58.九月十三日―失われた光明

「す、すまんな……みんな……。俺の……せいで……」

「隊長……? い、意識が戻ったのか!? カグラちゃん!」

「は、はい!」


 セリスの声にカグラがフィデリタスへと駆け寄ると、リアンが突き刺さった剣を抜き、溢れ出る血を押さえ込むようにカグラが傷口に手を当てた。

 治癒の力を使うと淡い光が優しく患部を包み込む、が――その傷は塞がらない。


「そ、そんな……」

「傷が深すぎるってのかよ」

「俺は……ただ、あいつらを……大切な家族を守り、ごほッ」

「……わかってる」


 フィデリタスの言葉に、遅れて辿り着いたロウが静かに答えた。


「ずっと……自分のしている事が……見えていた。だが……自分を、止められなかった。誰も……本当の俺の声を、聞いてくれなかっ……た。兄ちゃんだけだ……。俺の声を……聞いてくれた……のは」


 その言葉に、ロウは辛そうに顔を歪めた。

 結局は何も変えられなかった。

 結局、運命に打ち勝つことはできなかった。

 そんな自責の念がロウを押し潰していく中……


「兄ちゃんは何も……悪くねぇ。悪いのは全部、俺が……俺の心が……弱かったから。だから……」

「こんなの、やっぱりおかしいです!」


 カグラが無駄だとわかりながらも、その力を使い続ける。

 必ず治る。いや、必ず治さなければならない。

 でなければ、この力はいったいなんの為にあるというのか。

 ここで役に立てないのなら、自分はなんの為にこの時代に来たというのだ。


 そんな痛ましく小さな少女へと、シンカはそっと言葉を発した。


「止めなさい……カグラ」

「でも、こんなのおかしいよ!」

「止めなさい!」

「っ!」


 シンカの強い声にカグラの体が小さく跳ね、使っていた力を収めた。

 わかっている。

 自分の行動に意味などないと、能力を使用していたカグラ自身が、誰よりも。

 それでも……


「傷だけが原因じゃない。暴走の負荷で……もう、フィデリタスさんの体は……」

 

 人が誰しも持つ魔力とは、言い換えれば生命の源だ。

 魔憑との違いは、それを扱うことができるかできないか、そして、その総量が多いか少ないか。そして魔憑まつきは内包する魔力が多く、常人は少ない。


 故にそれが尽きれば人は死ぬ。 

 魔力を使い続け、枯渇した状態というのは正確には間違いだ。

 何故なら、枯渇したのは上辺に見える魔力に過ぎないのだから。

 本当の枯渇というのは死、そのものだ。


 魔憑が技を放つ際に用いる魔力は、生命の維持に対して余分な部分であり、それは自然にしていれば勝手に回復していくもので、”枯渇”というのはその余剰分がなくなることを指している。

 その状態で技を放つということは、生命を維持する為に必要な魔力、つまりは生命力を糧にしているということに他ならない。

 よって、完全に内包する魔力がなくなれば、当然その者の命は尽きる。


 枯渇した状態から放つ魔力は、まさに最後の灯・・・・なのだ。


 最後に見せた魔獣の異常な磁場は、まさにそれだったのだろう。

 カグラの治癒の力は確かに傷を治すことができる。

 が、生命力がほぼ尽きた身体を前に、その力はあまりにも無力だった。


 泣くのを堪えるようなシンカの表情から目を逸らしたカグラは静かに俯くと、スカートの裾をぎゅっと握り締めた。


「……どうして。どうしてなんですか? 魔憑ってなんなんですか? 魔獣は……人間の敵なんですか? 味方なんですか……? ――私たちの力って、なんなんですか!」


 そう叫ぶ小さな少女に、誰も答えることはできなかった。

 ぎゅっと閉じた両眼から、涙がぽろぽろと止め処なく零れ落ちている。


「こんなことを仕出かした……俺なんかのために……泣いてくれるのか?」


 カグラに向かって、フィデリタスが震える手を伸ばす。

 その大きく、しかし力のない手を、少女はそっと優しく握り締めた。


「……嬢ちゃんは、優しいな。この手……治せるか?」

「は、はい、このくらいの傷……なら」


 鼻を啜り、カグラが力を使うと、フィデリタスの手が淡い光に包まれた。

 ロウたちは何も言わず、その光景を静かに見守っている。

 シンカも今度は止めることなく、それを見守っていた。


 その手に刻まれているのはほんの小さな擦り傷だった。しかしその傷でさえ容易には塞がらず、徐々に徐々にと滲んだ血が漸くにして固まった。

 それは放っておけば、勝手に止まるような傷だ。

 果たしてこの傷が、本当にカグラの治癒の能力によって塞がれたものかは誰にもわからない。ただ吹く風によって乾いたともいえるだろう。

 

