56.九月十三日―魔獣との決着

「主の名を間違える馬鹿がどこにいる……」


 ぽつりと小さく呟きながら、リアンはゆっくりと立ち上がった。


「……まだ立てるのか。人間の割にたいした丈夫さダ」

「俺が丈夫なんじゃない。お前の攻撃がその程度なだけだ。ロウの一撃に比べたら、蚊が止まったに等しい」

「我を愚弄するか。ならバ、我の攻撃をもう一度喰らっても尚、同じ台詞が出るか楽しみダ」


 次にロウを狙っていた魔獣が、その体ごとリアンへと向き直した。


「人は実に愚かよ……それは我が主も然リ。ここにいる者のすべてを滅ぼした後、我も主と共に逝こう。だから先に逝ケ……愚かな仲間と共ニ」

「これ以上、あいつらを愚弄するな」


 リアンの鋭い眼光が魔獣を貫くが、当の魔獣はその身に魔力を纏いながら気にせず言葉を発した。


「事実ダ……果てロ」


 言って、魔獣は魔力を纏った鉄球を勢いよくリアンへと射出した。

 斥力の働いた鉄球の勢いはこれまで以上に凄まじく、普通の人間なら躱すことなど到底できないだろう。普通の人間なら、直撃すれば死に至る程のその威力。


 だがそれはもう――今のリアンには通じない。


 地面から大きな火柱が上がり、鉄球を上に弾き飛ばした。

 その向こうでは、驚愕に顔を歪める魔獣の姿。

 鈍く重い大きな地鳴りと共に、少し溶けた鉄球が地面へと落ちる。


「さっきから貴様、言いたい放題言ってくれるな」


 リアンが腕に纏っているのは煌々と燃える炎だ。

 その炎は、彼の怒りをそのまま表現するかのように、朱く燃え上がっていた。


「……貴様は許さん。俺は今、久し振りに蟲の居所がかなり悪い」

魔憑まつきの力に目覚めただけで、大きな口を叩くものダ。所詮は他人ゾ。他の人間のために、何故そこまで――」

「仲間だからだッ!」


 魔獣の言葉を遮るように、リアンは炎を纏った腕を突き出した。

 腕から放たれた螺旋状になった炎が魔獣へと襲いかかる。

 咄嗟に引き寄せた周囲の鉄屑でその炎を防ごうと試みるが、思うほどに集まらず、炎を受けた鉄屑はみるみる内に溶けていった。


「こ、これ程の炎を、何故目覚めたばかりのお前ガ……くッ!」


 鉄屑を溶かしきった炎が迫り来ると、魔獣は鉄球を炎へ叩き付け、それを消滅させた。


「どうした? さっきまでの余裕がないように見えるぞ」

「ッ、あの氷の魔憑か……やってくれたナ」


 このとき、魔獣は初めて大きな動揺を見せた。

 そしてロウの狙いが初めからここにあった事実に、歯の根を強く軋ませる。


 魔獣が立っているのは白銀と化した世界の中央だ。

 周囲の物はすべて凍てつき、鉄でできたそれらも決して例外ではない

 鉄が思うように集まらなかった理由はそこにあった。




「見ろよ、トレイト。お前のお陰だ。お前の……お前、のっ……くっ!」


 目の前に広がるリアンと魔獣の戦いを、カルフは涙を流しながら見守っていた。

 その腕に抱きあげられたトレイトは、安らかにその瞳を閉じでいる。

 カルフの目から零れ落ちた水滴が、眠ったように目を閉じる彼の頬を濡らし、流れ落ちていった。


 


