[2-40] 信仰は命より重い・・・・!

 マークスは苦り切った表情で目を伏せていた。パトリックも同じような顔をしていたことだろう。


「では、やはり撤退ということですか」

「ええ……残念ながら」


 断腸の思いでパトリックは告げた。

 パトリックは自らの軍勢をシエル=テイラから引き上げることに決めたのだ。


「補給・増援部隊の壊滅。そして昨日の襲撃……末端の農兵どころか私に近しい騎士たちからも不安の声が上がり始めている。物資の不足も深刻です。

 率直に言うなら、もはや『帰るだけの余力があるうちに帰る』より他にない状況です」


 補給が途絶えた軍隊は、戦えぬまま飢えるだけだ。

 そして物資の不足は、ただでさえ低い士気のさらなる低下にも拍車を掛けている。

 士気が落ちた軍隊は、命令を聞かないし勝手に逃げ出すしで本当にどうしようもないことになる。無理やり王都攻撃を掛けたところでゾンビ一匹倒せないまま敗走するなんてことになりかねない。


「ご安心あれ、エドフェルト侯爵。

 ノアキュリオ王国に代わって、我がディレッタ神聖王国が侯爵と皇太子を守るだろう。そう、神の威光に照らされた大軍団が! 圧倒的な大軍団がね! そしてその時こそ“怨獄の薔薇姫”の最期となるだろう!」


 まるで空気を読まない得意げな声が、領城の応接間にキンキン響いた。


 ――そもそも、なんでこいつがここに居るんだ?


 執拗に整えられた金髪に、ディレッタの最新モードだとかいう肩飾りが過剰なブラウス。

 戦士(ファイター)にしては少々細めな体躯。『黙ってれば貴公子』と噂されているらしい、並よりは上の気品ある顔立ち。

 エルミニオ・ドロエット。今はマークスの護衛として雇われている冒険者で、ディレッタ神聖王国の重臣のドラ息子だ。

 それが何故か、今後の戦略を語るべきこの場に同席している。


 あり得そうなのは『エルミニオが同席させろとワガママを言って、マークスがそれを断れなかった』……あるいは『特に断る理由が無かった』辺りか。一応、護衛という建前はあるわけだし。

 ただ、その建前をエルミニオ本人が絶賛破壊中だ。ディレッタ神聖王国の代理人として振る舞っているつもりなのだろうか。だとしたらノアキュリオとシエル=テイラの交渉の場に踏み入ってくるのは許し難いことだし、それを許したマークスもどうだ、ということになるが。

 当のマークスは苦悩の表情を浮かべ『頼むからそれ以上喋るな』という視線をエルミニオに向けている。ディレッタとの連係のため、ここでエルミニオの機嫌を損ねるわけにはいかないのだろう。


 ――エルミニオこいつはただの愚物だが、このままではディレッタ神聖王国に美味しいところを持って行かれてしまう……


 ノアキュリオが撤退した後にディレッタの軍勢がやってきてシエル=テイラを守ったとなれば、人々の感謝はもちろんディレッタに向くだろう。グラセルムの利権だって丸ごと持って行かれかねない。それは避けなければならない。

 もちろんノアキュリオも態勢が整い次第、代わりの軍を派遣する予定だし、パトリックも無策で撤退するわけではない。


「もしノアキュリオ軍以外の何者かがシエル=テイラを守るにしても、当面は危険な状況となりましょう。そこで聖獣と、そのサポートの小規模部隊を残していきます」

「聖獣? しかし、あれは“怨獄の薔薇姫”に全く通用しなかったのでは……」


 マークスが眉間の皺を深くする。

 これまでノアキュリオ軍の受肉聖獣は三度“怨獄の薔薇姫”と交戦しているが、そのたびに塵芥のごとく薙ぎ払われている。

 しかし、その辺りはパトリックもちゃんと考えていた。


「言うなれば、あれらは雑兵です。“怨獄の薔薇姫”そのものに通用しないのは想定内。ですが材料を比較的容易に調達可能であり、数を出せます。

 今後はあの聖獣を、個の実力で優れた騎士や冒険者に付けるという手法を考えています。運用を変えるのです」

「それで上手くいくのでしょうか」

「先日の移動中部隊の襲撃、そして昨日の戦闘……

 “怨獄の薔薇姫”は一定以上の実力がある者は避け、農兵や非戦闘員を重点的に狙っています。倒せるなら騎士から倒しているはず。勝てるにしても手こずると考えているのでしょう。

 “怨獄の薔薇姫”自体の戦闘力は、ローレンス・ラインハルトを倒したという事実からすれば弱いはずもないのですが、しかし対抗し得ないほど隔絶した異次元の強者というわけではないだろう、と推し量っております」

