30.とある酒場での歓談
――嘘を吐いたことがない。
「そんな馬鹿な話……あるわけ……」
いよいよもって、シンカとカグラはわからなくなった。
何を言っているのだこの人は。今までに
「あぁ、馬鹿な話だ。実に馬鹿な話だが、俺たちの中じゃこれは当たり前のことだ」
さも当然のように言ってのけたリアンに、少女たちは言葉を返せなかった。
もしそれが本当なら……いや、ありえない。
嘘の種類がなんであれ、そしてその中にどんな理由があるにせよ、生きている中で嘘と言葉は切り離せないものだ。だから、そんなことはあるはずがない。
言葉を話す以上、いや、言葉を話せなくても仕草でさえ、生きている以上、自分の意思がある以上、これまでの人生の中で……そんなこと――
そう思っても、何故かそれを言葉にすることができないでいた。
「さっきの隕石の話だ。もし、ここに巨大な隕石が降ってきたとして、ロウがなんとかすると約束したら俺たちはそれを信じる。なぜならあいつは、約束を決して破らない」
「そんなこと……」
「リアンもリアンでややこしいんだよ。ようはあれだろ? 俺が狸だって、言葉で言っても信じれない。なら俺たちが信じてもらうには、俺が狸になるのを見せればいいんだ。そゆことだろ?」
「なら見せてみなさいよ」
「ポンッ!」
得意げに語るセリスに向かって、シンカはジト目を向けながら言葉を投げかけた。
それに対してセリスがノリに乗って再び狸の真似事を始めると、訪れたのはあまりに冷ややかな静寂だ。
そんな空気に耐え切れなくなったセリスは、なぜか両眼を閉じ、恰好をつけるかのような少し低くした声音で言葉を発した。
「ふっ、今日はもう眠ろう。
「そ、そうですね」
「え、えぇ」
そんなセリスに二人の少女が苦笑した。
するとリアンは湯呑を仕舞い、立ち上がって服を払いながら、特になんでもないようにさらりと言葉を口にする。
「その前に妹の方」
「は、はい」
「姉のことは好きか?」
「もちろんです」
「ずっと一緒にいたいか?」
「そ、そんなの当然です」
「姉の方はどうだ?」
「当たり前でしょ。今さら何よ」
「なら、どちらも死ぬわけにはいかないな」
その言葉にシンカとカグラは間の抜けた表情で首を傾げていた。
当たり前の答え。当たり前の想い。
それをなぜ、わざわざ問いかける必要があったのか。
だが、そんな二人を無視したままリアンは背を向けて歩き出した。
セリスも”おやすみ”という言葉を残し、彼の後に続いて歩き出す。
いつの間にかかなりの時間が過ぎていた。もう部屋に戻って休むのだろう。
そんな背を見つめる二人の少女の耳に、足を止めることもなく振り返らずに言ったリアンの声が夜風に乗って届いた。
「ロウの言っていた、このままでは命が幾つあっても足りんと言う命は――本当にお前たちが思ってる命なのか?」
「ははっ、リアンにしちゃ大サービスじゃねぇか」
「黙れ」
小さくなっていく背中。
いったい彼らが何を伝えたかったのかを考える中、漏れた言葉は不満気なものだった。
「なんなのよ……もう」
一方、軍議の後での話し合いを終えたロウは、フィデリタスに半ば無理矢理連れ出され、彼ら行きつけの「グッデイ」と呼ばれる酒場へと連れられていた。
メンバーは中央守護部隊第一小隊長フィデリタス、第二小隊長カルフ、第三小隊長トレイト、総合管制部隊第一小隊長のタキアだ。補佐官のロギとゲヴィセンも誘っていたのだが、年の功にはなんとやらと言いつつこの場には来なかった。
「おっちゃん、
「はいよ!」
タキアの隣に座っているロウは、自分の置かれた状況にただ唖然としていた。
向かいに座るフィデリタスは、もう何杯目かわからない量を飲んでいる。その隣に座るカルフはリアンたちより三つ年上のニ十一で、トレイトは一つ上の十九だとここに来る道中で話していたが、その飲みっぷりは気後れするほどだった。
といっても、まだ余裕のありそうなカルフに比べ、トレイトは意地でついていっているようだ。
要は負けず嫌いなのだろう。ここにはいない誰かと同じだ。
焦げ茶色の髪にバンダナを巻いた親しみやすい印象のカルフとは対照的に、トレイトはとっつきにくいところがあるかと思っていたが、話してみるとそうでもない。
言葉に問題のある皮肉屋ではあるものの、その奥にはまた違った一面が見て取れた。
だが、本当に驚くべきは……
