[2-68] 灰銀色の箱(未識別名)

 王城の地下室のひとつ。

 前後左右上下の全てが灰色の石という部屋は、見た目にも寒々しく気温的にも寒い。

 換気口からは昼でも外の光が入らない暗い部屋だ。今は天井付近に申し訳程度の魔力灯が後付けされて、部屋の中を薄ぼんやり照らしていた。


 そこには規則正しくいくつもの寝台が並んでいた。

 そして、一つの寝台にひとりずつ少女が寝かされていた。

 髪の長い子も居れば短い子も居る。

 背の高い子も居れば低い子も居る。

 身なりの良い子も居れば、接ぎの当たった服を着た子も居る。

 しかし彼女らは例外なく10歳前後の少女であり、皆、凍てついたように呼吸すら止めて


 まるで死体安置所のような趣だ。

 まあ似たようなものかも知れないが、これはあくまで仮死状態であり、少女たちは生きていた。


 この少女たちは、ルネの『残機』。

 王都侵攻の際にウェサラから連れて来られた少女たちのうち、結局ルネに使われなかった者だ。


 最初は王城内で飼育されていたのだが、いざという時に使えるよう生かしておくだけでも意外なほど手間が掛かる。

 場所も取るし、健康管理をしなければならないし、何より食料が必要だ。王都と王城に残された食料はアンデッドにとって無用の長物だったからすぐに尽きる心配は無かったが、ゆくゆくは調達しなければならなかった。


