無駄と怠惰を愛されよ。
私は、無駄なことばかりして生きている。
友人・知人に音楽をやっている方が多いので感じることだが、創作表現はこの世にまったく必要のない活動である。
不要不急どころか、無害無益とさえ言っていい。存在する価値の度合いでいえば、足の小指の第一関節と同程度だ。
そういったところで、私は日々、せっせと新しい第一関節をこしらえている。それ以外には食って出して寝ているばかりだ。一日17時間稼働の全自動糞尿製造機というわけだ。
つまり、私はこの世界に何の価値もない無駄な存在なのだ。
しかしそれは、この世に何らかの価値ある物が存在するという前提に立った場合の話だ。
そんなものはどこにもない、と分かってしまえば、私個人の価値など、どうでもよいことだ。生まれてから死ぬまで、すべての行為が無駄であると断じてしまえば、あとは己が下手な不利益をこうむらぬ程度に、好き勝手に生きてやればいいのだと開き直れる。
犯罪はいかん。それもまた、無駄で無益で無味無価値な行動ではあるが、そんなことで罪に問われ、牢にぶち込まれる不条理を味わうことはない。
大きな満足を得ようとしてはいけないのだな。
得た物は失われるのが世の道理で、またそれを性懲りもなく求めてしまうのが人の愚かしさであるからして、得るも失うも、できるだけ小さい方が良いのだ。
というわけで、決して見咎められん小さな快楽を、コツコツと積み上げていくことこそが肝要であるといえる。
それはまた、できる限り無益無用なものであればあるほどよい。
なにしろ、すべてはしょせん無駄な行為なのだから、下手に何らかの実用性があってしまうと、それに囚われてしまうかもしれない。
友よ、今日も今日とて「死にたい」と、切なる願いを祈る友よ。
なにはともあれあなたは生きている。それを祝福も賛辞を送りもしないが、何も分からぬまま、何もないまま、あなたは生きておられるわけだ。
無駄と怠惰を、この期に及んで尊んでみるのはいかがだろうか。
私は今日もそうして生きている。
手を引っ張りも、背を押しもしない。
無駄を愛する私の道は、ちょうど、この小説投稿サイトとライブハウスの場末に存在している。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます