第14話  運命の選択――ザ・ナイト・オブ・デスティニー


・まえがき


■登場人物紹介


・クララ・フォブズ

 11歳(現在の時間軸では18歳)

 チェルシーの従妹いとこ

 チェルシーとは姉妹のように仲がいい。

 アスコーナ村から少し離れた山で生活している。

 父はロバート。母はタマラ。



・ハンク・グリン

 38歳(現在の時間軸では45歳)

 チェルシーの父。妻はダリア。

 アスコーナ村でハーブショップを経営。

 ネインの父ザッハ・スラートの幼なじみで、大親友。

 ネインのことは実の息子のようにかわいがっている。



***



 夕焼けに染まる赤い空――。


 日暮れ間近の太陽がアスコーナ村の南にそびえる山々と、そのふもとの小さな集落を赤く照らしていた。そこは大きな木の家がほんの数軒だけしかないコミュニティーだが、それぞれが鶏や牛や豚といった家畜を多く飼育しているので、家畜小屋の中はそれなりに賑わっている。しかしなぜか人間が住む家の中はどこも静まり返っていた。


 そのうちの一軒――小さな集落の中で最も大きな家の一室に、茶色い髪の少女が静かに足を踏み入れた。背の低いやせた少女だ。少女は汲んできたばかりの水差しを抱きしめたまま木のドアをそっと閉める。そしてベッドの脇の小さなテーブルに水差しを静かに置き、椅子に座っている少女にささやきかけた。


「……どう、クララ。ネインは起きた?」


「ううん、ぜんぜん。ずっと眠ったまま。今日でもう丸二日ね」


 クララも声を潜めて返事をしながら、ベッドで眠るやせた少年に目を向けた。見るからに頬がこけたネインは死んだように眠り続けている。その動かない白い顔を見て、ネインより少し年上のクララは顔を曇らせて息を吐いた。それから部屋に入ってきた少女に小声で話しかける。


「チェルシーも寝てていいのよ。昨日もずっと徹夜でネインのそばにいたんでしょ?」


「ううん、もう平気。あたしはじゅうぶん寝てきたから」


 目の下に黒いくまのある顔でチェルシーはわずかに微笑み、クララの隣の椅子に腰を下ろす。


「それよりクララもお腹すいたでしょ。おばさんがシチューを作ったから食べにきなさいって言ってたよ」


「チェルシーはもう食べたの?」


「あたしはあとでいいから」


「そう。じゃあ、あとで持ってきてあげるね」


「……ありがと。ごめんね」


 無理やり微笑んだチェルシーを見て、クララは悲し気に微笑み返す。そして静かに部屋を出て、ドアをそっと閉めた。


 クララが去ると、チェルシーは椅子から立ち上がり、ネインの枕元にひざまずいた。そしてネインの頭に片手を添えて、静かな声で話しかける。


「まったく……。あんたはあたしがいないとほんとにダメなんだから……。第1階梯治癒魔法――治癒ヒール


 その瞬間、チェルシーの小さな手がわずかに光り、ネインの頭に治癒の力を送り始める。しかし傷は既に治癒師に治してもらったので意味はない。そのことをチェルシーはじゅうぶんにわかっていた。わかっていたけど、何もせずにはいられなかった。


「傷はもう治ってるのに……なんでよ……なんで目が覚めないのよ……」


 未熟な魔法を精一杯使うチェルシーの瞳から涙が流れ落ちた。するとその時、ネインの目がうっすらと開いた。


「……えっ?」


 チェルシーはビックリして反射的に手を引っ込めた。そしてまじまじとネインを見つめる。するとやはりネインの目がわずかにひらいている。しかも少しまぶしそうに細めた目が、次第に大きく開いていく。


「ネ……ネイン? ネイン? あんた、気がついたの?」


「チェル……シー? なん……で?」


 チェルシーがおそるおそる声をかけると、ネインはわずかに首を傾けてチェルシーを見た。そのとたん、チェルシーは部屋を飛び出して声を張り上げた。


「おっ! おとっ! おとうさぁーんっっ! ネインおきたーっ! ネインが目を覚ましたのっ! はやくきてーっっ!」


 するととたんにいくつもの慌てる声と足音が家中に響き、数人の大人とクララが一気に駆け込んできた。そして真っ先に入ってきた中年男性が、ネインの顔をのぞき込みながら声をかける。