「ロウさん」
名を呼ばれた意味を察し、ロウが手元の
隣でロウに酌をするタキアは、ロウと同じく地酒を飲んでいた。
少し焼けた肌に、栗色の髪を左側で御団子に纏めている。下側だけの黒いフレームの付いた眼鏡をかけ、三十代前半と言っていた知的な彼女。
フィデリタスは顔が赤らんでいるにもかからず、タキアはまるで素面のようだ。
「どうかしましたか?」
「いや、みんな酒に強いんだなと思っていただけだ」
「なにをいふかと思へば。きさまが軟弱ならけら。それれも魔憑か」
どんっと
「いやいや、魔憑は関係ないだろうに。ってか、お前はそろそろやめとけ」
「なにをおっしゃいまふか、かるふ隊長。私はまらまらいけますとも。そういえばきさまぁ、りあんたちとはろういう関係なのら?」
「昔馴染みだっていってただろ」
「ふぃれりらす隊長、あのりあんが固執しら男れすよ? 他になにかあるのらろ?」
「なにもないぞ? 一緒にいたのもたった二年だ」
「そんなはずないらろ。そのていろであのりあんが――うっ」
「ちょっ、バカ! 堪えろ! すいません、ちょいとお手洗いに行ってきますわ」
言って、口元を抑えたトレイトを連れてカルフが席を立った。
カルフは面倒見が良い兄貴分といったところだろうが、苦労人のようだ。
「すまんな、兄ちゃん。あいつは入隊時の試合でリアンに負けたことを根に持っててな。再戦しようにも、リアンの奴がそれを受けることはなかった。まぁ理由は兄ちゃんを探すためだった、ってわけだが。だから、堅物のリアンがそこまで固執した兄ちゃんのことが気になるんだろうさ。まぁ……さっきの話で納得だがな」
「さっきの話?」
「軍議の後の話ですよ。隊長が何を納得したのかはわかりませんが、私はむしろ心配です」
眼鏡を指先で押し上げ、そう言ったタキアの声はとても不満そうだ。
「保護者みたいなこというなよ。男が決めたことに――」
「隊長。貴方はいつもそう言いますが、それを見ている側の気持ちを考えたことはありますか? 男というのはどうしてこうも……はぁ……やめておきます。今日は小言を言わない約束でしたね」
「す、すまん」
フィデリタスが引きつった笑みを浮かべる。
今日は、ということはいつもは小言がたくさん出てくるのだろう。
この場が特別だという理由は、来る運命の日があるからに他ならない。今日の軍議を終えた後、皆は思い思いの夜を過ごしている。
なにせ、明日からは休む暇などまったくないのだから。
運命の日までは残り二週間。それまでにやらなければならないことは山積みだ。
なにより、明日から民間人の一時的避難が始まるということは、こうやって次この店に来ることができるのも随分と先の話になるだろう。それも無事、運命の日を乗り越えることができればの話だ。
そんなことを思いつつ、ロウは空いたタキアの猪口に酌をした。
「貴方もですよ、ロウさん」
「え? あ、あぁ。すまない」
フィデリタスと目が合うと、彼は苦笑いを浮かべて返した。
つられてロウも苦笑すると、タキアの声が割って入る。
「なにが可笑しいんですか?」
「「いえ、なにも」」
アイリスオウス最強の男と、氷の魔憑である男が二人して頭が上がらないというのは、なんとも言い難いものがある。これが大人の女の強さ、というものか。
「にしても浮かない顔だな、兄ちゃん。やっぱり気になるか」
「…………俺のやり方は間違っているのかもしれない」
「それでも退かんのだろ?」
ロウが静かに頷くと、タキアはぐいっと猪口を傾ける。
「これだから男は嫌いです。正直に言えば、ロウさんがやろうとしていることを私は手放しで後押しすることなんてできません。理解はしますし、間違いとも言いません。それでも……っ、いけませんね。お酒が入り過ぎたかもしれません。少し風に当たってきます」
足早に席を立ったタキアを見送ると、フィデリタスが苦笑いを浮かべた。
タキアは所謂ザルというやつだ。この程度の酒に酔ったなどということはない。
が、それを言い訳にこの場を立ったのは、ここいるとつい小言を零してしまうからだろう。
「あいつにはいつも苦労ばかりかけてきたからな。ただ兄ちゃんを心配してるだけなんだ。悪く思わんでやってくれ」
「わかってる」
「ははっ、そうかい。…………兄ちゃん」
呼ばれてロウが視線を送ると、フィデリタスは真剣な眼差しを向けていた。
