検索を捨て、ゲームをせよ

 読書の春である。こちらは本音。前項で書いたように、私は春の過剰な高揚感が疎ましくなる性質たちで、四月・五月は大人しくしている。自然、活動はインドアなものに限られてくる。


 気楽な生活を提唱する上で、こういった人間的な不活性期をどうやり過ごすのかというのは、重要なことである。


 とあるウェブコラムに、昼夜逆転生活を送る鬱病患者の精神状態について書かれたものがあった。


 彼らは、一様に夜になってくると目が冴え、真昼に眠たくなる。それは、人間の活動期であり主な労働時間であるときに、『何もしないでいること』への罪悪感があり、眠りに落ちることで気分の落ち込みを回避しようとしているそうだ。


 無論、彼ら彼女らは『何もしていない』わけではない。精神の均衡きんこうを保つための適応。もしくは、休息という名の治療を行っている。


 そこをよく理解し、昼夜逆転を矯正するのではなく、むしろ受け入れ、奨励する。眠れれば何時でも良いのだと身体に覚え込ませ、休む癖をつける。すると、不思議なことに昼夜逆転は解消され、病は快方に向かうのだという。


 春夏秋冬、いつ何時でも訪れる「死にたい真昼」を回避する手段である。


 昼寝だ。


 友よ、親愛なる自殺志願者よ。眠れ。眠ってしまえ。私が許す。いつか目覚めぬ微睡まどろみがやってくるその日まで。死にたい真昼をやり過ごせ。


 もう一つ。私からの処方箋を書く。


 孤独だ。


 一人になる。これは、現代では大変に難しい作業である。今こうして私の文章を読んでいるまさに今、あなたは孤独にはなれていない。インターネットは人から孤独の自由を奪い続けている。


 私はスマートフォンを持たない。大多数の人よりウェブの毒気は回っていないと自負している。ふとした死への倦怠に襲われる時間、指先一つで検索を行える端末は、悪魔的発明品だ。それを造る企業の一つが神の果実を模しているなどと、笑えない冗談である。


 検索は負の感情を増幅させる。


 これは受け入れねばならない。死にたいときに『死にたい』と検索してはいけない。海に見えるそこは穴ぐら。多様な意見に触れたようで、実のところ得られる情報はごく狭い範囲に留まる。穴ぐらの声は大きく響く。まるでそれが世界の真実であるかのように聴こえる。違う。その世界は、あなたの掌に収まるほど小さい。比喩でも。事実としても。


 孤独だ。孤独にならねばならない。


 一番良いのは寝てしまうことだ。狭隘きょうあいな世界で深慮を重ねるくらいならば、何も考えない方が良い。


 次善の策は、読書とオフラインゲームだ。


 共に、一人で、手や目を動かしながら、それほど体力を使わない娯楽。何より、外の世界から閉ざされた環境を作れる。一人になれる。最高だ。


 検索を捨て、ゲームを始めよ。一人が飽きたら、私も呼んでほしい。たまには。

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