忘れたくないこと。
とある人がこんなことを言っていた。
「いじめられた人間は一生忘れないが、いじめた人間は忘れている」
なるほど。
この警句を私は「己の加害に気付くのは難しい」という話として聞いた。
さもありなん、だ。
そう長く生きたわけでもないが、短くもない。なにかやらかしてしまったことは多々あって、そのうちのいくつかは、他者に一生残る傷を与えているかもしれない。
申し訳ない、と思う。
そんなことをしてしまったかもしれないのに、まったく思い出せないことについても「大変申し訳ない」と、こうべを垂れるしかない。
当たり前だが、忘れたことは思い出せないのだ。
今回の手紙をこの内容にしようとしたきっかけも、昔のことをかなり忘れていると気付いたからだ。
私は高卒だが、小中高とかかわったクラスメイトや教師の名前など、まったく思い出せない。
いや、名字の一文字くらいはなんとかなる。
「あの先生は山口だったか山崎だったか、西口だったか西崎だったか」
つまり、何も覚えていないということだ。
高校の文化祭でギター弾き語りでステージに立ったというのに、何を歌ったのか、どうしても一曲だけ思い出せない。なにやら賞をもらった記憶もあるが、賞状に類するものがこれまた手元にまったく残っていない。
過去に興味がないのではない。薄すぎるのだ。
今と比べれば、学生時代など炭酸の抜けたコーラに等しい。
今が濃いかといえば、それは分からないが、自分の虚しさをそれこそ忘れたふりをして生きていた頃よりはいい気分でいる。
忘れたくても忘れられないものもある。
それは無常の世にあっても変わらないことだ。
産まれてくること、生きること、死ぬこと。
つかの間でも忘れる瞬間はある。
しかし、その次のときには、姿を現す。
決して忘れさせんぞ、などと三下のセリフはのたまわない。
いつ何時も、死はただそこにある。
その死を思うたび、存在を思い出すたび、私は人生のすべてを虚しく思う。
そしてそれは、私にとって必要不可欠な虚しさであることにも気づく。
もうずいぶんと多くを忘れてしまった。
人から見れば、忘れてはいけないことも忘れているのかもしれない。
だが、私にとって私が忘れてはならないことは、今も覚えている。
死ぬまで、忘れることはない。
死ぬことこそが、私の覚えておかねばならん唯一のことだからだ。
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