第13話  絶対神の目覚め――ウェイクアップ・ジ・アグス その2


 安息神域セスタリアの上空を漂う巨大な浮遊城ハイマグス――。


 その中央にそびえるアグスタワーの上層階に一つの広間がある。その広間の中央には清浄な水をたたえた青い泉があり、そこからあふれ出る水が三方に伸びる水路へと流れ、泉を囲む蓮池はすいけを満たしている。


 その広間の周囲には壁がなく、背の高い無数の黄金の柱に囲まれている。そしてそれらの柱のあいだからはセスタリアの美しい空と、魂が寄り集まってできた光の川ソルラインが目に映る。そこはゆったりとした水と時が流れる神泉しんせんの間――ホリビスの泉だった。


 その清浄な広間に突然光の柱が発生し、中から絶対神が姿を現した。黄金色の髪を持つ絶対神は光輝くローブをひるがえし、広間の中央へとまっすぐ進む。そして迷うことなくホリビスの泉に足を踏み入れた瞬間――周囲の景色が一変した。


 絶対神は足を止め、周囲の景色をじっくり眺める。ほんの一瞬前まで存在していた青い泉も蓮池も、黄金の柱の間から見えていた空も光の川もすべて消えている。そこは一面、真っ白な空間だった。上下左右のどこを見ても何もない、無機質な空間だ。


「ふむ。入口に異常はなさそうだな」


 絶対神は一つ呟き、それからゆっくりと歩き始める。すると前方に突如として人影が現れた。背の高い若い女性だ。その焦げ茶色の短い髪の女性はゆったりとした動きでひざまずき、こうべを垂れる。


「グラリスか」


「はい。我らが主、アグス様。お待たせしまして申し訳ございません」


「ふむ……。お主もたしか生真面目な性格だったな」


「……おそれながら、我らメメンはアグス様に生み出されし存在。この世界のすべての情報を記録する全知空間イグラシアの管理を任されておりますゆえ、気のゆるみは一時いっときたりとも許されません」


 グラリスは落ち着いた声で返事をした。するとその時、グラリスのはるか背後に黒い空間が発生した。そしてその空間が大きなドアのように開いたとたん、中から背の低い少女が飛び出した。


 それは真っ白な髪を腰まで伸ばした細身の少女だ。しかもゆっくりと歩き出した少女は絶対神の存在に気づくと、クスクスと笑いながら小さな手を振り始める。そして次の瞬間――いきなり転んだ。しかし少女はやはりクスクスと笑いながら起き上がると、再び黒いドアのような空間を作ってその中に姿を消した。


「……うむ。そうだな。気のゆるみは許されないよな、うん。まあ、あれはかわいいけど……」


 絶対神はクスクス少女を呆然と見送ってぽつりと呟いた。それから、クスクス少女がいたことにまったく気づいていないグラリスに声をかける。


「ではグラリス。我をイグラシアの管理領域まで導くのだ」


「かしこまりました」


 絶対神の命令を受けて、グラリスはすぐに立ち上がる。そしてクスクス少女のように黒い空間を開き、絶対神を案内する。その黒い空間ドアの内部は黒い通路になっていて、少し歩くと再び白い広間に出た。


 絶対神はその広大な白い空間の中央まで進み、おもむろに右手をかざす。すると周囲の空中に無数の映像が表示された。それらは惑星神ヴァルスが作成した年表を基に抽出した、第9世代人類の記録映像だった。半数以上が人間同士、または人間と魔獣の激しい戦いを映している。絶対神は立ったまま腕を組み、それらの記録をじっくりと眺めながらグラリスに問いかける。


「グラリスよ」


「はい」


 髪の色と同じ焦げ茶色のローブをまとったグラリスは絶対神の横に近づき、耳を傾ける。


「イグラシアに異常はないか?」


「ございません」


 返事と同時にグラリスは手をかざし、白い空間に巨大な映像を映し出した。それはイグラシアの映像だった。


 そこはどこまでも永遠に広がる黒と、淡い光の世界だった――。その暗い空間のはるか高みの天上には無数の星々がきらめき、無限に広がる黒い大地には光の大木が果てしなく整然と並んでいる。そして何億、何兆、何けい、何がいという膨大な数の光の木々の間を、いくつもの光の川が緩やかに流れている。


