あなたは、フィーネに騙されていた

 ゴールデン・バンブーで囲まれた舗装路を抜け、鬱蒼としたガジュマルの木々の下へと身を飛び込ませる。

 

 騒々しく鳴り響いていた〝アラーム〟の発声現場……辿り着いた淑蓮は、大量に仕掛けられた〝腕時計〟を見つめ、刹那の間、己が陥った〝窮地〟を脱するために思考を奔らせた。

 

 罠? いや、罠であって当然だ。


 ゲーム開始前にお兄ちゃんに与えられた時間は30分、開始数十秒で、フィーネ・アルムホルトの10m圏内に入る可能性があるとしたら――


①お兄ちゃんは、スタート地点から動かなかった

②お兄ちゃんは、スタート地点から〝動け〟なかった

③アラーム音を用いたトラップ

④フィーネ・アルムホルトが、30分でソースコードを書き換えた(まず、不可能。ソフトウェアへの干渉は、ゲーム前の工作で封じておいた)

 

 自ず、この四択に絞られる。

 

 ①、②であれば、私は現場に赴くことを強要される。信頼できない衣笠先輩や水無月先輩に任せれば、情報戦において後手を踏む必要があるし、現場に急行しないことはゲームの敗北を意味する。

 

 ③、④であっても同様。罠であろうと、現場に出向かなければ、唯一の手がかりであるアラーム音において優位性アドバンテージをとられ、茂みや木々の多いこの島で目視確認という不合理を踏むこととなる。

 

 つまり、私はココに来ることが〝ベスト〟。


 合理性に基づいて行動しており、冷静さを失っていないし感情的にもなっていない。お兄ちゃんをこの魔の島から救うにおいて、必須事項となる〝アクション〟。

 

 だが、これは、いや、これは、


「バカな」

 

 天から落ちる雨粒を受け止めている葉の下から、当然の如く、湧いてくる屈強な民兵たち……全員が全員、たかが小娘に容赦する気などないのか、当たり前のようにM4カービンを構えており、油断なく目線を走らせている。


「め、名義は確認した……民間軍事会社PMCの実権を握っているのは、あ、あなたじゃない……」

「敗北を喫した少女の台詞にしては、陶酔的ロマンチックじゃない」

 

 執事が差した傘の下で保護されているフィーネ・アルムホルトは、土の下で生き返った死人のように冷めた目玉をしていた。

 

 兄を『ダーリン』と呼び、何かと感情的になり、無計画とも思える行動をとって、水無月結が〝化物〟と形容する程とは思えなかった彼女は、緩やかに訪れる〝死〟のようにして立ち尽くしている。

 

 雰囲気が、まるで、違っている。なんなの、この人。人間の皮を被って生きている〝死体〟のような冷たさ、この人は私の生き死にに、いや、〝世界丸ごと〟興味をもっていない。

 

 私と由羅先輩が撃ち殺されたとしても、無言で墓を掘ってから憂鬱そうに埋めるだけだろう――淑蓮は由羅がいないことをようやく察知し、動揺からくる苛立ちで舌打ちをした。


お情けヒントは与えた。この島のネットワークが〝フィルタリング〟で規制されていることは、情報開示ソースオープンしていたから。

 女性に関する情報は、アキラくんの〝脳〟に入らないように工夫していた……ココまで言えば、わかる?」

「ふ、ふざけないでくださいよ……民間軍事会社PMCの契約書が、万が一にでもお兄ちゃんの目に入らないように、〝男性名義で契約していた〟とでも言うつもりですか……?」

「『フィーネ・アルムホルト』と書かれた契約書が、〝別の女の名義〟だとアキラくんが勘違いしたら、ソレは彼の脳が〝他の女〟を受け入れたことになるでしょう?」

 

 このひと、狂ってる?

 

 我が物顔で言い抜いたフィーネ・アルムホルトは、夜の女王然とした態度で自若じじゃくとしており、無論たる根拠に基づいて行動しているかのように振る舞っている。

 

 つまり、彼女は、〝正気〟だった。


「桐谷淑蓮……あぁ、発音したくない。代わりに話して」

 

 名前を出しただけで具合が悪くなる、と言わんばかりに身震いした彼女に代わって、傘を差していた執事が朗々とした声音で語り始める。


「桐谷淑蓮。あなたは、四択の選択肢に陥りましたね? そして、どの選択肢を選んだところで〝結末〟は同じだった。なぜならば、あなたは〝ゲーム開始前に負けていた〟からです。

 なぜ、相手側が絶対的に有利な内容でゲームを受けたのですか? 最悪、この島から桐谷彰様を連れて逃げれば良いと思いましたか? あの小舟のエンジンが動作することはないのに? そもそも、あなたは、なぜ〝勝てる〟と錯覚したのですか?

