雨の日は、なるべく孤独に。

 日曜の夜だ。


 この手紙の前身である個人ブログの記事も、この時間に書くことが多かった。意味も意図も、それほどない。なんとなくだ。


 私の日曜の過ごし方は、だいたい決まっている。


 朝は八時前に起床し、午前中はスポーツクラブで運動し、午後は消音したTVでプロ野球中継など観ながら読書にふける。その間、細々こまごまとした家事炊事洗濯掃除などが挟まってきて、夜はNetflixで何か観てから就寝する。


 小説を書けと? その正論には、うむ、と生返事をしておくこととする。まぁ、明日にでもやるのでそう詰めろをかけてくれるな。


 かように私の生活はかなりルーティン化されている。創作の両輪たる音楽の予定が入らなければ、まったく平坦な日常を送ることになるのだ。


 しかし今日は全体的に気分の乱高下らんこうげが激しい日であった。


 普段であれば、朝から運動して風呂に入ってしまえば何となくさっぱりとしていくし、贔屓のチームが劣勢を強いられたとしても、寝ざめの悪くなるニュースを見聞きしたとしてもほとんど気にならないのが、本日はどうにもノイジーだ。


 原因は、雨だろう。


 朝、さぁ出かけるというところで予報外れの土砂降りがケチのつけ始めだ。急な大気の乱れから、どうにも頭が重くなり、妙に汗が出て、変な時間に眠くなったりもした。


 いわゆる天気頭痛であるとか、低気圧不調であるとかを、私は敢えて気にしないようにしているのだが、やはり、何かあるのだろう。


 また、ネットワークもこれらの大気圧における心身不調の原因をあずかっていると思われる。


 全国的な大気の乱れから来る気分の乱れがネットワークを通じて、さながら湖面に起きた小さな波紋のように神経過敏の大波となり、さらに多くの人の気分を落ち込ませるのだ。


 今日はやけにニュースでもSNSでも皆が苛立っているように感じた。


 情動感染という言葉がある。ネットワークを通じてちょっとした気分の落ち込みが拡散したのであれば、気圧症は、案外と現代的な病なのやもしれんな。


 そのように、少々不安定なところのある日曜であった。


 が、こうして終わってしまえばなんということはない。


 劣勢だった贔屓のチームはサヨナラ勝ちし、頭痛や眠気から昏々と昼寝をかましてしまうこともなく、良い疲労感の中これを書いている。雨は止んだ。


 人は気分から逃れられない。


 ほんの些細な気分の転落が、物理的な自殺の落下に繋がる。


 どうにもできん。進化の過程で、人間という動物の情動は、自殺を獲得するに至った。我々は同胞が日々数万単位で寿命を迎えていることに何も感じない程度には大胆で、お気に入りの皿が割れてしまったことを死ぬ理由にする程度には繊細なのだ。


 だが、悪い気分の増殖を防ぐことはできるかもしれない。


 今度、雨が降ってきたら、とりあえずインターネットには接続しないで様子を見てみることにする。


 私のような真なる暇人でこそなせる業だろう。


 そうもいかない日があるという点で考えれば、我々は低気圧×ITという、自殺の原因を一つ増やしたともいえる。


 テクノロジーは、その進歩の度毎に、人類に自殺の理由を一つずつ増やしている、のかもしれない。

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