滅びられるうちにちゃんと滅びておくように。
拝啓 親愛なる未来の自殺志願者のみなさまへ
決して会うことのない友よ。今なにをしている。息をしているか。
世界はどうだ。東南海沖で大きな地震は起こったか。数十年ぶりの噴火はあったか。新しい病原菌は生まれ続けているか。人口は百億に届いたか。それともすっかり減ってしまったか。
いずれにせよ、あなたが平穏無事であるなら喜ばしい。
人は相変わらず、意味もなく産まれ、死んでいることだろう。それだけは分かる。
あのとき死んでおけばと思った日からどれだけ命を続けてきた。無意味な営みにうんざりしているか。せめてその日常における苦痛が最小であればと願う。
私の話をしようか。
大した話はできん。
この期に及んでは、苦痛を減らすことにしか興味が湧かん。
現代社会に適応的な人間、いわゆるひとつの「普通の人」になりたいなどと考えていた過去は、はるか遠くのつい数年前だ。
ひとり、このような手紙を長々と書き続けたことで、妙な思想の
私は変わらず、死ぬことばかり考えて生きている。
あなたはどうだ。今一度問う。
息をしているか。
うんざりしているか。
昨今の経済では、『持続可能な開発目標(SDGs)』なる言葉があるようだ。
そこへ向かって、私はこう言いたい。
「やめておきたまえ、繁栄という名の自傷行為を続けるのは」と。
適当にやって半端なところでとっとと滅びてしまえ。死ねるうちに死んでおかないと後が辛いのは、個も種も同じだ。
無為に生き永らえ、ただ渇くばかりの欲望が積み上げられるばかりではないか。バベルの塔や天狗の鼻を出すまでもなく、増長を続けるものはいつかボキリと折れる。大きければ大きいほど後遺症は悲惨なものとなる。
死を想い考え続けるのは、まさにその瞬間を逃さぬためだ。
死すべきときに死ねるように。
少しでも健全で健やかなる死を迎え入れられるように、だ。
実は今週、その尻尾を掴んだような瞬間があった。
自分が、まさに文字通り死ぬほど辛い苦痛の中で死に絶えることに“納得”できそうな瞬間があったのだ。
哀しみと絶望のなか「もう、疲れた」と言いながら死ぬのではない形を見つけた気がしたのだ。
そんなことを書いておいて、明日にでも事故か災害などに遭って訳も分からぬうちにぽっくり逝ってしまうかもしれんがな。
それはそれで、望むところではある。
友よ。未来の自殺志願者よ。
人間はまだ、滅びてはいないのだろう。
うんざりすることだな。本当に、だ。
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