「……なるほど」


 身体を鍛え続けた者は、しばしば物理的に不可能な領域にまで身体能力を高める。生体魔力の作用によって、素手で大岩をかち割り、素裸でドラゴンのブレスに耐えるのだ。

 ローレンス・ラインハルトは間違いなく、その領域の戦士だった。彼を殺そうと考えたら山ほどアンデッド兵を積んでもそれだけでは足りない。彼に比肩しうる実力の持ち主が自ら戦うことになるだろう。即ち、“怨獄の薔薇姫”はローレンスを殺せる程度には強いという推論が成り立つ。


 だが、あくまで『その程度』止まりというのがパトリックの考えだ。

 もし騎士たちを一瞬で皆殺しにできるほど強いなら、搦め手を使ったり戦いを避けたりしないはず。

 だいいち、異次元の強さを持つのだとしたら王都を陥とすのに軍勢を率いる必要もなかったはずだ。そんな面倒なことをしなくても単騎駆けすればいいのだから。


「聖獣の使はご存じでしょう。限られた猛者をより有効な形で“怨獄の薔薇姫”にぶつけられる。

 さらに、数は限られますが決戦兵器としての聖獣も出せます。こちらは未知数ですがおそらく有効でしょう。

 モルガナはこちらに残していきますので、必要に応じて聖獣を使っていただければ」

「ありがたいことです。私は、そしてシエル=テイラ国民はノアキュリオ王国のご尽力を忘れないことでしょう」


 マークスとパトリックは握手を交わす。

 マークスにしてみればノアキュリオとディレッタで両天秤に掛ける必要は無い。両方の支援が得られるならその方が良いのだ。


 しかし、それを見てエルミニオは鼻を鳴らした。


「ふん。尻尾を巻いて逃げ帰るくせに、恩を売る口だけは達者なのだな。これだからノアキュリオ騎士は品が無い」


 パトリックは、剣に手を掛けてしまいそうなのをこらえていた。


 ――一度は交戦しておきながら取り逃がしたこいつが、それを言うか?


 別にエルミニオは、ディレッタ人としてノアキュリオに対抗心を持っているわけではなく、単純に傲慢で、思ったことをそのまま口に出しているだけだ。


「ところで、君、名前は何だったかな……

 このシエル=テイラを守るためと言うなら私にも聖獣を寄越したまえ。誰より有効に活用できるだろう」


 馴れ馴れしく上から目線でエルミニオがパトリックに命ずる。

 舌打ちを我慢できたのは奇跡だ。

 沈黙で応じたパトリックに代わり、マークスが割って入って取りなした。


「もちろん私と皇太子殿下の護衛たる“果断なるドロエット”に皆様には、聖獣をお付け致しましょうとも」

「当然だ」


 引きつった笑顔のマークス。綱渡りめいたマークスの心境に気付いた様子も無く、エルミニオは鷹揚に頷いた。

 マークスの胃腸くらい心配してやっても祖国ノアキュリオへの不忠には当たるまい、とパトリックは思った。


 * * *


 疲労感が倍増したような心地で、パトリックは城内の回廊を歩いていた。

 だが、いつまでも馬鹿エルミニオのことを引きずってはいられない。撤退するとは決めたが、それならそれで撤退を成功させるべく力を尽くさなければ。生きて祖国の地へ戻るため、パトリックはもう一踏ん張りしなければならない。


「逃げるのかい」


 針で突き刺すような声だった。


 パトリックは立ち止まる。不吉なを着た老婆がパトリックを見ていた。


「……技術顧問殿」

「あたしをエドフェルト侯爵の方に貸しだして協力させるってのは、まあいいさ。人族の国が減っちまうのはもったいない。皇太子さんは守ってやらないとね。

 でも、なんでまたあんたらは帰っちまうんだい。今の戦力だって、王都を攻めりゃ勝てるかも知れないだろ?」


 モルガナはいつもの穏やかな口調で、しかし決して退かないという調子で、教え諭すように言った。


 パトリックは自軍の撤退に関して、モルガナには聞かれないよう話を進めた。

 神の名の下に戦うことしか考えていないモルガナに撤退の話なんて聞かせたら、話がまとまらないのは火を見るより明らかだからだ。

 全てが決まって動き出してから決定を伝えるつもりだったのに、どうにかして先程の会談を盗み聞かれてしまったらしい。

 モルガナは、隣接するほど聖獣に近付けば精神的なリンクが繋がり、感覚や思考を共有できるという。聖獣の耳を使って聞いていたのかも知れない。


 面倒なことになったと思いながらパトリックは弁明する。


「ああ、そうかも知れない! だがそれは片道切符だ。

 攻略に手こずれば飢えの中で殺されていく。よしんば成功しても、今の戦力でぶつかれば多大な被害を被るだろう。そうと分かっているから全軍が士気を失い帰りたがっているのだ。

