32.岐路の先に立つ者

「ロウッ!」


「……やっぱり……やっぱりそうだった。氷の魔憑まつきは……ロウ、だった」

「ロウ君……。よかったね、エヴァ」


 ホーネスとローニーがロウの名を叫ぶ横で、エヴァは口を手で覆い隠すようにしてロウを見つめていた。目尻に浮かぶ雫が頬を伝って静かに流れ落ちる。

 そんなエヴァを見て、キャロが彼女にかけた掠れた声も湿り気を含み、鼻の詰まったような声だった。

 

 ナイト級と戦っている間に後続のバロン級が追いつき、ロウへとその猛威を振るうが、瞬く間にその悉くを消滅させていく。

 そんな中、ロウがホーネスたちを一瞬見た後、周囲の降魔こうまたちを相手にしながら努めて冷静に言葉を発した。


「みんな、すまない」

「すまないって何がだよ!」

「怖い思いをさせてしまった」

「ロウ君のせいじゃないよ。それに、こうして助けに来てくれたじゃん」


 キャロの言葉がロウを胸を鋭く貫く。

 ロウはもっと早くに駆け付けることもできた。そうしなかった理由があるにせよ、それを言い訳に開き直れるほど、彼の心も強くはない。

 そんな胸の痛みを脇に置き、ロウは一呼吸置いて、真剣味を乗せた声を振り絞る。


「……よく聞いてくれ。みんなをできるだけ近くに集めてほしい。その壁は完璧じゃない。だが、壊れても絶対にその場を動くな。もう一度張り直す」

「わかった、こっちは任せてくれ」

「助かる。必ず全員守ってみせると約束する」


 ロウの口にした約束という言葉は、四人を勇気づけた。

 リアンと付き合いも長く、同じものを見てきた四人はその言葉の意味をよく知っている。


 ――ロウは約束を決して破らない。


 ロウの言葉に強く頷き返す四人を見てロウが微笑むと、二つ目の魔扉リムが完全に開き、中から出た新たな降魔の群れが牙を剥く。


「最後に……できるだけこっちを見るな。頼む……」


 このとき言ったロウの最後の頼みの理由が、四人にはわからなった。

 魔憑まつきという人間離れした姿を見られたくないのか、単に戦う姿を見られたくないのか、それとも何か他に理由があるのか。

 だが、そのわからなかった理由は、時間と共に嫌でも知ることとなった。

 


