インタールード――side:シャーロット・ナクタン

第57話  別れと祈りと涙の朝――ナイト&プリンセス


 薄暗い灰色の空に、悲しみの鐘が鳴り響いた――。


 そこは王都クランブルの北にある、小高い丘のふもとだった。きれいに整えられた芝生の広場がどこまでも広がり、長い石畳の道の先には教会の建物がかすかに見える。その教会の鐘楼しょうろうからは、凛とした鐘のが何度も響く。そして教会の近くにある建物の長い煙突からは、安らぎの煙が朝の空へと立ち昇っていく。


 教会の周りに広がる芝生は、明け方まで振り続けた雨を受けてしっとりと濡れていた。しかし金色の髪を肩まで伸ばした制服姿の少女は、濡れた芝生の上に両膝をつき、目の前にある滑らかな四角い石をじっと無言で見つめている。そして石の表面に刻まれた名前にそっと手を触れて、涙をこぼした。


「ポーラ……。なんで……どうしてこんなことになっちゃったのよぉ……」


 芝生の広場に整然と並ぶ無数の墓石に囲まれて、少女は声を殺して泣き続けた。少女の涙は止まることなく流れ落ち、もはや返事をすることのない親友ともの上に降り注ぐ。


 すると教会の方から、長い黒髪の女性が石の道を静かに歩いて近づいてきた。白い剣を腰にげた、制服姿の少女だ。その少女は、金色の髪の少女の横で足を止めると胸の前で両手を組み、目を閉じて祈りを捧げる。それからおもむろに口を開き、涙を流し続けている少女に声をかけた。


「……シャーロット。みんな、もう寮に戻るそうよ。あなたも私と一緒に帰りましょう」


「ジャスミン……」


 金色の髪の少女はゆっくりと顔を上げ、泣きはらした目で黒髪の少女を見つめて口を開く。


「でも……そしたらポーラ、また1人きりになっちゃう……」


「そうね。ポーラはああ見えて、寂しがり屋だったからね……」


 あごを震わせて言葉をこぼしたシャーロットを見つめ、ジャスミンも悲しみに顔を曇らせた。そしてすぐに膝をつき、シャーロットを抱きしめた。


「でもね、シャーロット。大丈夫よ。ポーラの魂はソルラインに旅立ったの。アグス様のお慈悲によって、ポーラは安らぎを得たの。だからもう大丈夫――。それにいつか私たちの魂も、ソルラインに導かれてポーラに会える。そうしたら、またみんなで一緒にお茶を飲みましょう」


「う……うう……うん、そうだよね……。またいつか……ポーラにまた会えるよね……。でもわたし……でもわたし……いますぐ会いたい……。ポーラにいますぐ会いたいのぉ……」


 シャーロットもジャスミンを抱きしめた。そして悲しみを吐き出して、声を上げて泣き続けた。




「……ごめんね、ジャスミン」


 しばらくして泣き止んだシャーロットは、再びポーラの墓石に顔を向けた。


「やっぱりわたし、もう少しポーラと一緒にいてもいい……?」


「ええ。もちろんよ」


 ジャスミンはポーラの名前にそっと触れて、首を小さく縦に振った。


「私は教会で待っているから、シャーロットはポーラに優しくしてあげてね。私はあまり優しくしてあげられなかったから」


「そんなことないよ。ジャスミンはポーラのこと一生懸命探していたじゃない。それに比べてわたしなんか、自分のことで頭がいっぱいで、こんなことになるなんて思いもしなくて……」


「こうなったのはシャーロットのせいではないわ。だからそんなに自分を責めないで」


 再び涙をこぼしたシャーロットの背中を、ジャスミンはそっとなでた。それからゆっくりと立ち上がり、もう1度両手を組んで祈りを捧げる。そして静かに教会の方へと立ち去った。すると入れ違いに、青い軍服姿の女性がジャスミンの横を通り過ぎた。長い金髪をアップにまとめた若い女性だ。背すじを伸ばして歩いてきたその女性はシャーロットの横で足を止めると、直立姿勢のままハキハキと口を開いた。


