[3-29] 確保、収容、保護

「魔法ってのは、実は割とやったことと結果の辻褄が合ってる、お堅い『技術』なんだ」


 旅の途中、ミアランゼはエヴェリスから魔法の手ほどきを受けていた。

 月明かりが差し込む森の中。

 疲れを知らず歩き続けるミスリルゴーレムの肩に並んで座り、エヴェリスはちょうど膝に乗るくらいの大きさの光の黒板みたいなものを指でなぞって板書をしていく。


「必要な魔力を注ぎ込んで、それを形にする術式を動作させて。で、結果が出る。うーん、化学的だ。

 素人は魔法を何でもありの摩訶不思議な技だと思いがちだけれど、実はそうでもない」

「なるほど……」


 ミアランゼも日常レベルの魔法なら囓ったことがあったが、魔法知識はほぼ素人だった。

 ちなみにかつてのミアランゼは魔法の才能がほぼゼロだったのだけれど、ルネの手によってヴァンパイアになってからは邪悪な力が満ちている。後付けとは言え、才能は充分なのだから、後は知識を付けて訓練するだけだ。

 少しでもルネの役に立つために。


「ま、例外はあるよ?」


 エヴェリスは光の板を何度か突く。

 小さな窓が出たり消えたりして、やがてそこには天球儀らしきものが現れていた。


「ミアランゼ、神話は知ってるよね? この世界がどのように生まれたか」

「……虚空にただ独り存在した『中庸の者』が、自らを分かって相反する全てを作った……」

「それそれ。その時にこの世界の全ての法則が生まれたんだ。魔法だってそうだ。

 じゃ、ちょっと考えてみて。

 その決まりを作った力は、世界の法則なんて飛び越える力があるんじゃないかな」

「あ……確かに」


 王侯貴族とか、決まり事を作って下に強制する者自身は、だいたいその決まり事に縛られない。

 それと同じようなものだとミアランゼは理解した。


「創世の力。この世の法則の、一段上に存在する力。それを『神秘』の力と言ったりもする。

 中庸の者が自らを裂いて世界を創った時。その膨大な、創世の神秘の力も分割された。

 私ら個々の生命体も、砂一粒分くらいは神秘の力を持ってるんだけどさ……神秘のほとんどは正邪の神々が持っている。

 ……実はね、そのせいで神々の力を借りる神聖魔法や呪詛魔法は、時々、結果の辻褄が合わなくなるんだ。さっき私が言った例外ってのはそれのことよ」

「では呪詛魔法を修めれば、その強大な神秘の力を一欠片でも借り受けることができるのですね」

「そうそう。そういうこと。

 ちなみに姫様なんかは存在自体が神秘の塊だね。邪神さんに強烈な加護を貰ってるから」


 少しばかりミアランゼは高揚していた。

 この身に満ちる力は、邪悪なる神々に通じる力なのだ。

 もはやミアランゼは無力ではない。不条理に家族を奪われ、人間の家畜にされていた無力な少女ではない。敬愛する姫様より授かったこの力があれば、ミアランゼは少しだけ世界を変えられる。……ルネのために戦える。


「ただし、神秘の力は敵に回すと厄介よ?

 世の中には時々、神秘の力が集まって奇妙な力場とか謎の存在を作り上げてることがあってさ。

 もしそういうのを見たら……そこには物理世界の法則も、魔法の力も通用しないと思っていい。

 なるべくなら避けて、もし関わるにしても細心の注意を払うこと」


 もののついでという調子で、エヴェリス先生は釘を刺す。


「神秘の塊だという姫様でも、他の神秘に太刀打ちかなわないのでしょうか?」

「んー……姫様はこの世界の法則を無視して『自己強化』『自己保存』する方向性だからなー。

 特殊な環境を展開してルールを押しつけてくるような神秘には何もできないかも……」


 * * *


 頭の中が掻き回されているような気分だったが、徐々にミアランゼは意識がはっきりしてきた。

 自分を飼っていた変態貴族に、戯れでしこたま酒を飲まされた翌朝のような気分だった。


「う……」


 何やら真正面から壁が圧迫してくる。

 と思ったが、単にミアランゼが床にうつ伏せで倒れているだけだった。


 そう、床だ。

 薄い絨毯が敷かれただけの堅い床の上に、ミアランゼはうつ伏せで倒れていた。


「ここは……?