「だが……所詮はただの浅知恵よ。これしきのこと――」

「何度も言わせるなよ、貴様。俺の大切な仲間をこれ以上、愚弄するなと言ったはずだ!」


 リアンの放った燃え盛る炎が地を這い、巨大な炎が魔獣を完全に呑み込んだ。


「ぐおアッァァァァッ! ぐっ、ぬうゥゥゥ、ふんッ!」


 鉄球に厚い魔力を纏わせ、さらに巨大になった魔力球で地面を割り、猛る炎を鎮火する。


「はぁ、はぁ……」

「ちっ、どれだけ頑丈なんだ」

「その炎で、我の鎧は溶かせぬワ」


 確かに只の鉄なら今のリアンの炎であれば容易に溶解できるだろう。

 だが、咄嗟に厚い魔力で覆った鎧は少し溶けるだけに止まっている。

 リアンが次の手を思考する中――


「なら、破壊すればいいだけだ」


 二人の耳に届いたのは、倒れていたはずのロウの声だった。


「っ、お前が何故!?」


 驚きの声を上げ、魔獣がロウを見据える。


「俺は魔憑だ。お前と同じく、体の丈夫さには自信があってな。リアン!」

「あぁ!」


 ロウの声を受け、リアンが再び魔獣の体を炎で包み込んだ。

 が、それを振り払い、魔獣は槍を引き寄せリアンヘと狙いを定める。


「このような技で、我は――」


 と、そこへすかさず魔獣の体へと浴びせられたのはただの砂だった。

 ロウは魔獣に砂をかけると、魔獣を冷気で包みこむ。


「っ、小賢しイ!」


 鉄球を激しく振り回し、魔獣は冷気を振り払うと、光を浴びて煌めく白銀の粉を浴びながらロウを鋭く睨みつけた。


「何をやっても無駄なこと」

「本当にそうか? お前を殺すつもりならとっくにできている」

「なにっ? ……ただの強がりヲ」


 そう言葉にしつつ、魔獣の中にあるのは焦燥にも似たものだった。

 力は自身の方が間違いなく上だ。

 傷ついたロウと覚醒したばかりのリアン。どう足掻いても、優劣は変わらない。

 追い込まれているのは自分ではなく、間違いなくロウたちの方だ。

 が、ロウの浮かべた表情に、その瞳に、魔獣の手は無意識に力がこもっていた。


「俺は動いた対象を氷漬けにするのが苦手なんだ。だからさっき、お前ごと周囲一帯のを纏めて凍てつかせた。だが、お前自身とその手に持った鉄球は難なく氷を破ることができるだろう。だから……リアンに任せた。周囲の操れる鉄の数さえなんとかしておけば、リアンがお前に負けることはない。溶けた鉄は磁力に反応しないからな」

「馬鹿ナッ! そんなことはありえヌ! お前は、まだ覚醒していない人間の能力を、あらかじめ知っていたとでも言うのカッ!?」


 魔獣が驚声を漏らすと、ロウは小さく苦笑した。

 知っていたのかと問われれば、知っていたということになるだろう。

 暴走した魔獣と戦う際、常人であるカルフやトレイトを退かせたにも関わらず、リアンたちが協力することをあっさりと認めたのには理由があった。

 

 ロウが見た夢は確かに断片的なものだ。いつ、どこで、その光景が起こったのかまではロウにもわからなかった。だがフィデリタス暴走が始まった時、ロウは確信していた。

 魔憑の力は意志の力だ。ならば、リアンが覚醒するタイミングはここしかない。

 夢に見た、炎を纏ったリアンが佇む光景は、ここしかないと。


 確証などない。もしかすれば、ここでリアンが魔憑に目覚めない可能性もあった。

 それはここで命を落としてしまうであろう事に他ならない。

 だがこの場で、この逆境を切り抜ける事ができる可能性もまた、彼の中にしかなかったものだ。

 たとえ仲間が傷ついても、皆で明日の光を見るために。


「まぁそれでも、リアンの炎がお前の纏った鎧を完全に溶かしきれば、魔憑になったとはいえフィデリタスさんの無事は保証できない。それだと、俺たちの勝利にはならない。ここで負けを認めて大人しくしてくれるのが一番だが、お前はそうはしないだろう」

