健康について。

健やかなる肉体に健やかなる死は訪れるか。

 暑さもたけなわといったところである。


 今日などは遠く太平洋をうろうろとしている台風の影響で強く風が吹く時間帯もあったが、やはり30℃超えの真夏日が続く。冷房は昨今定義が変わって、26℃くらいがちょうどよいらしい。ちょっとした参考にしていただきたい。


 先日、オリンピックが始まった。


 肉体の表現者たるアスリートには、ひとつの創作者として敬意を持っている。


 これまで積んできた研鑽のすべてを叩き込める舞台など、人生に一回もない貴重なものであろう。


 そういったところで思わぬミスをやってしまう。先を見据えるあまり実力を出し切る前に散ってしまう。などの残念無念極まる有り様には、どうかここまで辿り着いだ自分自身を責めず、胸を張っていて欲しいと思うばかりである。


 そのように全身全霊を懸ける場を経験したばかりに、燃え尽き症候群のようになってしまうのもいけない。


 球技などは、大量得点差があっても「試合の締め方が重要だ」と解説される。


 たとえ金メダルを獲得し競技者として絶頂を極めた後も、その人の一生は続く。


 何に対しても意欲が湧かぬまま、うつを抱え精神薬にまみれた締まらない最期を迎えたとあっては、まさに死んでも死にきれまい。


 燃え尽きとは別に、激しい身体接触のあるスポーツは自殺のリスクが高い。


『自殺潜在能力』なる単語を聞きかじりで覚えたので紹介する。


 自殺願望や希死念慮とは違う、実際に死ぬことに対してあまり抵抗感のない人、もしくは、そういった心性を獲得した人のことをいう。


 浅く手首を切る、オーバードーズするなどの自傷行為を繰り返すことによって、身体的な苦痛に悪い意味で慣れてしまい、ときに企図せざる形で自殺を遂げてしまうこともある。


 それと同じように各種フットボール(サッカー・ラグビー・アメフト)、格闘技、頻回ひんかいの外科手術(まさにアスリート病である)など、これも自らの身体を傷つける頻度の多さが自殺のハードルを下げる。


「健全な肉体には健全な魂が宿る」という言葉は、もともと「神に願うのはその程度にしておけ」といった警句に近い意味だったそうである。


 健康な身体以上のものを求めると、人は壊れていくものなのかもしれんな。


 私は自殺であれなんであれ、最期のとこは「健やかなる善き死」を願う者である。


 それも、少々過ぎた要求であろうか。

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