「ネイン、気分はどうだい? どこか痛いところはあるかい?」


「ハンク……おじさん……。なんか、耳がちょっといたい……」


「お父さん、声大きいよ。もっと静かにしゃべってよ」


 再びベッドサイドに戻ってきたチェルシーが、父のハンクをにらみつけた。ハンクは娘に一つうなずき、声を落としてネインに尋ねる。


「それじゃあ、ネイン。他に痛いところはあるかい? 手や足は動かせそうかい?」


「ほか……?」


 ネインは静かに息を吐き出し、目を閉じた。そして再び目を開けて、細い腕と足をシーツの中でもぞもぞと動かし、ゆっくりと体を起こす。その様子を見たとたん、部屋にいた者はみな、ほっと胸をなで下ろした。


「だいじょうぶみたい……。でも、ちょっとクラクラする……」


「ああ、無理に立たなくていいぞ。チェルシー、水を」


 チェルシーは慌てて木のカップに水を注ぎ、ネインに手渡す。ネインは両手でカップを持ち、ゆっくりと飲み干した。それでようやくハンクも安堵の息を吐き出した。


「どうやらもう大丈夫みたいだな。一時はどうなることかと思ったよ」


「おじさん……ここは……?」


「ああ。ここはロバートの家だ。ここが一番近かったから、おまえを運んできたんだ」


「ロバートおじさんのとこ……?」


 ネインがハンクの後ろに顔を向けると、クララの父のロバートと母のタマラが優しく微笑んだ。それからロバートはネインに一つうなずき、妻とクララを連れて部屋から出ていく。ハンクの妻のダリアもすぐにチェルシーの手を引いて部屋をあとにした。


「おじさん。父さんと母さんとナナルはどこ?」


 部屋に二人きりになったとたん、ネインは首をかしげながらハンクに尋ねた。その質問を予期していたのだろう。ハンクは顔を曇らせながら椅子に腰を下ろし、重い口をゆっくり開く。


「……ネイン。落ち着いて聞いてくれ。おまえたちが乗っていた馬車は落石に巻き込まれたんだ」


「らくせき……?」


 ネインはパチクリとまばたいた。ハンクの言っている意味がよくわからなかった。


「そうだ。ササンの村に向かう途中に崖に挟まれた山道があるだろ? あそこが崩れたんだよ。二日前の夕方、ササンからの郵便馬車があそこを通りかかった時、落石に巻き込まれたおまえたちを見つけて報せてくれたんだ」


 ハンクはいったん言葉を区切ってネインを見つめた。しかしネインは相変わらず呆然とした表情を浮かべたままキョトンとしている。ハンクはしばらく迷ったが、すぐに小さく首を振り、話を続ける。


「連絡を受けた私たちはすぐに事故現場に駆け付けた。そしたら岩の下に挟まれていたおまえを見つけたので、一番近いこの家まで運んできたんだ」


「父さんと母さんとナナルは?」


「それは……」


 ネインは自分のことよりも家族のことを気にしている――。少年のまっすぐな瞳はそう語っていた。だからハンクは思わずネインから目を逸らした。そして奥歯を噛みしめながら決意を固め、ゆっくりとネインに告げる。


「……他のみんなは手遅れだった。おそらく雷に打たれたんだろう。私たちが駆け付けた時にはもう、ザッハとジュリアさんとナナルちゃんは死んでいたんだ……」


「しんでいた……?」


 その言葉に、ネインは不思議そうに首をかしげた。その小さな黒い瞳はハンクをまっすぐ見つめている。ハンクは思わず悲しそうに顔を歪め、無言で床に目を落とした。今にも泣き出さんばかりの表情だ。そのハンクの想いが、その悲しみが、ゆっくりとネインの心に染み込んでいく。


 そして不意に、ネインの瞳の中で光が揺れた。


 それは悲しみをたたえた光だった。それはこぼれ落ちる心の光だった。父と、母と、妹に、もう二度と会うことはできない――。その残酷な真実に、ネインはとうとう気づいてしまった。