「無論。我は主の望みを叶えねばならヌ。それが……我ら魔獣の存在意義」


 そう、本来魔獣とは、人間の感性では到底理解しえないものをもっている。

 それは絶対的な忠義だ。

 主の為に生まれ、主の為に生き、主の為に死んでいく。

 たとえ世界が滅ぼうと、たとえ全てが敵になろうと、魔獣にとっての宿主まつきの存在とは、絶対的な唯一無二の存在なのだ。


 フィデリタスの宿した魔獣のこの覚醒が、憎しみに囚われたものでなければ、きっと心強い味方になっていたことだろう。

 魔獣はフィデリタスの意思を尊重し、それに準じているつもりだろうが、彼の心から望むものがそんなものであるはずがない。

 主の意思を汲み違えた魔獣が、全力を出せるはずなどあるはずがなかったのだ。


 故に――


「だったら、それ以外の方法でその鎧をひっぺがえすしかないわけだ」

「……何を企んでいる?」

「俺がこうして、わざわざ解説をしてるのはなぜだと思う?」


 瞬間、リアンから放たれる炎の魔弾。

 それを手にした鉄球で防いだ魔獣の隙に、地面に手をついたロウから走る霜が魔獣の足を凍てつかせた。


「ぬぅぅぅぅッ!」


 足を持ち上げ、力ずくで氷を壊そうとする魔獣。

 氷に亀裂が走り、足元の氷が砕かれかけたそのとき――


「押し切れ!」


 ロウの声に呼応するかのように、発せられた銃声と共に飛翔する数多の銃弾。

 連射されたその銃弾が鎧のいたるところに当たり、弾かれる。

 が、そこにできたのは無数の小さな亀裂だ。

 意識せずとも回避するまでもない、魔力を纏わぬただの銃弾。

 それは牙の折れた獣の苦し紛れの抵抗に相違ない。

 だがそれ故に、魔獣は咄嗟に防ぐという手を怠った。


 半分溶けた鉄に混じった不純物。急激な温度変化で、脆くなった鉄に生じた僅かな勝機。その亀裂に狙いを定めた、黒い魔弾が中空に帯を残しながら駆け抜けた。

 魔力の反応を感じた魔獣が氷から足を引き抜き、それ対処しようと試みる。

 しかし、思ように鉄は集まらない。

 すでにほとんどの鉄が溶け、または凍らされ、まともに使える鉄は残っていなかった。そして一瞬にして間合いを駆けた黒い魔弾が亀裂へと直撃する。


「ぐあァあああァァァァァッ!!」


 苦痛の声を上げた魔獣の纏った鉄屑の鎧が砕け、魔獣が地面に倒れこんだ。


「……やったのね」

「俺はほとんど気絶してたけどな」

「わ、私なんて魔憑なのに、戦えなくて……」


 セリスが苦笑する横でカグラが顔を俯けると、そんな二人にロウは微笑んで返した。


「魔憑の力もなくセリスはよくやってるよ。それに、今回はカグラの力のお陰で最後に勝利を得ることができた」


 始めにセリスとリアンの傷を治し、それによってリアンは魔憑へと至るきっかけを得た。最後はリアンが戦い、ロウが魔獣と対話して時間を稼いでいる隙に、シンカを復帰させた。

 魔獣との戦い以前でも、負傷した兵たちを回復させていたカグラの貢献は大きく、その魔力の負担はかなり大きなものだっただろう。

 カグラは自分で思っているほどお荷物ではないと、誰もがそう思っているにも関わらず、小さな少女の表情は晴れなかった。



 

 決着がついたであろうその戦いを、遠目に見ている兵たちの表情は不安に満ちていた。


「やった……のかな? フィデリタス隊長は無事なの?」

「わからないわ。でも……これで……」


 ホーネスとローニーが馬鹿なことを考えていたとしても、もう大丈夫。

 そう言おうとしたエヴァは、何故かその言葉を半ば無意識的に呑み込んだ。

 なんの根拠もない、とてつもなく嫌な予感が彼女の声を封じていた。

 そして、背後から近付いて来る激しい足音が、その嫌な予感をさらに大きなものへと変えていく。

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