[2-49] 紅蓮の弓矢

 人という人が死に絶え、あるいは逃げ出したゥアルカマルテの街。

 今やここは薔薇姫軍の前線基地にされ、瓦礫の山と化した市街にアンデッド兵たちが整列していた。

 曇天の下じっと佇み待機している大量の人影は、墓場に並ぶ墓標かそれとも冬枯れた広葉樹の林のようでもあり。


 死臭と土煙に淀んだ風が吹き抜ける、破壊し尽くされた市街の中。

 子どもが料理からよけて食べ残したニンジンみたいに忽然と、無傷の集会場が存在していた。


『おおむね予想通りの状況だった。例の仕掛けも大丈夫そうだね』

「偵察ご苦労、トレイシー」


 そこはステンドグラスや神像が置かれていないことを除けばまるっきり教会の礼拝堂みたいなホールだった。

 集うのは小隊長として運用しているグールたち、そしてエース級の実力を持つアンデッド。

 一段高くなった壇上からは演説台が取り払われ、代わりに街の城館から持ち出された豪華な椅子が置かれ、そこにルネが座っていた。


 ルネの傍らでは一匹のスケルトンが盆を捧げ持つ。

 その上の通話符コーラーから聞こえるのはテイラカイネに偵察に出ているトレイシーの声。侵攻前の最終確認をしているところだ。


「避難民はもう充分テイラカイネに集まったかしら。そろそろね」

『はぁー……これから人がいっぱい死ぬんだよね』

「そうよ。ちなみに今回トレイシーは用ができるまで後方待機」

『……まぁ、出て行ったところで何もできないか。ずっと働きづめだったし、おやつでも食べながら見物してるよ』


 さすがに隣の街となると『感情察知』の圏外だけれど、萎れた声を聞くまでもなくトレイシーの気持ちは分かる。

 テイラカイネは彼のホームグラウンド。人脈は彼の財産であるし、親しい人だって多いことだろう。それをルネはこれから奪いに行くのだ。他ならぬトレイシー自身に散々手伝わせて。


 非道いことをしている、のだと思う。薙ぎ払うように不特定多数を虐殺しているときはぼやけてしまうことだけれど、こうしてすぐ近くの誰かに悲劇が降りかかると、自分が何をしているのかということを嫌が応にも認識させられる。

 ひやりとした冷たい手で身体の内側を撫ぜられたようなような気がした。


 ほんの一欠片でいいから自分の行動に『同情の余地』を残しておきたいというのがルネの願望だ。理由は見栄とかじゃなくて、心の中のに見捨てられたくないから。

 だから、こんな時はちょっと心細くて怖い。存在しないはずの視線に怯えてしまう。


 それでもルネが為すべきことは変わらない。自らの心が重石になろうと、這いずってでも進むのだと決めたのだから。


「後方からの指揮は任せたわ、アラスター」

「ハっ。デすが姫様、私でヨろしいノデしョうか?」


 最前列に座らされたグールの紳士が頭を垂れつつ、緊張の面持ちで上目遣いにルネを見ていた。

 細い体をスーツに包み、白いヒゲと髪をワックスで完璧に整えた男。アラスター・ダリル・ジェラルド。ヒルベルト派筆頭としてルネと対立する立場だった彼はルネに殺害され、死後その肉体だけをグールとして再利用されている。