「――おはようございます、シャーロット様」


「えっ? ク、クレアさん? どうしてここに……?」


「はい。本日はご報告と確認にまいりました」


 不意に声をかけられたシャーロットは、泣きはらした顔を上げて呆然とした。するとクレアはシャーロットをまっすぐ見つめて言葉を続ける。


「まずはご報告です。昨日さくじつ、王位継承権第9位のカトレア・イストン姫殿下が王都に向かう道中で襲撃を受け、暗殺されました」


「……へっ?」


 淡々としたクレアの言葉を聞いたとたん、シャーロットはパチパチとまばたいた。


「あ……暗殺って、また殺されたんですか?」


「はい。また殺されました」


 クレアは表情のない顔で1つうなずき、話を続ける。


「そのため現在、元老院が緊急会議を開いております。カトレア姫の暗殺を知り、王都に向かっていた他の王位継承権者のほぼ全員が自分の領地に引き返したためです。それにより、月末に予定していた王位継承権者会談は、数か月ほど延期される見込みが高まりました」


「え? 会談が延期されるってことは……それじゃあ、も、月末までにしなくてもいいってことですか……?」


「はい。正直に申し上げますと、そういうことになります」


 おそるおそる尋ねたシャーロットに、クレアは素直に答えた。


「ですが、王座を空位にしておくことができるのは3、4か月が限界です。ですので、シャーロット様には来月の末までに、王座に就くお覚悟を固めていただきたいと存じます」


「来月ってことは……4月の30日までってことですか……?」


「はい。その日の夕刻に、再びお返事を伺いにまいります」


「そうですか……。わかりました。わたしも正直なところ、今は期限を延ばしてもらえると、すごくありがたいです……」


 シャーロットはクレアから目を逸らし、再び親友の墓に顔を向けた。するとクレアも墓石に視線を落とし、ポーラの名前を見つめながら口を開く。


「ご友人でしょうか」


「はい……。3日前に行方不明になって、路地裏で見つかったんです……」


「そうですか。ですが、人間は必ず死にます。お心をしっかりとお持ちください」


「そんなこと……簡単に言わないでください……」


 淡々としたクレアの言葉に、シャーロットは首を小さく横に振った。するとクレアはシャーロットの小さな頭を見下ろしながらさらに言う。


「特に難しい話ではありません。この世は出会いと別れの繰り返しです。涙を流すことがあっても、涙にとらわれてはいけません」


「だから……わたしはクレアさんみたいに強くなんかなれないんです……」


「これは強いとか弱いとかの話ではありません。できる、できないの話でもありません。親しい者が死ぬのは世の常です。そして誰が死のうと、ときは常に流れ続けます。ならば生きる者はなげき悲しむよりも、前に向かって歩き続けるしかありません」


「だからっ! わたしはあなたみたいに強くないのっ!」


 シャーロットは思わず声を張り上げた。そしてそばに立つクレアを見上げ、にらみつけながらさらに吠える。


「なんなのよ! さっきからいったいなんなのよ! 友達が死んだのよ! 10歳からずっと仲良しだったポーラが殺されたのよ! 頭が悪くて足も遅いダメなわたしにポーラはずっと優しくしてくれたの! そのポーラが死んじゃって! 薄汚い路地裏で殺されて! それでもわたしに泣くなって言うの!? なげき悲しんじゃダメって言うの!? そんなのできるわけないじゃない! こんなに胸が張り裂けそうな気持ち! 耐えられるわけがないじゃないっ!」


「それでも耐えるのが王族の務めです」



「ふざけんなぁーっっ!」



 淡々と言い放ったクレアに、シャーロットは全力で怒鳴りつけた。


「わたしはシャーロット・ナクタンよ! 生まれてから今日までずっとシャーロット・ナクタンとして生きてきたの! 王族として生きてきたんじゃない! わたしがわたしとして生きてきて! ポーラはわたしの一番の親友になってくれたの! そのポーラのために泣いてなにが悪いのよ! なげき悲しんでなにが悪いのよ! そんなことすら許されないって言うんなら! 王族になんかなりたくないっ! 女王になんかっ! ぜったいになってやるもんかぁーっっ!」