 その解決策をルネがエヴェリスに求めたところ、エヴェリスが提案したのは魔法による冷凍睡眠だった。

 時を止めたように眠らせ、泣きわめくことも腹を減らすことも体調を崩すこともない。

 必要なコストは、魔法を維持するため継続的な少量の魔力供給をするだけだ。

 エヴェリスが言うには成功率はまだ六割ほどだそうで、実際四割くらいの被験者が死んで廃棄されたが、残りを冷凍睡眠状態にすることに成功していた。


 その、寝かされている一人が。


「ああああああああっ!!」


 断末魔の悲鳴と共に跳ね起き、アンデッドと化した。


 *


「うひょおおお!?」


 エドガーが宝箱を僅かに開いた瞬間、箱の中から怪しげな紫の燐光を放つ霧が吹き出した。

 水が火を消すように生命力を中和し、生きとし生けるもの全てを死に至らしめる邪悪な魔法だ。


 本来ならその霧は辺り一面に広がり周囲の者全てを殺し尽くしただろう。

 しかし、吹き出した霧は渦巻くように、数匹のヘビが絡み合うかのように、奔流となってエドガー目がけ収束していく。

 エドガーが腰に挟んだ護符が次々弾け飛び、黄金の輝きを失って黒くくすんで朽ちていった。


 そして遂に、それは止まった。

 大量にあった護符も残り二枚。

 エドガーは生きていて、宝箱は開いていた。

 役目を終えた『生け贄羊の首飾り』は、負荷に耐えかねて微塵に砕け散った。


「流石に……死ぬかと思ったぜ」

「でかした」


 離れて様子を見ていたエルミニオが、冷や汗を拭うエドガーの所に戻って来た。


 *


 城壁の内側、王城の中庭にそれは居た。


 猫の寝姿みたいに丸くなった巨大な骸。

 鋭角的なフォルム、新緑のような色をした鱗、腕の代わりに付いている力強い翼……

 ただし胴体の前面はガラ空きで、腹の中はスカスカだ。


 肉と臓物だけ削ぎ取ったワイバーンの抜け殻みたいな物体だった。

 硬い鱗や、鱗が寄り集まって固まった甲殻や、骨、鉤爪、牙などは残されている。

 まるでワイバーンの骨格標本が自らの毛皮を羽織ったような姿だ。


 朧な月明かりを浴びて静かに眠っている亡骸の上、雨避けかのように幌が掛けられていたが、それが滑り落ちた。

 何故ならワイバーンの亡骸が急に動き出したのだから。


 巨体を起こしたワイバーンは、皮膜を失った翼で羽ばたく。

 辺りに暴風が巻き起こり、ワイバーンゾンビ(もはやワイバーンスケルトンとかスカルワイバーンとでも言う方が近いかも知れない)はふわりと浮かんだ。

 亜竜マイナードラゴンであるワイバーンもドラゴン同様、生体魔力によって浮力を得て飛翔する。ドラゴンが種として生得している、魔法ならざる魔法の力だ。

 翼の肉体的機能はあくまでも補助であり、皮膜を失っても『肉抜き』で軽くなった分、むしろ飛行能力は増していた。


 城壁をひらりと飛び越えたワイバーンは、すぐに己を呼びつけた主の姿を認める。

 城壁の周囲に広がった工事中の建物の上、工事用の足場の上を駆け抜ける銀色の少女を。


 彼女はワイバーンゾンビが近づくと高く跳躍。

 さらに魔法によって飛翔し、ワイバーンゾンビに接近した。


「その身を捧げなさい、シャーデンフロイデ号!」


 銀色の少女は飛行をコントロールし、肉と臓物を抜き取られたワイバーンの剥き出しのあばら骨の中に収まる。

 そして、溶け合った。


 * 


 敷き詰められたフカフカの緩衝材クッションは、手触り良く高級な真紅の布地で覆われていた。

 いかにも宝石か何か、とんでもなく繊細でとんでもなく高価な物品を収めそうな佇まいの箱だが、中に入っていたのは。


「なんだ、こりゃあ?」


 エドガーは首をかしげた。


 そこにあったのは、庶民的で安っぽい小さな薔薇のブローチが二つ。元は全体が銀色だったのだろうが焼け跡から拾いでもしたかのように煤け、メッキが剥げて地金が出ている。

 そして、くすんで汚れてトゲトゲした、銀色の何かの残骸が一山だった。


 エルミニオもロレッタもエドガーの肩越しに宝箱を覗き込む。


「マジックアイテム……? ではなさそうだな」

「んんー、こっちの銀の……なんでやしょう、アクセサリーの残骸? これはマジックアイテムくせぇ構造……だけど、ぶっ壊れてまさぁ」


 トゲトゲした銀色の物体にエドガーは用心深く触れてみたが、これが何なのかはよく分からない。

 蛇腹剣や鞭みたいな武器にも魔法触媒にも見えたが、いずれにしても、それが壊れて残骸になった姿にしか思えない。


 エルミニオはブローチと銀片を摘まみ上げてまじまじ観察するが、すぐに落胆した様子でそれを宝箱の中に放り投げた。


「はっ! つまらん。これだけ厳重に隠しておいて中身はガラクタか?」

「ちっちぇえ頃、山で見つけたヘビの抜け殻とか後生大事に取っといたのを思い出しやしたよ」

「こんなものを持ち帰ったところで砂一粒分の名誉にもならぬな。ガキの使いかと笑われるのがオチだ」

「しかし、一見ガラクタでも何か重要な意味があるのかも知れませんぜ」


 エルミニオは眉根を寄せていた。

 状況からするに、これが見た目そのままのガラクタとも思いがたい。

 しかし本当に何の意味があるかエルミニオには分からないのだ。


 これを持ち帰ってノアキュリオ軍に見せたとしよう。もし彼らにも意味が分からなかったとしたら、エルミニオは笑いものにされるかも知れない。

 ひょっとしたら『臆病風に吹かれて王都をろくに探索できず、その辺に落ちていたガラクタを持ち帰ることしかできなかったのに"怨獄の薔薇姫"のお宝だとでっち上げている』と思われるかも知れない。自分以外の誰かがこんな物を持ち帰ったらエルミニオは絶対にそう考える。


 それでも、戦利品がゼロであるよりはマシだとエルミニオは思い直す。

 もしこのエルミニオ・ドロエットを疑うのであればドロエット家の威光を以て思い知らせればいい。


「持ち帰るしかない、か……全く。こんな土産しか用意できぬとは、"怨獄の薔薇姫"も聞きしに劣る……」


 轟音。

 全身を揺さぶるような振動と共に、ダンジョンの天井が爆発した。


「きゃああっ! 何!? 何!?」


 大小の岩塊が飛んできて転がった。ロレッタが悲鳴を上げる。

 魔法によって成形され、一枚岩のようにがっちりと組み上げられていた天井が崩落していた。


 否。崩落したのではない。それだけではない。

 何か、巨大なものが天井をぶち破って降って来たのだ。


 もうもうと立ちこめる土煙を、銀の眼光がつんざいた。

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