 私はゲーゼンフォール大森林に居たはず……」


 身を起こして辺りを見回せば、そこは薄暗い館の部屋の中だった。

 談話室のような雰囲気で、椅子と机が並び、壁の暖炉には炎が揺らめく。

 壁から突き出した魔力灯は、花の蕾みたいな形のガラスに覆われていた。


 照明も暖炉も付いているのに、何故だかこの部屋は薄暗い。

 全てが古ぼけたような、不気味な雰囲気の部屋だ。

 窓の外にはインクで塗りつぶしたような闇夜が広がっていた。


 立ち上がったところで、ミアランゼは違和感に気が付いた。

 有るべき感覚が、無い。

 背中をまさぐったミアランゼはすぐに違和感の正体に思い至った。


「……翼が無い? まさか!」


 ルネに血を吸われ、ヴァンパイアとなったその時に生まれた皮膜の翼。

 メイド服の背中に穴を開けて出していたはずの翼が消えていた。


 焦燥に突き動かされるようにミアランゼは、手近な窓にかぶりつく。

 窓の外が奇妙なほどに真っ暗なので、窓にはミアランゼの姿が鏡のようにくっきり映り込んでいた。


「目が……赤くない……」


 血のように赤く光る目もヴァンパイアの証。

 しかし鏡に映ったミアランゼの顔にあるのは、殺された母親と同じ、琥珀色の目だ。薄暗い室内なのでまん丸く瞳孔が開いている。


 体内に渦巻く邪悪な力の流れも感じられない。

 いや、それどころか身体が生者の如く熱を持っている。


 ――ヴァンパイアの力を剥奪された? ……そもそも、この場所は一体……


 ミアランゼは記憶を手繰り、何が起こったのか必死で理解しようとした。

 森の中で突如、光に包まれて、気が付けばここに居た。あの森の中には存在しないであろう、人間風の建築だ。それは転移か何かで説明できるかも知れない。

 しかし、ヴァンパイアでなくなっているのは絶対におかしい。

 アンデッドになった者は、その身を滅ぼされ魂のみとなって昇天し、浄化されなければ人には戻れない……というのが常識だ。

 絶対あり得ないというわけではないだろうけれど、そんな風に奇跡が安売りされるとも思えない。

 まさか、エルフどもにそれほどの力があったとでも言うのだろうか。


 ――いや……私自身のことなど、後だ!


 自分の身に何が起きたかは気になるが、それよりも先に考えるべきことがある。

 薄暗い部屋の中にはミアランゼの他に誰も居ない。置かれた家具の影などを見ても、そこに誰かが倒れていたりはしない。


「……姫様! 姫様は何処に!?」


 自分など取るに足らない者だとミアランゼは思っている。

 この奇妙な状況が何者の差し金かなど分からないが、まさかミアランゼを狙って大仕掛けをしたとは思えない。

 絶対に、ルネを狙った何かだ。


 ミアランゼは巻き込まれたか、邪魔だから排除されたのか……いずれにせよ今ここにミアランゼが居るのはルネを狙ったついでの出来事だろうと察しを付けていた。


 呼べども答える者は無し。

 しかし、ミアランゼの高い耳は、獣でも鳴くように床が軋む音を聞きつけた。

 すぐ隣の部屋からだ。


 贅沢にも一枚板から切り出したと思しき扉を開けると、すぐ隣にも似たような部屋があった。

 そしてそこには銀色の少女がいて、部屋に飛び込んできたミアランゼを驚いた顔で見ていた。


 ルネはいつも鮮血の薔薇を刻んだ純白のドレスを着ているが、今は庶民的な麻のワンピース姿だった。

 しかしどんな服を着ていても、冷たく輝く銀の月か、地上に堕ちた星の如き美しさは色褪せない。


「姫様! ご無事でしたか……」


 ひとまずルネの姿がある事を確認し、最悪の事態だけは避けられたのだとミアランゼは胸を撫で下ろす。


 だが、そんなミアランゼを見てルネは、恐怖するように後ずさった。


「……お、お姉ちゃん、だれ……?」

「えっ……!?」


 ミアランゼは雷に撃たれたように震え、絶句した。

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