 静まり返った朝の墓地に、シャーロットの絶叫が響き渡った。シャーロットは怒りと悲しみに満ちた顔で涙を流しながらクレアをにらむ。その顔をクレアは淡々とした表情で見返して、ゆっくりと口を開く。


「自分も先日、兄の葬儀に出席しました。ですので、今のシャーロット様のお気持ちはわかるつもりです。そして、この胸の奥に突き刺さっている痛みもまた、シャーロット様と同じものだと思っております」


「あっ……」


 胸を押さえて語ったクレアの言葉を聞いたとたん、シャーロットはハッとした。


「そういえば、そうでしたね……。クレアさんも、お兄さんを亡くされたばかりだったんですよね……」


「はい。これは今までに一度も口にしたことはありませんが、自分は兄のヘンリーを、心から愛しておりました」


 クレアは淡々とした顔のまま、手を胸に強く押しつけながら言葉を続ける。


「兄は自分の目標でした。憧れでした。だから自分は兄のように強くなろうと思い、騎士の道を目指しました。そしてその兄が志半ばで命を散らし、ソルラインへと旅立った今、兄の意志を引き継げるのは自分しかいないと思っております」


「お兄さんの意志を、クレアさんが……?」


「はい」


 思わず呟いたシャーロットに、クレアは首を縦に振った。


「人間は必ず死にます。親しい者が死ぬのは世の常です。それでもときは流れ続けます。ならばあとに残された者は、しっかりと前を向いて歩くしかありません。それは心が強いとか弱いとかの話ではありません。できる、できないの話でもありません。やるしかないのです。生きている者は、死んだ者の分も生き続けるしかないのです。先人の意志を引き継ぎ、未来に伝える――。それこそが騎士の務めであり、王族の務めであり、人間としてのあるべき生き様なのです」


「それは……そうかもしれません……」


 胸に押し当てているクレアの手がわずかに震えているのを見て、シャーロットは力なくうつむいた。そしてポーラの墓石に目を向けて、そっと小さな息を漏らす。


「でもわたし……今は本当に悲しいんです。悲しくて悲しくて、胸が潰れそうなんです。いつも元気にお茶に誘ってくれたポーラがもういないなんて……こんなに悲しいこと、耐えられる気がしないんです……」


「はい。今はそれでよろしいと思います」


「えっ……?」


 不意に肯定したクレアの言葉に、シャーロットは思わず小首をかしげて顔を向けた。するとクレアは、やはり淡々とした表情のまま口を開く。


「王とは民を守り、導く者です。そして民を守ることができる者は、人の悲しみを知る者だけです。親友を亡くされたその悲しみを受け入れることができた時、シャーロット様は以前よりも力強く前に進むことができるでしょう。厳しい言葉で無礼を申しましたこと、どうかお許しください」


「え……? えっと……あ、はい……」


「ありがとうございます。それでは、本日はこれにて失礼致します。確認の件につきましては、また後日お伺いさせていただきます」


 シャーロットが小さくうなずくと、クレアは丁寧に頭を下げた。そしてすぐに元来た道へときびすを返し、背すじを伸ばして去っていく。


「なんだろ……。もしかしたらあの人、わたしを励ましに来てくれたのかも……」


 シャーロットは目元の涙を拭い、遠ざかるクレアの背中を見送った。それからポーラの墓に顔を向けて、少しの間思案した。


「……そういえば、ネインくんが言ってたよね。多くの人を守るためには、悪い人を見つけて殺せばいいって。それじゃあ、もしもわたしが女王になれば、そうやって多くの人を守ることができるかも……。そしてポーラを殺した犯人を見つけ出して、罪をつぐなわせることだってできるかもしれない……」


 シャーロットは墓石に刻まれたポーラの名前を見つめながら呟いた。そしてその青い瞳の中には、鋭い光が宿りつつあった。


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