 桐谷彰様の自室に〝髪の毛〟が置かれていたから、この島へと容易に潜り込めたから、水無月結の度重なる〝弱音〟で逆に〝強気〟になったから、民間軍事会社PMCの契約内容を調査できたのは〝自分の実力〟だと勘違いしたから、一度は擬似的な勝利を味わってフィーネ・アルムホルト様を侮ったから」


 待て。待て待て待て。どこから、どこから、計算していた? あ、有り得ない。お兄ちゃんの部屋に落ちていた〝白金髪プラチナブロンド〟は、わざと残していったとでも言うつもり? だ、だとしても、アレは唯一の手がかりで、ココに来るためにはあの髪を利用する他――自分で選択しているようで〝操られていた〟? 今の状況と同じことが、〝ずっと続いていた〟とでも?


 コレは……人間?


「もしかして、ゲームのルールを律儀に守ろうとしていたの? アキラくんと血が繋がっていない下賤な哺乳類の分際で、高潔さを保って勝負に挑もうとしていたのなら笑える……フィーの目的が、この島にアキラくんを連れてくることだとでも思ってた?」

 

 少しも愉しそうではないフィーネ・アルムホルトは、欠片も勝利に酔った様子もなく、自動機械じみた正確さで淡色に微笑んだ。


「フィーが願ったのは、汚物あなたたちが世界から消えることだよ」

 

 全身が粟立って視界から光がすうっと消え、凄まじい寒気が淑蓮の背筋を駆け抜けていき――両脇から拘束された彼女は、必死に藻掻くものの抜け出せず、泥状と化した地面に組み伏せられて夜の女王アクアマリンを見上げた。


「教えて欲しいな」

 

 フィーネは、可愛らしく座り込んでつぶやく。


「今まで、アキラくんと何時間、一緒にいたの? アキラくんと一緒に何をしたの? アキラくんの老廃物を何g摂取したの? アキラくんに何度『愛してる』と言ったの? アキラくんの10m圏内に入ったのは何回? アキラくんの肌に接触したのは何度かな? アキラくんのにおい物質を分子量としてはどれくらい摂取したの? アキラくんの発した声を周波数として受け取った理由は? アキラくんに生えている体毛の本数を、どうしてフィー以外の女なのに知ってるの? 戸籍情報に則っている程度で、アキラくんの妹を名乗れているのはなんで? どうして、アキラくんとの接触履歴をデータとして脳に保存しのうのうと生きて――」

 

 唐突に、そう唐突に、フィーネはぽかんとした顔で空を見上げて――それが淑蓮にとって、途轍もない恐怖を抱かせ――


「苦悩のPear of Anguishって知ってる?」

 

 突然、切り替わった話題に対して、二の句を告げずにいると、形状が洋梨に酷似した鉄製の器具がフィーネに手渡される。


 彼女はつまらなそうな顔をしてから、藻掻く淑蓮の口の中にそれを突っ込み……慈愛溢れる女神のように微笑した。


「16~18世紀のヨーロッパで用いられたとされる拷問器具。口腔や肛門に押し込んでから先端にある取っ手を回すことで、洋梨の形をした本体部分が〝四枚に開いていくの〟。

 口から入れれば喉の奥を拡張しながら抉っていくし、肛門から挿入すれば直腸から大腸まで細かく切り裂きながら破壊する……あなたの綺麗な形を保ちながら、その醜くて汚い中身を分不相応に〝損なってくれる〟んだよ」


 彼女は、胡乱とした目つきで、淑蓮の口の中からそれを引っこ抜く。


「でも、あなた、女の子だもんね。

 口腔でも肛門でもなくて……〝別の穴〟で使おうか?」

 

 民間軍事会社PMCの手で捕まった淑蓮は、猛烈な勢いで暴れ、藻掻き、抵抗し、あっという間に体勢を変えられ、無表情のまま、何ら関心のなさそうなフィーネの手で〝拷問〟が行――


「ま、待って!!」

 

 汗だくの衣笠由羅の叫声で、動きが止まった。


「こ、交渉……こ、交渉、しよう……!」

「ノォ~、って言ったら?」

 

 フィーネ・アルムホルトは、真顔のままで小首を傾げた。

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