 その光の川は天上の星々からこぼれ落ちる光の粒でできており、その粒の一つひとつがこの宇宙の情報だった。それらの光の粒は川となって黒い大地をゆったりと流れ、あちらこちらの光の大木へと吸い込まれていく。そうして光の木々は、この宇宙で発生したすべての情報を蓄積して成長していく。これが全知空間イグラシアの姿だった――。


「御覧のとおり、イグラシアは滞ることなく正常に稼働しております。これまでに異常が発生したことはございません」


「そうなんだよなぁ~。我が作ったイグラシアでさぁ~、エラーが発生するなんてありえないんだよなぁ~……じゃなくて、オホン」


 思わず本音が漏れた絶対神は、慌てて威厳のある声色に戻してさらに問う。


「それではグラリス、質問を変えよう。イグラシアのことでなくともよい。お主の周囲で何か問題は起きておらぬか? どんなことでも構わぬ。気づいたことを申せ」


「はい。それでは、おそれながら申し上げます。我ら12名のメメンの中で一人だけ、悩みを抱えている者がおります」


「悩み? 誰のことだ?」


「ハルメルでございます。ハルメルはどうやら自分だけが魔法を使えないことに、引け目を感じているものと思われます」


「なんだと?」


 絶対神は記録映像から目を逸らし、グラリスをまっすぐ見つめる。


「魔法を使えないとはどういうことだ? お主たちにはイグラシアの管理のために最高位の魔法発動権を与えているはず――って! あっ! そうかっ! ハルメルはアレかっ!」


「はい。アレでございます」


 思わず自分で自分の額を叩いた絶対神に、グラリスは淡々と答える。


「イグラシアは聖浄せいじょうなる絶対空間であり、我らメメンはイグラシアの管理を司る存在――。ゆえに、ここを離れることはありません」


「そうか。それでハルメルは魔法を使えず、劣等感を抱いてしまったということだな……。わかった。よくぞ申したグラリス。ハルメルのことは我が考えておこう」


「我らが父アグス様のご厚情こうじょうに、心より感謝申し上げます」


 グラリスはその場で片膝をつき、頭を下げた。


「うむ。それよりグラリス。おもてを上げてこれを見よ」


 絶対神はグラリスを立たせ、目の前に広がる記録映像の一つに顔を向ける。グラリスはその映像を見たとたん、わずかに首をひねった。


「これは……戦闘訓練でしょうか?」


 その映像には剣と盾で武装した一人の男が映っていた。必死の形相で目を血走らせ、砕けんばかりに奥歯を全力で噛みしめた男だ。周囲には誰もいない草原で、その男はなぜかたった一人で前後左右に跳び回り、何度も何度も剣を振り続けている。


「違うぞグラリス。その人間の体をよく見よ」


 絶対神に言われ、グラリスは目を凝らした。するといきなり男の腕に赤い筋が走った。切り傷だ。何も触れてはいないのに男の体にはさらにいくつもの赤い筋が走り、その度に血が噴き出す。しかも男の盾が突然勝手に弾け飛び、男の胸に穴が開いた。そうしてたった一人で剣を振るっていた男は口から激しく血を噴き出し、その場に倒れて絶命した――。


「これはいったい……?」


 グラリスは思わず言葉に詰まった。


「わからぬか。では、こちらを見よ」


 絶対神は別の映像を表示してグラリスに見せた。それは大規模な戦争の映像だった。馬に乗った無数の騎士たちが戦場のあちらこちらで剣を交え、激しい戦いを繰り広げているところだ。


「よいかグラリス。その馬を見よ」


 絶対神は戦場のほぼ中央を駆け抜ける一頭の馬に向かってあごをしゃくる。それは鞍をつけた無人の騎馬だった。


「あの馬には騎士が乗っていないようですが……」


 グラリスは馬を見たとたん困惑した表情を浮かべた。その馬にはたしかに誰も乗っていないのだが、その馬とすれ違った騎士たちが次々と首から血を噴き出して落馬していくからだ。


「あれはもしや、透明化の魔法を使用した騎士が乗っているのでしょうか?」


「いや、違う。あの馬の周囲に魔法の気配はない。とても信じられぬことだが、馬に乗っている人間の情報が


「そんなっ!? イグラシアから情報が消えている!?」


 絶対神の言葉に、グラリスは両目を見開いて驚愕した。


「つい先ほど、ヴァルスからそういう報告があったのだ。イグラシアを通すと見えない人間が爆発的に増えているとな。我もこの目で見るまではヴァルスの勘違いだろうと考えていた。しかしどうやら、ヴァルスの危惧きぐは正しかったようだな」