 ロウが駆け付けてから、かなりの時間が経過している。

 それなのに、魔扉は一向に消える気配を見せなかったのだ。今もなお、禍々しく空中に渦巻いている。そこから現れる降魔の数は異様と言っても過言ではなかった。


 手にした氷の刃でいくら消滅させても、その数が減っていく気配はなく、むしろ増えているようにさえ見える。ざっと数えただけで三十はくだらないだろう。

 その数の降魔を相手にするロウの表情には、すでに疲れの色が浮んでいる。


 理由は明白だった。

 ロウは降魔こうまを相手に、一度もエクスィとの戦いで見せたような氷の能力を駆使した技を使っていないのだ。使用しているのは、最低限の氷の武器と氷壁。

 魔扉が消えない以上、終わりの見えない戦いの中で氷壁を解くわけにはいかず、氷壁が壊された時のための魔力を温存しておかなければならない。


 かといって、素早いナイト級を含むこの数の降魔を相手に、大勢の民間人を全員逃がすのは、一か八かどころの話ではない。たった一体でも撃ち漏らせばそれで終わりなのだ。

 最低限の魔力で作った氷の刃で、守る対象を気にしながら戦う。

 そして、氷壁が壊れたら何よりも氷壁の生成を優先する。


 消耗戦を強いられ、神経と魔力をすり減らしながら戦うロウが、次第に降魔の攻撃を受ける回数が増えていくのは当然といえる結果だった。

 いたるところが僅かに流血し、ところどころ衣服が焼け焦げている。


 ロウが最後にかけた言葉の意味はここにあった。

 ロウはこんな自分の姿を見られたくなかったのだ。

 それは決して惨めだからではない。苦戦を強いられる姿を、傷だらけになる姿を見られたくなかったのは、ロウが四人の性格をよく知っていたからに他ならない。


「ロウ……」


 どれだけ傷ついても気丈に戦い続けるロウを見る四人の表情は、どれも等しく変わらなかった。

 悔しそうに食い縛った歯から、ぎりりと鈍い音が漏れる。

 血が滲み出そうなほどに強く握られた拳は、小刻みに震えている。

 眉間を寄せ、強く降魔を睨めつけるような瞳は悲痛な色を宿していた。


 守られているのが自分たち四人だけなら、きっとこう叫んでいただろう。

 もういい、もう止めてくれ。自分たちのことはいいから、だから……と。


 だが、後ろに集まった大勢の民間人がいる以上、それすらも言えずに、ただただ悔しさに耐えることしかできない。

 四人の後ろで震える人々の表情は不安に満ちていた。

 しかしそれも当然だといえるだろう。初めて目にした魔物の群れが、倒せど倒せどとめどなく現れ続けているのだから。


 するとエヴァは皆の方へと振り返り、努めて優しい笑顔を向けた。


「みんな、大丈夫。今戦ってる人は私の仲間なの。彼は絶対に約束を守ってくれる。だから……だからお願い。彼を信じてあげて……」


 エヴァの向けた笑顔はとても笑顔と呼べるものではなかった。

 声が震えていることも、涙に濡れた表情が上手く笑えていないことも、エヴァにだってわかっている。

 それでも、少しでも皆の不安を和らげてあげることしかできない。

 それしかできないのなら、できることをするしかないのだ。

 エヴァのそんな姿を見て、彼女の想いが届いたのは、この中にいったい何人いるのだろうか。

 


「――ッ!」


 次々にとめどなく現れる降魔を相手に、ロウの疲労は限界に近かった。

 それでもやるしかない。この道を選んだのは自分自身なのだ。

 ここで斃れるわけにはいかない。ここで死ぬわけにはいかない。

 大勢の人を、できる限り多くの人を守るためにも。


 瞬間、眩しい光が視界に広がり、ロウの体に激しい電撃が直撃する。たまらずロウが片膝を折ると、バロン級の振るった腕がロウを吹き飛ばすが、すぐさま態勢を立て直す。

 肩で息をしながらロウは電撃を放ったカウント級の降魔を一瞥するが、ロウはカウント級には向かわずに近くのバロン級に狙いを定めた。


 ロウが不利な原因はここにもあったのだ。

 遠距離から攻撃を放てる能力を持ったカウント級が現れても、ロウはそれを先に倒すことができなかった。それは今のロウがまだ、離れた場所に対して能力を発動できるだけの技量を持っていないからだ。


 そしてナイト級程度の力では氷壁を破壊できないが、バロン級の力なら複数回の攻撃でそれを破壊することもできるだろう。

 となると、必然的に近くのバロン級をすべて消滅させ、それからカウント級へと一気に距離を詰めるしかない。

 

 ロウが近くのバロン級を掃討すると、電撃の能力を持ったカウント級へと距離を詰め手にした氷刃を一閃。二度の攻防で瞬時にそれを消滅させると、次に現れたのは強化系能力を持ったカウント級の振るった鋭爪がロウを捉える。


 それを氷刃で防いだ瞬間、幾度の打ち合いによって耐久値の下がっていた氷刃が甲高い音と共に氷が砕け散り、ロウの体が大きく吹き飛ばされた。

 氷壁に強く体を打ちつけて停止するものの、立ち上がった足が僅かにふらつく。


 そのときロウのすぐ背後から聞こえた声は、聞き覚えのある声だった。


「お兄ちゃん! 頑張れ!」


 振り返ったロウが目にしたのは、氷壁にへばりつくようにロウを見つめる子供たちの姿。その中に、港町ミステルで出会った迷子の子供がいた。

 

「サロス……君」

「お兄ちゃん、負けるな! 化物なんかに負けるな!」

 

 必死に叫ぶサロス。ここにいるということは、元々はミソロギアに住んでいたのだろうか。

 サロスがどうしてここにいるのかはわからないが、それでもその声はロウを奮い立たせるには十分だった。


 途端、次々に投げ掛けられるロウへの言葉。

 誰もが不安を抱えながら、それぞれの大切な人を守れないことに悔しさを感じながら、それでも声をかけることしかできなのなら、代わりに戦い、傷ついている目の前の男に力の限りの声援を。

 エヴァの声は、想いは、確かに皆の心に届いていた。


「ロウ、見ろ! 魔門が小さくなってる!」


 叫んだホーネスの言葉通り、魔扉はすでに閉じかけていた。

 すると襲いかかって来るナイト級を斬り伏せながら、ロウが静かに声を漏らす。


「サロス君。あの時みたいにお願いしててくれないか? そうしたら、俺は絶対に負けない」

「うん! お兄ちゃんが勝ちますように!」


 サロスの願いを受けロウは小さく微笑むと、氷壁をもう一枚重ね、最後の攻勢に出た。

 魔扉は閉じかけている。今目の前に広がる降魔をすべて消滅させれば、残るは小さくなった魔扉から出てくる降魔を倒すだけだ。

 防御をする必要も、魔力を温存する必要もない。


 ロウが地面に手をつくと、そこから走る鋭利な霜が次々に降魔を消滅させていく。それを躱した一部のナイト級がロウに鋭い爪牙を振りかざした瞬間、地面から勢いよく突き出した氷柱に貫かれ霧となって消滅する中、ロウの瞳はすでに次の降魔へと狙いを定めていた。