「あなたには経験を積んでもらわなきゃならないのよ。

 生前のあなたは有能な将だったわ。グール化して経験と記憶を失ったとしても素質は変わらないはずだもの。またレベルアップして有能になってちょうだい」

「かしコまりマシた。ナレば、このアラスター。コの戦いヲ高みヘの糧ト致しマしょウ」


 アラスターは胸に手を当て、恭しく礼をした。ルネの期待を重く受け止めて噛み締めるかのように。


「日没とともに行動開始するわ。最重要ターゲットはヒルベルト2世に与したエドフェルト侯爵と、皇太子候補ジスラン。さあ、この地に恐怖を刻むわよ」


 * * *


 既に日は暮れかけていたが、街壁から闇を切り裂いて投射される大型魔力灯の光が舞台のスポットライトのように辺りを照らす。

 テイラカイネの街門のすぐ外、ゥアルカマルテへ通じる街道上に、武装した人々が布陣していた。

 先頭に立つのはもちろん“零下の晶鎗”の5人。残りもほとんどは冒険者だが騎士も混じっている。

 そして、聖獣。黄金の牙と手甲を付けたみたいな白虎やら、絢爛な金の飾りを翼に付けた黄金仮面の鳥みたいなのがわらわらと付き従っている。頼もしくも不気味な聖獣たちは、“零下の晶鎗”の指示を聞くようマークスから言い含められているとのことで、ゼフトたちが何を言っても唯々諾々と従う。


 “怨獄の薔薇姫”が動き出した……

 その情報が斥候からもたらされたのは、つい先程だ。


「確認しておこう。

 避難民によれば、領内の都市を潰して回っている“怨獄の薔薇姫”の軍勢の手口は、巨大な武器を持つ屍の巨人で街壁を切り崩して攻め込むというものだ。つまりその巨大アンデッドは攻城兵器だな」

「ああ、『ヒルベルト2世』な……無茶苦茶しやがるぜ」


 丘を越えて延びる道を睨みながらリーダーのゼフトが言うと、盾手タンクのカインはイカレてると言わんばかりに唸る。

 避難民からもたらされた情報の中でも特に強い衝撃をもって受け止められたのが、ヒルベルトを名乗る屍の巨人。それは即ち“怨獄の薔薇姫”を冒涜した者の末路であった。


「“零下の晶鎗”の仕事はおそらく、その巨人を止めることになると思う」

「街壁の外に出るのは本当なら避けたいもんだが」

「壁よりデカい巨人なんてものが出てきちゃ、壁なんて有って無いようなものだ。残念ながらそいつに対抗できるような兵器はこの街にない。……我々が出るのが最も効果的だ」


 籠城戦は概して、圧倒的な防御側有利だ。かなりの戦力差を覆せる。その有利を捨てて打って出るというのは普通なら自殺行為であるようにも思える。


 しかし仄聞する情報をつなぎ合わせた結果、ゼフトは『街壁を盾にしても意味がない』『街壁を機能させるには外に出る部隊が必要だ』という結論に至っていた。敵中に飛び込み猛攻に身をさらすことになる決死隊だ。“零下の晶鎗”は自らそこに志願し、嫌と言えなくなったその他の冒険者たちも同行することになった。


「巨人って言うけどさ、もっと細かいこと分かんないの?」


 チェンシーは(本人としては比較的)深刻な顔で考え込むように腕を組んでいた。

 彼女は複雑な状況や不確定な情報を嫌う。どんな風に殴れば解決するか分からないからだ。


「身長は10メートルほどらしい。四本もしくは六本の腕があり、それぞれに破城鎚や巨大なハンマーを持っていたという話だ。証言が混乱しているようで、それくらいしか分からない」

「まあ、いきなり火を噴くとかはないだろ。さすがにそんな能力があったら避難民が目撃してるはずだ」

「ってことは、ひたすら力押しの敵なのね」


 龍を模した手甲を打ち合わせ、チェンシーは猛り笑った。

 “零下の晶鎗”は巨人系の魔物と戦った経験だって豊富だ。デカい奴らは大抵の場合、小回りがきかない。身体に纏わり付くように戦えば意外と死角になるのだ。身の軽いチェンシーなら容易いだろう。


「向こうの攻撃が街壁に届かない程度の距離で捕まえて、街壁から援護射撃を受けつつ倒すのが理想だな。アンデッドだというなら≪聖別コンセクレイション≫があれば優位に戦えるからむしろやりやすい」