 しかし、確かに傷は塞がったのだ。

 温かな少女の優しい光が、フィデリタスの心を……


「魔獣も……人間と同じさ。善い奴も、悪い奴もいる。善良の人間に……優しい魔獣が憑くとは……限らない。だが、魔獣が……主の意思を糧に成長するなら……それはそいつの写し鏡なんだ。ようは……心だ」

「心……」

「俺は……心で、自分に負けたんだ。俺の魔獣だって……主が俺じゃなきゃ……きっといい奴に育ってたに違いない。なぁに……嬢ちゃんなら大丈夫さ。だって、嬢ちゃんの力は……こ……こんなにも、綺麗で……温かいじゃないか」


 言って、フィデリタスは優しく微笑んだ。

 深い皺が温かな笑みを作りだす。


「で、でも……私は……」

「きっと嬢ちゃんの魔獣は……嬢ちゃんのように優……しい」

「フィデリタス……さん」

「……兄ちゃん。兄ちゃんは……嘘は吐かないんだろ? だったら……聞かせてくれ」


 そう言って、フィデリタスはロウへとその視線を向ける。

 いつものような瞳に宿る力強さはなく、その瞳は光を失っていくようにさえ見えた。

 そんな彼にロウが黙って頷き返すと、


「俺たちは……勝ったと……いえるのか?」


 フィデリタスの言葉に瞑目し、皆の視線が集まる中、ロウは少し何かを考えるように押し黙った。

 確かに、今この場に降魔はいない。

 多くの犠牲は出たが、命を繋ぎ止めた者も大勢いる。


 だからこそ、瞑った両眼を開き、告げた。


「……正直に言おう。おそらく……とりあえずという点でミソロギアは守られた。魔門ゲートはいまだ開いたままだが、今はもうそこに大きな力は感じない」

「そう……か」

「――だが、この戦いを勝利とは言えないだろう。あの魔門がこのまま消えるとも限らない」


 そんなロウの無情な言葉に、真っ先に食いついたのはカグラだった。


「ロウさんっ、どうして! どうして今そこまで言う必要があるんですか!」


 ロウの服を両手で強く握り、悲痛な瞳で見上げながら必死に訴える。


「今ここで、死に向かってる者がいるからだ」

「だからこそ!」

「そして、その者が真実を望んでいる。死に逝く者の最後の願いくらい、叶えてやりたい。たとえ、それが辛い現実でもだ」

「そんな……」


 カグラの手が緩むと、フィデリタスは小さく息を吐き出しながら感謝の想いを口にする。


「いいんだ嬢ちゃん。……ありがとよ。やっぱり……兄ちゃんに聞いて、よかった」

「まだ、話は終わってない」


 ロウの声に、フィデリタスが再び耳を傾ける。


「多くが死んだ。犠牲を最小限にすると言っておきながら……この様だ。だが、貴方が覚醒していなければ、もっと多くの者が死んでいただろう。それどころか、ミソロギアを守ることさえできなかったかもしれない。貴方が守ったんだ。今ここに生き残った兵士たちを、貴方が守り抜いたんだ」

「だが……俺は……守ろうとしたみんなを……」

「……聞こえないか? この悲しむ声が。たとえ暴走しても、貴方に殺意を向けられたとしても……みんなわかってる。それでも余りあるほどに、貴方は愛されているんだ」

「っ、あ……あいつら……」


 生き残った兵たちのすすり泣く声が、泣き叫ぶ声が、多くの音がここまで聞こえている。

 フィデリタスの名を叫び、悲しみに満ちた兵たちの声が。

 これまで苦楽を共にしてきた、菖蒲の旗に集いし兵士たちの慟哭が。


「っ、だから!」


 急に声を荒げたロウを、皆は驚いたように見つめた。


「だから、貴方は生きるべきだった! 生きる努力をすべきだった! 諦めるべきじゃなかった! あいつらのためにもだ! 貴方は生き残って、このミソロギアを守り続けるべきだったんだ! 諦めないって、あのときに言ったじゃないか……こんな……こんな結末を、誰が喜ぶと言うんだ」

