頼むから、「やる気があるのか」などと訊かないで欲しい。
そんなものは無い。
以下蛇足である。
私にとって、『人間』をやるのは大変な困難である。
当世の人間が当然に持っている価値観と相容れないからである。
生きたい。
死にたくない。
愛し愛されたい。
幸せになりたい。
すべてどうでもいい。
私の人生に意味はなく、私の命には何の価値もない。
産まれてしまったついでに生きて死んでいくのだ。
それでいい。余計なものを付け足さないでほしい。
しかし気付けば贅肉だらけとなった自分がいる。
物に溢れた部屋、多くの人と会う予定。
これは、どちらかといえば私が悪い。
私のようなものは、人の輪の中で生きていてはいけない。
人里離れた山奥であるとか、絶海の無人島であるとか、そういった場所で孤独の安寧と生命の常なる危機を感じながら生きるべきであった。
他者と関係してしまう生き方を選ぶべきではなかった。
そのせいで、私自身も含めた多くの者を消耗させてしまう。
私が『人間』をできないせいで、誰よりも私が苦しんできてしまった。
『人間』ができなければ『人生』もやり遂げられない。
『人生』をやるのに必要な「やる気」など無いわけである。
それがさもあるかのように振る舞ってきた。
まったく芯も反発力もないすべてが虚偽の土台の上にたった「やる気」だ。
だからその不在を問われると何も言えなくなる。
万事において「やる気がないなら帰れ」と言われれば、それが期待からの檄であったしても私は帰るしかない。
皆、大なり小なり何かのために生きている。
それは「幸せのため」であったり「愛する誰かのため」であったり「ただ死なないため」であったりする。
そういう宗教を生きている。
私はそうではない。まったくそういった宗教観を了解できない心性で生まれてきてしまったので、脅されても励まされても『人生』をやることができない。
自分が自分に吐いてきた嘘をすべてを取り払ったら、死ぬことさえどうでもいいと考える好ましい空虚を持った私が現れた。
私はこれからも「やる気」を出さないだろう。出す振りさえしないだろう。
やる気があるのかないのか分からない丁度いいところを狙っていこうと思う。
私ができる最大限に高度な政治的しぐさで誤魔化していく所存だ。
私なりに必死でごにょごにょとしておくこととする。
「やる気があるのか」などと訊かないでほしい。
頼むから私に嘘をつかせないでほしい。
蛇足らしい愚痴っぽい文章が完成した。
私の本質がよく表れている。
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