「あ、そうだ! アンデッドってことは腐ってるんじゃん! 私、腐ってるのは殴ったり蹴ったりしたくないんだけど……」

「我慢してくれ」

「うわーん!」


 チェンシーの悲鳴が地を揺るがした。

 いや、違う。


「お……っと」

「え、何!? 今の私のせい!?」

「なわけねーだろ」


 チェンシーの声のせいではない。

 震えが地を伝う。大きなものが地面に落ちたかのように。


「近付いてきたな」


 ズン、ズン、と規則的な震えが、初めは小さく、少しずつ大きく。


 だが、いつまで経っても報告にあった巨人の姿は見えなかった。丘を越えて姿を現したのは屍の軍勢。スケルトンやゾンビ、グールなどだ。

 背後に控える下級の冒険者たちは動揺しざわめくが、“零下の晶鎗”にとってはなんということもない。雑魚はどれだけ集まっても雑魚。注意を払うべきは特に強い者だけだ。


 ≪閃光レイ≫の魔法みたいな魔力灯の照明がアンデッドの行軍の方に向けられた。

 未だ距離があり、照らされても今ひとつよく見えないが、行軍するアンデッドたちが不自然に隊列の真ん中を空けていることは分かった。

 雪の上に足跡が刻まれる。透明な巨人が歩いているかのように。

 いや、比喩ではなく、おそらく透明な巨人が歩いている。


「姿を消している……?」

「つっても足音と足跡で丸わかりだろー」


 当然ゼフトは訝しむ。

 姿を消したところで、そこに居るのは丸わかりだ。隠す意味などあるだろうか。

 考えられそうなのは格闘戦に持ち込まれたとき戦いにくくなるよう戦闘用の強化バフとして付けて来た、というくらいだが。


「ちょっと見せてくれ、クレール」

「了解。……≪隠匿看破リヴィールアイ≫」


 伊達眼鏡を中指で押し上げ、クレールが魔法を詠唱する。

 魔法的に隠されたものを暴き見る魔法だ。詠唱が結ばれると、ゼフトの視界に変化があった。

 赤黒いモヤが漂うかのように、チラつきながらも巨人の姿が見えるようになったのだ。


「ふん……やけに強い隠匿が掛かっている。だが輪郭が見えれば充分だろう」

「あれか。確かにデカいな」


 ゆらめく煙のように見える巨人が、ゆっくりゆっくり迫ってくる。

 ゆっくりとは言ってもそれは大きすぎて緩慢に見えるだけで、歩幅が大きいせいでかなりの速度だ。周囲のアンデッド兵は駆け足で追随している。


 だがその行軍が、街壁まで300メートル余りという所で止まった。普通の弓や大抵の魔法は届かない距離だ。

 モヤのような巨人はかがみ込み、その巨人を守るようにアンデッド兵たちは前に出、盾を構える。

 一旦陣を整えるつもりだろうか、とゼフトは考えた。それにしては距離が近いので、このまま襲いかかってくるのではないかとも思っていたのだが。


 次の瞬間、突如として隠匿の魔法が解かれた。


 身長10メートルと言われていたが、それよりは少し小さいかも知れない。腐肉のような質感の肌。3対6本の強靱で長い腕に武器を持っている。ふたつ並んだ頭部は身体に比較してアンバランスに小さい。

 広い肩の上には、肉の隙間を作って無理やり食い込ませたかのように、筒状の物体がいくつも取り付けられていた。


 ――なんだ? あの肩飾りは。


 いや、飾りのはずがあるものか。

 街壁に向けられる、重厚な質感をした、筒状の物体。

 それが何であるかゼフトが気付くのと、組み込み術式の励起に伴って巨人の肩に魔方陣が鈴生りに展開されるのは、ほぼ同時だった。


『おお、おお! なんということぞ! 正しき為政者の敵に、神は雷を降らさん!』

「まずい、防御態勢!!」


 キンキンと耳に痛いひび割れた声が降ってきた直後。

 巨人の肩に取り付けられた12門の魔動力射石砲が火を噴き、街壁に砲丸が叩き込まれた。

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