 絶対神は語りながら無数の記録映像を表示していく。それらはどれも戦いの映像だった。しかもそのすべてが、見えない敵と戦っている人間たちの映像だ。


「そんな……こんなことが……イグラシアから情報が消えるなんて……」


 グラリスは無数の記録映像を見ながら愕然と呟いた。


「ヴァルスはこの見えない謎の人間たちを異世界種アナザーズと命名した。イグラシアに記録されないのは異世界の存在だという推論だ。しかし我はそれを信じなかった。異世界からの侵入者などいるはずがない。おそらく妖精フェアリー死霊デスレイどもの仕業だろうとたかくくっていたのだ。ところがこうしてイグラシアの記録を調べてみると、そのような気配はまったく感じられない。ではなぜ、こやつらの姿が見えないのか――」


 絶対神は言葉を区切り、グラリスをまっすぐ見つめて口を開く。


「グラリスよ。よく聞くのだ。ヴァルスの推測は半分正しい。我らとは異なる異質の存在が、我らの世界に侵入したのだ。そしてその謎の侵入者どもは異世界の存在だからイグラシアに記録されないのではない。異世界種アナザーズどもは、この


「そっ……そんなまさか……」


 その衝撃の言葉にグラリスは絶句した。


「よいかグラリス。心して答えるのだ。ヴァルスの調査によると異世界種アナザーズの最初の一体は2228年前に発生した。その頃から今この時まで、我以外にイグラシアを訪れた者の名前をすべて挙げよ」


「は、はい……」


 グラリスは唾をのみ込み、心を落ち着けて口を開く。


五熾天使ごしてんしハイエム・ハイスカイ様。五熾天使ヒルダン・ヒルトーニ様。五熾天使ヘイムール・ヘイムレン様――以上でございます」


「ふむ。フロリスとホローズは来ておらぬのだな?」


「はい。わずか2000年弱の短期間にすべての五熾天使ハイラム様がいらっしゃることはありません。それにフロリス・フラウロゼ様とホローズ・ホロブラック様は現在、お休みになられていると伺っております」


「なるほど。つまり当該期間にイグラシアに入ったのは、我とお主たちメメンを含めると16名ということか」


「ご懸念けねんとあらば我らメメン12名、いつでもイグラシアの管理からお外しになってください」


「その懸念はしておらぬ」


 不意にひざまずいたグラリスの頭を絶対神は優しくなでながら言う。


「お主たちを生んだのは我だ。お主たち以上に信用できる者はおらぬ。今までどおり、イグラシアの管理はお主たちに任せる」


「かしこまりました。我らメメン一同、身命しんめいして我らが父アグス様のご期待におこたえすることを誓います」


「うむ。ではグラリス。我をホリビスの泉まで導くのだ。そして以後イグラシアには、我と五熾天使以外は通してはならぬ。よいな」


「ご命令、たしかに承りました」


 グラリスはひざまずいたまま頭を下げる。それからすぐに立ち上がり、ホリビスの泉に通じる黒い空間ドアを開く。そして絶対神が一人でホリビスの泉に戻ると、空間ドアはすぐに閉じた。