「……」


 その言葉に、フィデリタスの瞳から一筋の涙が流れ落ちた。

 ロウの胸に満ちた悲痛な想いの丈を聞き、いつだって強くあろうとし続けていた男の嘆きを前に、アイリスオウス最強の男は涙した。


「だが……こうなったのは俺のせいだ。俺が……俺が選んだ。……すまない。運命を変えると言ったのに……なのに……」


 すると、フィデリタスは小さく微笑んだ。

 涙を流し、血溜まりに倒れながらも、すぐそこまで迎えに来ている死へと抗い、優しくも儚い戦友の想いに応えるべく言葉を紡いでいく。


「兄ちゃん……それは違う。運命は……変わったんだよ。俺の死という結末が……変わらなかった……だけで……この死は俺が……自ら・・選んだんだ。兄ちゃんが……選んだんじゃねぇよ。俺も……言っただろ? せめて……せめて、俺の分は背負うな」

「――ッ」


 このときの二人の会話を、少女たちには理解できていなかった。

 ロウの未来の予測のことを知らないのだから当然だ。

 だが話の中身がわからなくとも、二人には一つだけ、はっきりと理解していることがある。

 それは今、目の前にいるロウとフィデリタスが、とても大切なことを話しているということだ。

 二人の男の別れの言葉に何も口を挟むことなく、ただ静かに見守っている。


「兄ちゃん……俺にはわかるぜ……。兄ちゃんは……馬鹿みたいに大きな……そしてたくさんのことを……背負い過ぎてる。兄ちゃん自身……さっき言ってたろ? 俺が覚醒……してなけりゃ……守れなかったかもしれない……ってよ。犠牲を抑えることは……叶わなかったが……ミソロギアを守れた。運命は変わった……んだよ。……変わったんだ」


 そう、確かにフィデリタスの死という結末は変わらなかった。

 だが今も尚、ミソロギアという町は堂々とそこに在る。

 変わったというには、あまりにも小さな変化なのかもしれない。

 多くの兵を失い、ミソロギアの要である最強の男までをも失った。

 それでも確かに変わったのだ。

 ミソロギアが崩壊するという運命は、確かに、変わったのだ。


「ま、まさか……最初から……」


 ロウの口から掠れた音が漏れる。そしてようやく気が付いた。

 最後の灯火は命そのもの。本当の枯渇は死を意味している。

 最後の魔獣の抵抗が本当に最後の灯火によるものだったなら、最後の最後、フィデリタスが自らを貫く必要はなかったはずなのだ。


ここでの出来事・・・・・・・は……俺が全部持って行ってやる。だから……兄ちゃん。背負うなよ……前を見てくれ……。俺を友だと思うなら……俺に……こんな小さな荷物くらい……預けてくれ……頼む」


 フィデリタスは軍議の後、ロウの話を聞いたとき、確かに最後まで諦めないと決意していた。それは大きな覚悟であり、その時の想いは決して嘘なんかではない。

 それは、シンカたちのために色々なものを背負おうとしていたロウに、自分の死までも背負わせるようなことをしたくなかったからだ。


 だが、十日の日、一度は変えたはずの運命の中でロウが倒れたとき、フィデリタスは新たな想いをその胸に秘めていた。


 世界が幾つもの・・・・運命を変えることを許さないというのなら、ただの人間である自分がそれを変えられるはずもなく、自分の死という結果が変わらないというのであれば、ロウの心を救ってやるのだと……そういう想いを抱えながらフィデリタスは戦っていた。


