フィーネ・アルムホルトには勝てないニつの理由

「あの子とは、戦わないほうがいい。

 ゲームを呑んだフリをして、別の道を模索しましょう」

 

 正真正銘の〝怯え〟を隠しきれず、震える腕を押さえつけたゆいは、淑蓮と由羅を前にして事実を吐いた。


「アレだけ大口叩いておいて、なんなんですか? そういう泣き言を喚く雑魚虫は、とっとと巣穴おうちに逃げ帰ってもらったほうが助かりますね」

「あなたは、わかってない。あの子は、〝擬態〟が上手いだけよ。相手に『勝てる』と思わせるためなら、フィーネは自分自身すら騙し通せる」

「はーあ、くっだらな」

 

 同級生たちに〝天使〟とまで形容される愛らしい顔を歪めて、唯一の兄を愛してしまった彼女は鼻を鳴らした。


「履き違えてるとこ大変失礼ながら、誰も勝てる勝てないの話なんてしないんですよねぇ。最愛のお兄ちゃんが最も幸せになれる道の途中に、〝汚らしい障害物〟が置いてあるから脇に寄せようってだけのお話ですよ」

 

 首を傾げた淑蓮は、純黒で塗り固められた目玉でゆいを下から覗き込む。


「私からお兄ちゃんを168時間36分52秒奪ったアイツに、これから私とお兄ちゃんが進む正道を歩かれたくねーんだよ」

 

 条件反射的に目の前の女を排除しようと動いたゆいの手を絡め取るようにして、前髪で顔を隠した由羅が押さえる。


「な、仲間割れはよくない……ぼ、ボクたちの目的は、あの背教者の始末でしょ……そ、そこまでは、協力関係を結んでもいいと思うな……」

 

 ありありと〝漁夫の利〟を狙っている女狐を前にして、ゆいは己の恐怖を一度裡側に閉まって――深呼吸をした。


 整った呼吸をもって、彼女は口火を切る。


「フィーネ・アルムホルトに勝てない理由を、感情的な面だけではなく論理的に提示する。

 それなら、納得してくれる?」

「保険は間に合ってますから、本題に入ったらどうですか?」

 

 アキラくんと結婚した後、この子をどう排除するかが問題だな……ゆいはそんなことを考えつつ、人差し指を立てた。


「ひとつ、『あの子は、絶対に勝てる条件が整わない限り勝負しない』。つまり、私たちが勝負を呑んだ現状、既に敗北は確定している」

「こ、根拠は?」

「フィーネ・アルムホルトは、意味のない行動は〝ひとつ足りとも〟しない。

 わざわざアキラくんをこの島に連れてきたのも、雲谷先生や私たちの侵入を許したのも、アキラくんを追って崖から飛び込んでみせたのも……全部、この勝負を成立させるために他ならない」

「それは、根拠なんかじゃない。ゆい先輩の推測に過ぎないでしょ?」

「死んでるのよ」

 

 眉を潜めた淑蓮に、ゆいは〝真実〟をささやく。


「フィーネの父親は、あの子が小学生の頃に死んでいるの」

 

 糸雨の冷たい担い手から三人を守っているバニヤンツリーの下で、彼女たちは束の間の沈黙を感じ取る。

 

 数秒が経ち、淑蓮が口を開いた。


「確かですか?」

「間違いない。渡米したフィーネとは違って、あの子のパパは、愛人と一緒になって日本に残ったから。

 私自身が葬式に出席したから、誤りようがないわ」


 フィーネにとって唯一無二の〝友人〟であったゆいは、彼女の父親と〝太くて汚い〟繋がりがあった。


 激昂してもし足りない筈の父が、関わりたくもないであろうあの男が、倫理観と合理性がスーツを着て歩いていたようなあの人が、なぜ、彼の葬儀に出席しようと考えたかは定かではない。


 父は、ただ、喪服を着て泣いている〝アレ〟をじっと睨んでいただけだ。


「だ、だとしたら……で、電話口の相手は誰……ふぃ、フィーネ・アルムホルトと、どういう関係……?」

「天国と繋がったなんてオチはなしですよ」

 

 真顔で冗談を言ったアキラの妹に対して、ゆいは無表情で応える。


「少なくとも、通話口の先に誰もいなかったなんてことはない。二日前の夜、その番号にかけたら〝男〟が出た」

 

 酷く落ち着いている男性の声音は、まるでゆいが電話をかけてくるのを知っていたかのように対応して、人を諭すようにゆったりとしていた喋り方は、彼女に〝懐かしさ〟を覚えさせた。


 なぜ、その男の声に〝もの懐かしさ〟を感じたのか……わからない。ただ、ゆいの『あなたは誰?』という問いかけに対して、男は『全員が幸せになれる結末を探してくれ』とだけ言った。


「……そんな都合の良いものはない」

 

 ささやき声は雨音に掻き消され、淑蓮の疑問が耳へと届く。


「電話番号の特定方法は? どの程度まで、信頼できるんですか? 偽装工作である可能性は?」

「SIMカードを盗んで入れただけよ」

「ど、どうやって? そ、そんな隙を見せるような相手じゃないでしょ?」

「『フェアじゃないからな』」

「は?」

 

 雲谷〝渚〟は、フィーネの携帯から抜き取ったSIMカードを差し出しながら、どこか哀しそうな微笑を浮かべてそう言っていた。


「昔から、あの人は、異様なくらいに手先が器用だったのよ。会う度に、新しいマジックを見せてくれた」

「……雲谷先生は、ただの教師ですよね?」

 

 ただの教師が、どうして私に自分の正体を隠したりするの?

 

 念入りに立てた計画をもってアキラを攫おうと決めたあの日、アキラのカバンを漁って〝己の愛〟を知ってもらおうとしたあの日、ありとあらゆる準備を整えたつもりだったあの日。


 万が一に備えて、各廊下の防火栓格納箱の内側に仕込んだ〝小型カメラ〟と連動させた疑似監視装置……それがそこにあることを知っていたかのように、雲谷渚は〝一度足りともカメラに姿を晒さずに〟教室へとやって来た。

 

 ――なんだ、桐谷。まだ、残ってたのか?

 

 あの時から、私はあの人を疑っていた。


「信憑性については理解しました。今更ながらに、雲谷先生がフィーネ側だとは思えませんし、ゆい先輩が確認を怠ったとは思えませんから信頼します」

 

 そうだ。今は、雲谷あのひとは関係ない。


 頭をリセットし直して、ゆいは二本目の指を動かす


「そして、二つ目は――」

 

 ゲーム開始の合図。


 30分間の猶予を与えられ、開始地点から移動したアキラが、民間軍事会社PMCを介して打ち上げた彩煙弾。


 天高く打ち上げられた黄色の合図が、ゲームスタートを告げて緊張感が走り抜け――どこか遠くから、アラーム音が鳴り響いた。


「え?」

 

 あまりの驚きに淑蓮が呆けて、それが自分たちの腕時計から発せられたものではないことを理解し――ゆいの中指が立てられる。


「あの子は、化物てんさいよ」

 

 勝てないとわかっているゆいは、駆け出した淑蓮と由羅を追いかける素振りすら見せようとしなかった。

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