「さて。――ハイエム」


 清浄な水をたたえた泉の前に立った絶対神は、再び空色の髪の天使を呼んだ。とたんに青い光の柱が発生し、ハイエムが姿を現す。


「お呼びでしょうか、我が主」


「うむ。少々時間がかかったが、イグラシアでの調査が一段落した。これよりお主ら五熾天使全員に話がある。その前に報告を聞こう。バルバエルは戻っておるか?」


「は……。バルバエル……でございますか?」


「うむ。現能世界リアリスで発生したカオスゲートの件だ。あれから時間も経っている。もう戻っておろう。すぐに連れてまいれ」


「おそれながら、我が主」


 絶対神の命令に、ハイエムは困惑した表情を浮かべながら言葉を続ける。


「申し訳ございません。バルバエルというのは、どちらの所属の天使でしょうか」


「なに? お主の配下、13天使の中で最も有能な天使だ。ヴァルスが去る前に、カオスゲートの調査に向かわせるよう命じたであろう」


 絶対神は眉をひそめてハイエムを見つめる。するとハイエムは顔を曇らせながら口を開く。


「大変申し訳ございません、我が主。私の配下で最も有能な天使はレムズエルでございます。そしておそれながら、我が配下は12天使でございます」


「なんだと?」


 絶対神は黄金色の瞳を見開いた。その強烈な眼光にハイエムはそっと目を伏せる。


「では、カオスゲートの調査の件はどうした」


「……申し訳ございません。カオスゲートの調査と申されますと、リアリスのどこかでカオスゲートが開いたということでしょうか?」


「それも覚えておらぬと言うのか」


「はい……」


「なんということだ」


 絶対神は黄金色のローブをひるがえし、背後の青い泉を振り返った。


「……天使の最上位である五熾天使ハイラムの記憶を操作する方法はただ一つ――。超空間で情報接続しているイグラシアを通じて何者かが改ざんしたのだ。しかも序列第二位の明天使ルミナムであるバルバエルの存在まで、ほぼリアルタイムで完全に消去されたか……」


 絶対神は瞳の中に怒りの炎を燃やしながら再びハイエムを振り返る。


「ハイエム」


「はっ」


「五熾天使を全員集めよ。今すぐだ」


「かしこまりました――」


 ハイエムは返事と同時に四つの青い光を周囲に飛ばした。


 その青い光線は瞬時に黄金の柱のあいだを駆け抜け、浮遊城ハイマグスに建つ4つのタワーへと飛んでいく。その直後、ハイエムの背後に複数の光の柱が現れた。レッド、ロゼ、グリーン、ブラック――。それらの光の柱が前後して発生したとたん、中から五熾天使たちが姿を現した。


 短い赤毛のヒルダンは体格のよい男性型天使。長いロゼ色の髪のフロリスは美しい女性型天使。丁寧に整えた緑の髪のヘイムールは細身の男性型天使。黒髪お下げのホローズはやせた少女型天使――。


五熾天使ハイラム一同――我らが主の御前ごぜんそろいましてございます」


 空色の髪の男性型天使ハイエムが絶対神の前にひざまずくと、他の五熾天使たちもひざまずいてこうべを垂れる。すると絶対神は即座に口を開き、前置きなく命令を下す。


「緊急事態である。全員イグラシアとの情報接続を切断せよ」


 その瞬間、五熾天使たちは自分の額に指を当てて情報接続を切断した。その様子を見届けて、絶対神はさらに言う。


「つい先ほど、惑星神ヴァルスより緊急の報告があった。我らの世界に謎の存在、異世界種アナザーズの侵入が確認された。既に数万体の異世界種アナザーズが人間の世界に住み着き、さらに全知空間イグラシアの情報を自由に改ざんしている疑いがある」


 その言葉で五熾天使たちの顔色が一瞬で変わった。


「よいか。これは非常事態である。この宇宙の創造主である我に気づかれることなく、何者かがこの世界に侵攻を開始しているのだ」


「侵攻……」


 ハイエムが緊張した声で呟いた。


「そうだ。絶対に侵入不可能なイグラシアの情報が何者かによって改ざんされ続けているうえに、明天使ルミナム一体の存在が完全に抹消されたことも判明している。これはもはや侵入などではない。侵略だ。この我にも感知できぬ謎の勢力が、我々の世界に攻め入ってきているのだ。ゆえに、我々はこれより対策を講じねばならん」


 絶対神は言葉を区切り、五熾天使一人ひとりを見下ろしながら指令を下す。


「ハイエム。お主は安息神域セスタリアのゲートを厳重に監視せよ。不審者は一人も通すな」


「かしこまりました」


「ヒルダン。お主はこの浮遊城ハイマグスの守りを固めよ。物理的、精神的、その他すべての侵入者を一人も許すな」


「了解しました」


「ヘイムール。お主には惑星ヴァルス以外の宇宙管理を一時的に一任する」


「承りました」


「ホローズ。お主はイグラシアの管理領域におもむき、異世界種アナザーズについて多角的に調査せよ」


「ご命令のままに」


「フロリス。お主は我と一緒に来るのだ。これより現能世界リアリスで発生したカオスゲートの調査に向かう」


「お供させていただきます」


 命令を受けた五熾天使たちはそろって立ち上がり、顔を上げる。


「よし。それでは全員、直ちに行動を開始せよ。まずは我らの世界に忍び込んだ愚か者どもの正体を見極めるのだ」


 絶対神の言葉と同時にハイエムとヒルダン、ヘイムールとホローズは即座に光の柱を発動させて姿を消した。その直後、絶対神は黄金色のローブをひるがえして歩き出す。そしてすぐに全身からまばゆい光を放ち、フロリスと一緒に姿を消した――。


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