にんげん

きてらい

図書館にて

 そこにはとてもおおきな樹がそびえ立っていた。幹枝がうねり、枝葉が間隙を埋め尽くす。ごつごつとした樹皮は音もなく呼吸しているようである。その壮麗さは大自然の剛なることをこれでもかと見せつけてくるようであった。

 然しその大樹の周囲は遍く白い壁が覆う。壁の内側は遥か上まで、見上げるほどに木調の本棚が続き、本は所狭しと収められていた。


 ――しんと静まりかえった空間で、パラ、パラという音だけが時折聞こえる。その出処はどうやら地上階の方である。


 窓から陽光が柔らかに差し込んで床に窓の形を映し出していた。今日のジャパリパークは飽く迄快晴である。その光を避けるように、広間の机辺で、ワシミミズクがちょこんと座っていた。

 本を開いて眺めてはいるが、その目の瞼は重そうであり、腕は頬杖をついている。背表紙には『料理』の文字が見えるものの、眠い目で果たしてその何割を解しているのだろうか。


「これもうまそうなのです、あとあれも、これも……」


 その言葉は既に独り言と言うより、うわ言の感を醸し出していた。次第にその目の片方は、とうとう開いたものだか定かでなくなってくる。ゆっくりと、頭の角度が落ちてくる。呼応するように、ページを繰る音も数を減らしていく。昼方の静かな図書館は夜行性生物・フクロウ科の習慣にいざなわれて、より深い森閑の内に落ち込んでいくようであった。


 ―――――


 やがてあらゆる音が失せてしまうかと思われたが、その静寂を突如としてサーバルの快活な声が打ち破る。

「はかせ、いるー?」

 ワシミミズクは吃驚して目が覚め、机の上に己の唾でも垂れてはいまいかと三遍確認した。パークの長である。締まりのない姿など見られてはきっと務まらないのだ。

 ずかずかとサーバルが上がりこんでくる手前、誰かもう一人後ろに居るようである。

「すみません、いきなりお邪魔して」

 どうやらかばんも同伴だ。いや、サーバルがかばんの同伴なのだろうか。ともかくサーバルが居るところにはかばんも居るものと相場は決まっていた。

 ワシミミズクが答えた。

「はかせなら今はいないですよ。"やぼよう"で」

「そうなんだー」

 二人は少し肩を落としたようだったが、特段問題にしてもいない様子で訪問の用件を続ける。

「どんな意味なのか分からない言葉がありまして。図書館で聞こうと思ったんですけど」

「そう!きのうミライさんがボスのやつで言ってたの!でもなんのことだかわからなくって、他のフレンズに聞いても誰も知ってる子がいなくて」

「なるほど。……ふむ」

 ワシミミズクは訪問者の用向きを把握した。そして、さあ、いざ快くそれに応えようとしたところでしかし、忽然、若干の不安に陥ってしまった。

 パークはぽんこつだらけだ。その中で"誰に聞いても分からなかった"などと言うとて、かしこい我々には何の問題でもない。ところが、だ。かばんが聞きに来ているということは、彼女にも知れなかったということである。――果たして役に立てたものだろうか。

 かばんの聡明はパーク一円に知れたところである。じゃんぐるちほーの川に橋を架けたのも彼女だし、隣のへいげんちほーで流行っているらしい玉蹴り遊びを考案したのも彼女だ。ただの紙を忽ち『かみひこうき』なる物に仕立てて宙に浮かせた時など、真似事すら儘ならなかった博士が不貞腐れてしまっていた。そのかばんにもとんと答えが掴めないのである。

 しかし、とここでワシミミズクは考え直す。初めて会ったとき、彼女は自らの種名も、何処から来たかも知らなかったではないか。彼女が知っていて我々が知らないことがあれば、我々が知っていて彼女の知らないこともあろう。十人十色だから惹かれ合う、理である。

 ワシミミズクは未だ少し眠かったが、その顔は『じょしゅ』の顔になった。そうだ、長の威厳と言うものはこういう時に見せねばならないのだ。

 "じょしゅ"は胸を張って答えた。

「いいですよ。長にまかせるのです。われわ……わたしに分かるものなら答えてやるのです。さあ、なんという言葉ですか」

 その言葉に導かれて、かばんは言を発した。

「『にんげん』っていうんですけど」

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にんげん きてらい @Kiterai

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