書き続けることについて。

 言いたいことを表すために言葉を書くのではない。


 書くことで自分が何を言いたかったのか分かるのだ。


 その“分かる”とはどういうことかについて書いていきたい。


 なにが分かるのかといえば、『言葉では思ったことが伝わらない』ことだ。


 相手に伝わるように、体裁を整えた文章を組み書き上げた手紙を読み返すと「こうじゃない」という思いでいっぱいになる。


 そもそも自分が何を考えていたのかも判然としなくなる。


 気持ち、言霊ことだまに実体を与えようと言葉を紡いだつもりが、より霧が深くなっていくようだ。


 次第に、どうやら歩き向かう道を誤っていたことに気付く。


 この手紙を書き始めた最初の動機は、私の希死念慮であったはずだった。


 私は死にたかった。


 はずだった。


 だが、書けば書くほど「そうではない」という思いが強くなった。


 私の抱えていた辛苦の正体は、空虚さであった。


 人生を無意味無価値としか思えぬ、非適応的な者であることが苦しみの正体であった。


 そこに辿り着くまで、おそらく10万字ほど要したであろうか。


 そこから、さらに15万字あまり書いた。


 書けども書けども伝わらないのは変わりない。


 だが、もはやそれでいいと思っている。


 肝要なのは、伝えるべきは、書くことの中身ではないのだ。


 ここまで何年も長々と何十万という文字数を費やして、同じようなことをずっと延々と書き続けている行為が伝わればよい。


『親愛なる自殺志願者へ』に繋がるリンクURLをタップし目次にずらりと並んだ果てしないサブタイトルの数々を眺めてくれればそれでいい。


 言葉という観念を超えた肉体的な現実リアルは実際、そこにあるのだからして。


 手前味噌だが、それなりの境地に至っていると思っている。


 狂気とさえいえるかもしれない。


 結論を述べよう。

 

 友よ、伝わらないことを嘆いてからが本番だ。


 言葉の先に、書き続ける人間の行為が説得力を帯びる。


 私は、そう思う。


 中身などどうでもいいから書き続け、言い続けるのだ。


 誰よりも自分自身が、そのことを望んでいるはずだ。

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