第30話「あーん、してあげる」



 一階のバイキング広場は悪魔で賑わっていた。まだ皆眠そうだ。一応人間を探してみるが……そう簡単にいる訳はない。キョロキョロとしたせいで逆に周りの悪魔の視線を集めてしまう。探すのは諦める事にした。

 朝食の種類は見た目和洋中、様々な料理が並べられていた。朝からがっつり食べる方ではないが、こんな風に並べられると庶民としては一口ずつ全部食べないと勿体ないとか思ってしまう。

 テーブルが高くて上手く取れないクルミは、ザラメによそってもらっていた。昨日の一件で妙に懐かれたらしい。それにしてもこれはクルミにとって天国だな。食い尽くさないか心配だ。

 食べるスペースは各部屋ごとに簡単に仕切られていた。そこで食べつつ、足りない人はまた取りに行くシステムだ。既にテトラは自分の分を取り紅茶を啜って優雅に佇んでいた。ここで隣に座るのも変な気がしたので、俺は向かい側の席を選択する。

「デザートはいいんですか?」

 テトラのトレーにはおかずしか乗っていなかった。甘い物好きのこいつがスイーツを取らないなどあり得ない事だ。

「まだ食べるからよ」

「へぇ、珍しい。朝はいつもそんなに食べないのに」

「あんなにたくさんあるのよ。一口ずつ全部食べないと勿体ないじゃない」

「……そうですね」

 もはや何も言うまい。よく見るとテトラのトレーは俺の取り方と酷似していた。

「も、戻りました~」

 ザラメ、そして後ろに続いてクルミが入ってくる。二人の両手には大量の料理が乗せられている。狭いテーブルが埋まる勢いだ。クルミは俺の隣りに座って、好きなように皿を並べ替え始めた。

「あ、待ってたんだ。ご、ごめんなさい、食べましょう」

 ザラメが席につき全員の食事が始まる、クルミも待っていたのはちょっとした驚きだった。食事は高級宿だけあって全てが美味。ただし、素直に楽しめない。その場の雰囲気は味覚に影響を及ぼすからだ。

 とにかく静かだった。食器とシルバーだけがカチャカチャと会話し、クルミの咀嚼音がBGMになる。これでは美味しい物も不味くなってしまう。

「ユキヒラ」

 この鉄の塊めいた空気を破ったのはテトラだった。目の前にはフォークに刺さったハムと、オニオンスライス。俺が後で取ってこようと思ってたやつだ。それを俺に向けて突き立てている。

「あーん、してあげる」

 とてもテトラとは思えない台詞が本人から出てきた。ドキっとするシチュなのに普通に気味が悪い。

「まだ寝ぼけてるんですか?」

「可愛くないわね。少しは動揺しなさいよ」

 テトラの行動に、机をガタリと揺らしてザラメが反応する。

「なっ、ちょ、目の前で抜け駆けですかっ」

「抜け駆けも何も、私の物だけど?」

 テトラはフォークを付き出したまま、ザラメにしたり顔を向ける。私の物、なんて言われると変に勘違いしてしまいそうだが、これはザラメを煽って遊んでいるのだろう。

「わ、私も……」

 ザラメは消え入る蝋燭のような声を出した。

「何? 聞こえない」

「わ、私も、あーんてやりたい」

 静かな空気が一転、ザラメは駄々をこねた子供のような声を上げる。テトラは少し黙ってからフォークを下げた。

「今回だけ特別よ。その代わりいつも通り振る舞いなさいよ。気まずいったらないわ」

「あ、そ、その……」

 ザラメは黙り込み、ひたすら食べ進めるクルミを見る。テトラってこういう気遣いとかできるんだな……いつもそれくらい俺にも優しくしてほしいものだ。

 突然ザラメは立ち上がって、深々と頭を下げた。

「き、昨日は、その、ごめんなさい……」

 ザラメは頭を上げずに姿勢を維持した。テトラは額を三度ほど摩り、不敵な笑みをする。俺に向けていたフォークを自分の口に運び、水で流し込んだ。

「私は満足よ。面白そうな喧嘩も買えたしね」

 ザラメは苦笑の声をあげながら、自分も額を触っていた。テトラは俺を見て顎でザラメを指す。後は俺が何か言って、この場を閉めろという事だろう。丸投げかよ、何を言えばいいんだ。

「ザラメさん」

 呼ぶと、ザラメは後ろから脇をくすぐられたように体を撥ねさせた。

「俺も別に気にしてないんで……ビックリはしましたけど。いつも通りでお願いします。ずっとこんな感じじゃ嫌ですから」

 こんな事しか言えない。本心だしそれ以上も以下もない。と言うかまだ昨日の出来事が現実だと言う実感もあまりない。

「嫌いになってない?」

「なってませんよ」

「私の事怖くない?」

「怖くないですよ」

「引いてない?」

「引いてませんよ」

「私の事好き?」

「す……って何言わせようとしてるんですか」

 ザラメはようやく顔を上げた。

「えへへ。言質取れなかったか」

 柔らかい笑顔。いつものザラメが戻って来た。

 一時間も経ってないのに、数日振りに顔を合わせたような気がした。

「くだらないのよあんた。私の気が変わらない内にさっさとあーんしたら?」

「ほ、本当にいいんですか?」

 テトラはくどい、という風に右手をひらひらと振る。どうでもいいけど俺の意見を取り入れる方向は微塵もないんだな。

「ユキヒラ君、き、嫌いな物は?」

「ないですよ」

「そっか。じゃあ……」

 と言って、スプーンに溢れるくらいのポテトサラダを乗せる。とても一口サイズではない。

「は、はい、あーん」

 テーブルの対角からザラメの細く短い腕が伸びる。クルミの料理に付かないようもう片方の手で袖を支えた。ザラメは照れながらも一生懸命にこちらへ腕を持ち上げている。

 大きく口を開けて、ぎりぎり全部入った。うん、旨い。

「美味しい?」

「ふぁい」

 口がいっぱいで上手く喋れない。もぐもぐする俺を見ながらザラメは子猫を見るような顔をした。

「うぇへ、可愛い、ユキヒラ君」

 珍しくザラメの尻尾がくねくねしている。顔が緩みきるくらい嬉しかったらしい。こんなんで喜ぶなら何度でもやってあげるけどな。

 テトラは肘をつきながら、横でつまらなそうに見ていた。

「気が済んだらとっとと食べて行くわよ。また半日くらいは車に揺られなくちゃいけないんだから」

 にこにこするザラメとは対照的に不機嫌面をするテトラ。クルミは相変わらずの食欲で既にほとんど食べ終わっていた。





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