リアリスのお土産ほしい!」


「なにバカなこと言ってんだよ……」


 ヒミナは思わず額に手を当てて肩を落とした。するとハルメルが立ち上がり、ミルシュとシャーレに声をかけた。


「わかったわ。わたしがそのお土産というのを持ってくるから」


「おいおい、ハルメル。そいつらのおねだりなんか聞かなくていいぞ」


「ううん、いいの」


 思わず呆れた声を漏らしたヒミナを見て、ハルメルは首を横に振った。


「ミルシュ、シャーレ。ネインを助けてくれようとして本当にありがとう。わたし、すごく嬉しかった。お土産というのが何なのかよくわからないけど、なんとか探して持ってくるから。それではヒミナ、ララチ。ネインを助けに行きましょう」


「はいはい、わかったよ」


「うん。まかせて」


 ハルメルに再び顔を向けられたララチは、両手の指を2本ずつ立てて星の形に組み合わせた。そしてポーズを決めながら魔法を唱える。


「第10階梯ひかり魔法――星光ゲート・オブ天界門・スターライト


 その瞬間、ララチの前にきらめく光が無数に集まり、輝く門が現れた。するとハルメルはすぐさま門の中へと駆けこんでいき、ララチとヒミナも後に続く。そして光の門が消えた直後、銀色の髪のアイシイが、大きな空間画面を眺めながら低い声で呟いた。


「……まあ、今から行っても意味はないと思うけどね」


 その言葉に、残ったメメンたちはそろって無言でうなずいた。なぜならば、ネインが作った赤い光の鳥が5人の敵を燃やし尽くしていたからだ。


(……うっくっく。だったら教えてあげればいいのに、みんな空気読みすぎだにゃぁ~)


 ベッドの中のホローズは、メメンたちを見ながら腹を抱えてクスクス笑った。すると再び光の門が現れて、ハルメルとヒミナとララチが戻ってきた。ネインを助けに行ったはいいが、やることが何もなかったヒミナは半分白目を剥きながら自分のソファに腰を下ろした。逆にハルメルはさっぱりとした顔で、ミルシュとシャーレに小さな革袋を差し出した。


「はい。ネインからお土産というものをもらってきたわ」


「え? うそ、ほんとに?」


「やたーっ! で、お土産ってなんなの?」


 お土産の意味を理解しないままおねだりしたミルシュとシャーレは、興味津々といった顔つきでハルメルに近づいた。すると他のメメンたちもすぐに集まり、小さな革袋の中をのぞき込んだ。


「なにこれ? 茶色い砂?」


「これは砂糖というものよ」


 シャーレが首をひねって質問すると、ハルメルは指先に砂糖をつけてみせた。


「このまま舐めるか、お茶にいれるか、クッキーというものに使うってネインが言っていたわ」


「へぇ~。これ、舐められるんだぁ~」


 シャーレも指先に砂糖をつけて、ぺろりと舐めた。そのとたん、思わず目を丸くした。


「あっ! なにこれ! あま~い!」


「じゃあ、ララチも舐める」


 甘いと聞いたとたん、ララチも砂糖をぺろりと舐めた。続いて他のメメンたちも砂糖を舐めて、軽く驚きの声を漏らした。


「それでは、せっかくだから残りの砂糖はお茶にいれて飲んでみましょうか」


 ハルメルが提案すると、すぐに全員が首を縦に振った。それでハルメルは黒い空間ドアを作り、みんなの分のお茶をいれに行く。すると銀髪のアイシイと緑髪のプルネリ、それと紫色の髪のヤミリアもハルメルと一緒に姿を消して、残りのメメンたちは自分のソファに腰を下ろした。そして大きな空間画面に映るネインに目を向けたとたん――全員があっと口を開いた。なぜかララチがネインの腰に抱きついていたからだ。


「おいおい、あいつはいったい何やってんだよ……」


 ヒミナは思わず呆れ返った声を漏らした。そして、ネインからガラスのビンをもらって戻ってきたララチをじろりとにらんだ。


「おまえ、なんでネインに会いに行ったんだよ」


「ララチもおみやげもらってきた」


 ララチは悪びれることなく、むしろ自慢げに両手で持ったビンをヒミナに向けた。それからビンの中に入っていた小さな包みをメメンたちに1個ずつ渡していく。


「なにこれ?」


「あめ玉っていってた」


 茶色い紙に包まれた小さな塊を興味深そうに見つめたシャーレに、ララチは淡々と答えた。


「これも舐めると甘いっていってた」


「へぇ~、そうなんだぁ~。じゃ、さっそく、いただきまぁ~す」


 シャーレとララチはさっさと飴玉を口の中に放り込んだ。その直後、2人は幸せそうに顔を輝かせた。


(あ~、あめ玉かぁ~。いいなぁ~、アタシも舐めたいなぁ~)


 アメを舐めて軽く驚いているメメンたちを見て、ホローズは思わず指をしゃぶった。


(だけどなぁ~、今は極秘の潜入捜査中だから、あめ玉ちょうだいなんてさすがに言えないしなぁ~)


 そう思いながら、ホローズは掛け布団から顔だけを外に突き出してララチを呼んだ。


「……あー、ララちゃん、ララちゃん。アタシにもあめ玉ちょーだい」


 しかしララチは淡々とした顔で、首をハッキリ横に振った。


「いや。お仕事サボるホローズさまにはなにもあげない」


「え~、そんなケチなこと言わないで、ちょーだい、ちょーだい」


「や。ララチがもらったおみやげだもん。ぜったいあげない」


「それじゃあ~、今度フロリスがお土産持ってきたら、ララちゃんにも分けてあげるから~」


「だったらあげる」


 ララチはとたんにこくりとうなずき、包み紙から取り出した飴玉をホローズに向けて放り投げた。ホローズはすかさず口でキャッチして、嬉しそうに微笑んだ。


「いや~ん、ありがとぉ~」


「ホローズさま、やくそく、忘れちゃだめ」


「あいあい、わかってるって。それじゃあ、アタシはまた少し寝るから、おっやすみぃ~」


 ホローズは再びベッドの中に潜り込み、画面の中のメメンたちに目を向けた。


(ふ~ん、なるほどねぇ~。ハルメルちゃんにネインくんを観察させることで、思考と感情に刺激を与えることがアグス様の狙いだったのかぁ。そんで、ハルメルちゃんの中で芽生えた気持ちが他のメメンたちにも広がって、全員をよい方向へと導くってわけね)


 談笑しながら飴玉を舐めているメメンたちを見て、ホローズは軽く肩をすくめた。


(だけどなぁ~、このまま人間に感化されると、なんかどんどんダメになっていくような予感がするけど……ま、いっか。それはそれで面白そうだし)


 ホローズは口の中で飴玉を転がし、ニヤリと笑った。それから飴玉をガリガリと噛み砕き、小さなあくびを1つ漏らす。


(さぁ~てと。それじゃあそろそろ、お仕事に戻るとしますかねぇ~。まったく。メメンたちに気づかれずに、意識だけでイグラシアに潜って調査するなんて、ほんっとめんどくさいにゃぁ~)


 ホローズは再び目を閉じ、まどろみの世界に落ちていく。そして精神を体から切り離し、広大無限の全知空間イグラシアに潜入した。


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