 次々に咲き乱れる氷花は、降魔に微塵の抵抗すらも許さない。


 そこからのロウの反撃は勢のとどまることを知らず、魔扉が完全に閉じる頃には、すべての降魔が消滅していた。


 ロウが息を整えながら地面に片膝をつくと同時に、囲っていた氷壁が砕け散る。

 遮るものがなくなると、歓喜の声を上げながら、大勢の人がロウへと駆け寄った。


「ロウ!」

「は、早く手当しねぇと」

「大丈夫だ、大した傷はない」  

「相変わらずだね、ロウ君は。エヴァもそう思うでしょ?」

「そうね……本当にばか……」


 慌てた様子のホーネスとローニーに対し、キャロとエヴァは困ったように眉の端を垂らしながら苦笑した。細い指先を当てた目尻には、小さな雫が浮んでいる。

 

「それより今は任務中だろ。随分と時間をくってしまったから、早く行ったほうがいい。帰って来たら話せる時間はあるんだから、話はそれからにしよう」

「で、でもよ」

「お前たちは軍人だ……そうだろ?」


 微笑んだロウに四人は呆れながらも苦笑すると、後で今までたまった言いたいこと全部吐き出してやるから覚悟しとけ、などと捨て台詞を残し行動に移した。

 ロウのことが心配だというのは当然として、話したいことはたくさんある。

 それでも軍人である以上、優先すべきものを選ばなければならない。

 後ろ髪を引かれつつ四人は民間人を先導し、先へと進んだ。


 サロスを含めたくさんの人々からお礼の言葉を述べられ、どこかくすぐったくなる感覚の中で皆を見送ると、ロウはその場で力なく仰向けに倒れた。


「どうだ……俺はやりとげたぞ」

「あぁ。さすがだよ、兄ちゃん」


 ロウを見下ろすように立っていたのはフィデリタスだった。

 

「あれが降魔か。確かに事前に見てて正解だった。でも、結局今回俺はいらなかったな」

「次は貴方の番だ。俺が言えた義理じゃないのはわかってる。だが……最後まで諦めないでくれ」

「あぁ……わかってる。兄ちゃんに負けてられんからな」


 そう言ってフィデリタスがごつごつとした太い手を差し伸べると、ロウはそれを掴んで立ち上がった。


 だが――安堵の息を吐いたのも束の間……


 途端、ロウが目を見開いてミソロギアの方角を凝視する。

 それはまるで存在するはずのない未知の何かを見たように、ありえないものを見たように、あまりにわかりやすい程の驚愕の色が浮んでいた。

 

「どうした? 兄ちゃん」

「まさか……そんな馬鹿な」


 首を傾げながらフィデリタスもミソロギアの方角に目を凝らすと、小さく見えるのは二つの影。それがだんだんとこちらに近づいて来る。


「もしかして言ったのか?」

「俺は何も言ってない。兄ちゃんと交わした約束は誓って違えんさ」

「なら……どうして」


 ロウの前で立ち止まった影の正体は二人の少女……シンカとカグラだった。


 肩で息をしながらロウを見るシンカの瞳は揺れている。

 余程急いで来たのだろう。シンカの隣ではカグラが必死に呼吸を整えていた。

 だが、息を整えながらもロウを見つめる丸い瞳には、確かな悲しみが宿っている。


「急に大きな魔力を感じたから駆けつけたんだけど……いったい何があったの?」

「それは……」

「そんなになってまで……隊長さんは何か理由を知ってるんですか?」

「さぁな、俺は今来たとこだよ」

 

 フィデリタスが知らないというのなら、ロウ本人から聞くしかない。

 シンカがロウに再び問いかけようと口を開こうとしたところで、カグラがロウへと歩み寄った。そして小さな手を伸ばす、が――


「ロ、ロウ……さん。あの、とにかく手当を……」


 ロウを掴もうと伸ばしたカグラの手が空をきる。

 すっとその手を躱したロウを見つめる瞳に動揺の色を浮かべながら、カグラは小さな声を漏らした。


「……え? あ……あの……」

「俺は大丈夫だ」

「で、でも……」

「それより、魔力は温存しといたほうがいい」

「貴方がそれを言うの!?」


 たまらず叫んだのはシンカだった。

 

「いつもいつもなんなの貴方は! どうして何も話してくれないの!? 私が信用できないから!? 貴方とは考え方が違うから!? 選んだ道が違ったから!? 私が……私があんな態度を取ったから……何も教えてくれないの?」


 その悲鳴交じりの声が尻すぼみに揺らいで消えると、シンカはロウから目を逸らした。

 カグラはロウへと伸ばして空をきった手を胸元で強く握り締め、何かに耐えるように地面を見つめたままだ。

 そんな二人に、ロウは何も答えることができないでいた。

 フィデリタスは静かに成り行きを見守っている。


 そんな中、シンカの力の抜けた口許から、ほとんど聞き取れないほど微かな音が零れ落ちた。


「だから私たちは……もう……貴方の仲間じゃないの……?」


 風に乗って消えそうなほど小さく呟いたその言葉は、ロウの胸に強く突き刺さった。

 かける言葉が思いつかない中、それに答えたのはロウではなかった。


 酷く冷めた声音が静かに響く。


「今の貴方に仲間を名乗る資格はありませんよ、シンカさん……」

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