 ロウは何も言葉にすることができず、代わりに精一杯、困ったような苦笑を返した。

 それを見たフィデリタスが嬉しそうに微笑むと、最後の力を振り絞り、皆へ言葉をかけていく。


「……そろそろだな。リアン……お前は強い。だが……少し柔軟にな。兄ちゃんを……助けてやってくれ」

「……ッ、無論です」


 リアンは深く頷いた。


「セリス……お前はお調子者だが……空気を……明るくしてくれる。笑顔を忘れるな」

「くっ……はいッ」


 努めて笑おうとしたセリスの瞳から、最後の雫が零れ落ちた。


「嬢ちゃんは……自信をもて。自分が思ってるより……ずっと……強い」

「は、はい……」


 目から溢れる涙を必死に擦りながら、カグラは答えた。


「嬢ちゃんの方は……素直にな。兄ちゃんは……嬢ちゃんが思ってるより……ずっとずっと……嬢ちゃんを想っている。……最後まで……信じていろ」

「……えぇ。もう……大丈夫」


 シンカが下唇を噛み締めながら頷くと、フィデリタスは優しく微笑んだ。


「最後に……一つだけ頼みがある。生き残った仲間に……伝えてくれ。俺のように……道を違えるな。強く……強く生き続けろ。俺は……俺はいつでも……お前たちを見守ってる。そう……あいつらに。後……今後のことを押し付けて……すまないと」

「……あぁ、必ず」

「ありが……とう。兄ちゃんに……これを……」

「……俺に?」


 言って、力ない手が取りだしたのは一つの魔石だった。――魔塊石。

 魔力を扱えない人間からすれば価値のない魔石だが、数は少ないその魔石の本当の価値を軍議で知り、フィデリタスはロウの為にと手に入れていた。

 純透明なはずの魔塊石が、今は鈍色に変わっている。


 ロウが震えたフィデリタスの手を握り、その魔石を受けとると、フィデリタスは最後に薄く月が覗き始めた空を眺め、笑みを浮かべた。


「……カルフ……俺の、息子……。ミソロギアを……頼……む」

『……主……我が……最後の――』


 フィデリタスが今までの日々を思い返しながら、そっと両眼を閉じる。

 過去の想い出に浸るように安らかな表情を浮かべ、フィデリタス・ジェールトバーは決して長いとはいえない人生を終えた。


 アイリスオウス最強の名誉称号、光明闘士ホープの名を持つ男の死。

 それは今後、この国の未来を大きく左右することになるだろう。

 

「くっ…うっ……」


 カグラが涙を堪えきれず、シンカの胸に顔を埋めた。


「こんなのって……ねぇよ」


 セリスはただただ拳を強く握りしめ、リアンは苦痛な表情で目を逸らす。

 シンカは嗚咽を漏らし続けるカグラを抱き締めたまま、悲痛でいて自分の弱さを悔いるように、カグラの頭を撫でていた。


 そしてロウは……虚ろな瞳で空を見上げる。

 その闇よりも深い漆黒に映る世界の色は、果たして何色なのか。

 それはまだ、誰も知らない、見たことのない色だった。





「旦那は……逝ったんですね」


 背後から聞こえた声に振り返ると、そこにはトレイトを抱きかかえたカルフが立っていた。散々泣きはらしたように赤く腫れた両眼が、悲し気にフィデリタスを見つめている。


「……すまない。フィデリタスさんを救えなかった」

「ロウさんのせいじゃない。ちゃんと……旦那の声は聞こえてました」

「だったらどうして……最後に顔を見せてやらなかったんだ?」

「俺は……逃げてた。トレイトだって頑張ったってのに……俺は……動けなかった。そんな俺が、旦那に合わせる顔なんてあるわけねぇ……」


 言って、カルフが抱きかかえたトレイトに視線を落とした。

 よく見ると、トレイトの腹部には大きな穴が開いている。


「お、おい……トレイト。ま、まさか……」


 震えたセリスの声に、カルフが困ったように微笑みながら言葉を返す。


「褒めてやってくださいよ。こいつは……立派に……戦ったんです」

「わ、私の……せいです」

「……カグラ?」

「わ、私が……トレイトさんを……」


 掠れた小さな声。

 シンカからそっと離れると、カグラは顔を俯かせた。


「嬢ちゃんのせいじゃない。これは……こいつの意思だったんだ」

「何があった?」

「フィデリタスさんが……暴走を始めたとき――」


 リアンの問いかけに、カグラはそのときのことを思い出しながら、言葉を紡いだ。

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