「はぁ……」
店の外に出たタキアは、夜空を見上げながら深い溜息を零した。
「本当に今日はどうしてしまったんでしょうか」
原因はわかる。今日、いきなり現れた氷の魔憑だ。
「似てるんですよね」
そう呟き、タキアは軍に入ると決めたきっかけになった事件を思い返す。
「あの人も、きっと同じ状況ならロウさんと同じ決断をするんでしょうね」
幼い頃、父親に連れられて行った初めての土地で、タキアは誘拐された経験があった。向こうで知り合った同じ歳くらいだった男の子は難を逃れたが、一人で怖い思いをしたことを今でも覚えている。
恐怖で今にも死んでしまいそうだという錯覚に陥る中、助けを求めた男の子の思いに応え、タキアを救う為に現れた男は彼女にとってまさに
「ふぅ……」
もう一度息を吐き、次いで大きく深呼吸をすると、タキアは小さな掛け声と共に店の中へと引き返した。
「…………兄ちゃん」
真剣な眼差しを向けるフィデリタスが、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「兄ちゃんはたくさんの秘密を抱えて、いろんなものを背負って生きてきたんだろう。どうしてかわからんが、俺にはまるで兄ちゃんがとても長い時を生きてきたように見える。その黒い瞳の奥に、それだけの悲しい想いを背負ってるように見えるんだ」
「俺は……」
「いや、わかってるさ。そんなことはありえんよな。それでもそう見えてしまうのは、きっと兄ちゃんに強い覚悟があるからだろう。俺も酔ってきたみたいだな。はははっ」
「…………」
ロウは何も答えなかった。いや、正確には答えることができなかったのだ。
なぜならロウは、それに答えるための回答を持ち合わせていないのだから。
それを口にしようとしたところで、千鳥足のトレイトに肩を貸しながらカルフが戻って来た。
それから程なくしてタキアも戻ってくると、気持ちを切り替えて再開された何気ない歓談。夜も更け、それは日付が変わるまで続いた。
そして、いずれまたみんなで来ようという言葉を交わし、一日が終わってく。
皆できっと運命の日を乗り越えられるのだと……そう、信じて。
…………
……
次の日からの軍内部は慌ただしさを見せていた。
あまりの衝撃に動揺を隠せない様子だったが、馬鹿馬鹿しいなどと罵る者はいなかった。それだけ各部隊の隊長たちが信頼されている、とうこともあるが、議長をはじめとする軍上層部がそんな冗談を言うはずもない。
中立国であるアイリスオウス最大都市ミロソギアの軍が総力を挙げて動く。
それこそが、語られた話が紛れもない真実だと告げている。
人々の記憶の中で、いや、大きく過去を遡っても、これほど大掛かりで国が動くのは初めてのことだった。
ミソロギア付近の町に早馬が出され、この民間人の受け入れ態勢を整えると、すぐさま民間人の大移動が始まった。
当然、民間人の動揺は軍のそれより遥かに大きなものだった。
正確なものではなく言葉を濁したような話ではあったものの、平和が終わりを告げるというその宣告を受け、冷静でいられる者の方が少ないだろう。
が、一昨日の地鳴りから、嫌な予感というものがあったのかもしれない。
皆が皆、胸の中に大きな不安を抱えながらも、その日は確実に近づいている。
軍議の次の日に目を覚ましたエヴァも小隊に復帰し、ホーネスの部隊は民間人の護送の任務についていた。
リアンやセリスも慌ただしく動く中、軍人でもなく軍内で仕事のないシンカは一心に鍛錬を重ねていた。
カグラもシンカに教えを乞い、ひらすら訓練に励んでいる。
……魔憑としての役目を果たすために。
そんな二人の姿はまるで、何か心の中にかかった靄を振り払おうとしているように見えた。
それが何かなど言うまでもないが、少女たちはロウと会おうとはしなかった。
リアンも軍議のあった夜以来、そのことについては何も触れず、すれ違ったままの日々が流れていく。
気が付けば早くも九日が過ぎ、運命の日まで後三日の――九月十日。
この日、二人の少女は……
――貴方はあそこで何をしていたの?
――貴方には何が見えているの?
――貴方の本当の声が聞きたい……
”こんなに苦しいなら……私は……仲間なんていらなかった”
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