「とうさんと、かあさんと、ナナルはどこ……?」


 ネインは泣いていた。小さな肩を震わせて、ネインは泣きながらハンクに尋ねた。


「それは……」


 ハンクの口は重かった。人生で一番重かった。だからそのあとの言葉が続かなかった。だからただひたすら床を見つめることしかできなかった。


「おねがい……おしえて……」


 ネインはハンクにお願いした。泣きながらふらふらと立ち上がり、うな垂れているハンクにすがりついた。その言葉に、小さな子どものお願いに、ハンクの心は耐えられなかった。


「……三人は庭にいる。本当はすぐに火葬しなくてはいけないんだが、おまえが起きるまで待ちたかったんだ……」


 家族の居場所を聞いたとたん、ネインはすぐに部屋を出た。そして壁に手をついてふらふらと歩き、裸足のまま外に出た。


 部屋の外にいたチェルシーとクララは慌ててネインを止めようとしたが、二人はネインの涙に気付いてしまった。それで黙ってネインの背中についていくことしかできなかった。


 外は既に日が沈み、空は藍色に変わっていた。


 ネインは広い庭を見渡し、直感で中央に足を向けた。月明かりに照らされた薄闇の中に大きな黒いかたまりが見えたからだ。そばまで近づいてみると、それはきれいに積み上げられたたきぎの山だった。そしてその薪の上で、布に包まれた家族がネインを待っていた。大きな布が二つと、小さな布が一つ――。ネインの家族は静かに身を寄せ合って眠っていた。


「とうさん……かあさん……ナナル……」


 もはや動くことのない最愛の家族にネインはすがりついた。そしてすがりついたまま、声を上げて泣き続けた――。



 それからしばらくして、泣き疲れて眠ったネインをハンクが抱きかかえて部屋に運んだ。続けてチェルシーも部屋に入り、ベッドで眠るネインの足をきれいに拭いた。それから替えの服をテーブルに用意し、ベッドの脇に靴を置く。


「さあ、チェルシー。今夜はもう、ゆっくり寝かせてあげよう」


「うん……」


 父のハンクに促され、チェルシーは部屋の外に出た。そして月明かりが射し込む室内を振り返り、再び動かなくなったネインを少し見つめてから、ドアをそっと閉める。チェルシーはハンクに優しく肩を抱かれ、そのまま無言で居間に向かった――。


 その直後、ネインがベッドの中でゆっくりと目を開けた。本当はチェルシーに足を拭いてもらった時に眠りから覚めていたのだが、話しかける気分にはなれなかったので寝たふりをしていたのだ。


(ごめん、チェルシー……)


 ネインは胸の中でチェルシーに謝った。そして横になったまま暗い天井をじっと見つめ、記憶をゆっくりとたどり始める。今はなぜか、そうしなくてはいけない気がしたからだ――。


(雷が落ちた……崖が崩れるぞ……)


 父の言葉が耳の奥に残っている。


(そうだ……父さんはそう言った……。それで母さんがナナルと一緒に馬車の外に飛び出したんだ……。そのときボクは……馬車が揺れてつまずいた。それから……それから……)


 ネインは目を閉じて息を吐いた。事故の時のことを思い出そうとしたら、急に頭の中にきりがかかったからだ。


(なんだろう……。なにか……なにかがあったような気がするのに、ぜんぜん思い出せない……)


 ネインは再び目を開き、ベッドからゆっくりと立ち上がる。


(……理由はまったくわからないけど、なぜかこのままではいけない気がする。たぶん、あの時なにかがあったんだ……。そうだ。なにかがあったんだ。それが大事なことかどうかはわからない。でも、なんとか思い出したい……。ボクは、なにかを思い出さなくてはいけないんだ……)


 ネインは胸に手を当てた。すると今度は母の言葉が体の中に広がっていく。


(どんな選択の先にも道はある……。大事なのは、自分で選んだ道を全力で生きること……。それじゃあ、いまのボクはなにをしたいんだ……? なにを選択したいんだ……?)


 ネインは月明かりでできた自分の影を見下ろした。そして見下ろしながら考える。考える。考えて、考えて、考え抜く――。そうしてようやく一つの答えにたどり着いたとたん、ネインは目に力を込めて顔を上げた。


「そうか……。ボクはきっとそうしたいんだ……」


 ネインは瞳の中に決意の光を宿して呟いた。それからすぐにベッドの脇の靴をはき、窓からそっと外に出る。そして月と星が輝く夜空の下を、暗い森に向かって全力で駆け出した――。


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