 そんな破滅的な戦いをするわけにはいかん! 生きながら畑にでも埋まる方が土地を肥やせるだけまだマシだ」


 戦いで人的損失を被れば十年単位で祟る。

 騎士は言うまでもないし、農兵は国へ帰れば地を耕して税を納める民となるのだから。

 兵を散々に磨り減らしてようやく勝利する、なんて戦争はするべきでないのだ。


 しかし、それでもモルガナはにべもない。


「なんだ、結局勝てるかも知れないんじゃないか。なら戦いな」

「技術顧問殿。あなたの厚い信仰心を私も理解してはおりますとも。だが、信仰に殉じる以外にもするべきことはありましょうや。

 彼らはノアキュリオの大地を神より預かりし子ら。国へ帰れば地を耕し、子を育み、未来に闇の軍勢と戦う力となる。失うわけにはいかぬだろう。

 より大きな勝利のために退くこともあるのだ。あなたの求めるところとかけ離れてはおりますまい」


 パトリックはモルガナの考えに沿うような形で説明した。

 神殿では『人は邪神と戦う力を蓄えるため、神の作りたもうた大地を預かっているのだ』と説かれる。農民たちが大地を耕すのもまた、邪神との戦いなのだ。

 人族世界の要である列強五大国が勢力を保つのは大切なこと。勝ち目の薄い戦いに兵を突っ込んで国力を低下させていては何にもならない、という理屈は信仰上通るはずだ。


 そう、パトリックは思ったのだが。


「ああ、やっぱりだ。

 坊。あんたぁ、何も分かってないねぇ。そりゃあ人族の勝手な理屈なんだよ……」


 モルガナは深い溜息をつく。


「ねえ、今の世界はどれだけ人族が優勢か分かってるかい? 魔族はノアキュリオの半分もない狭い領域に押し込められ、反対に人族の人口は10億をくだらないってぇ話もある。

 あんたやその部下の騎士、連れてきた農兵連中が死んだとしても……かすり傷だよ。その穴は簡単に埋まるだろうさ。肥沃な大地を耕す者がなくなっても、代わりに誰かがやってきて後を継ぐだろうね。そして子を為し、『未来の力』とやらを育むだろうねぇ」

「な…………」


 パトリックは絶句した。

 王侯貴族も民草も……モルガナは人を人と思っていない。まるで遊戯盤の上で駒を動かすように、あるいは陣取りのように世界を俯瞰している。

 そこに我欲は無く、慈悲も無く、求めるものはただひとつ。


 神の名の下の勝利……


「だが“怨獄の薔薇姫”がひとかたならぬ相手だってことぁ、あんたも分かってるんだろう?

 ありゃあ世界を脅かしかねない災厄だよ。それをね、倒せるかも知れないなら倒すべきだよ。ここでどれだけの犠牲を払っても、未来に発生しかねない莫大な損害とは釣り合わないだろ。

 “怨獄の薔薇姫”は、やがて力を付けるかも知れない。下手すりゃどっかに逃げちまうかも知れない。それじゃあダメなんだ。でも今ならそこに居るだろう?」


 揺らぎのなさ過ぎるモルガナの目が、パトリックには無機質なゴーレムのように思えた。


 パトリックは、モルガナの制御を諦めた。価値観があまりにも人からかけ離れている。狂信者どころではない、こんなものはただの狂人だ。

 形だけでも中央軍からの預かりで、しかも有用な技術を持っているから丁重に扱ってきた。だがそれも限界だ。命令された通りに動かない部下など必要ない。

 モルガナは放り出してしまおう。アンデッドと戦うのが彼女の望みなのだから、シエル=テイラに置いておけば勝手にマークスに協力するだろうし、サポート要員を置いておけば協力を拒みはしないはず。

 話が通じないならば、そういう使い方をするしかないのだ。


 もはやモルガナとの会話に有用性を見いだせず、パトリックはモルガナがそこに存在しないかのように歩き始めた。

 そんなパトリックの態度を、拒絶と見て取ったか。


「背教的だね。……おやりなさい」


 回廊に囲まれた中庭に、ズドドドッ、と何者かが降ってきた。

 覆面で顔を隠し、僧服を着た男たち。モルガナの操る受肉聖獣だ。人間をベースに作られた彼らは、普段はこうして人間に擬態している。


 覆面僧服の群れがパトリックに殺到し、瞬く間に全身掴み上げるように拘束した。


「貴様、何……っ!!」


 モルガナの白衣に、赤い染みが増えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る