[2-20] Happy Deathday

「ねえ、お母さん。銀色は、悪い色なの? わたしは悪い子なの?」

「ルネ……」


 石を投げられて泣きながら帰ってきたルネを、ロザリアは何も聞かずに抱きしめた。

 日を浴びたお布団みたいなホッとする匂いがした。柔らかな薄紫の髪がルネの頬に触れた。


「髪の毛の色や目の色で、人として良いとか悪いとかが決まることは無いわ。

 私はルネの銀色の髪も銀色の目も大好きよ。お月様みたいに綺麗なんだもの」


 ルネの耳元で、ロザリアは優しくそう言った。


 シエル=テイラの西の果て。ベルガー侯爵領、領都イニオン。

 街の景色を見ても文化的に見ても、ジレシュハタール連邦に近しく、銀髪銀目の忌み子であるルネがあからさまに迫害されることは無い。

 ただ、それはあくまでも『あからさまではない』というだけの話。

 道を歩いているだけで避けられるとか、侮蔑の目を向けられるとか。親に何を言われたのかよそよそしく振る舞う子が居たり。物心つく前からずっと疎外感を抱いて育ったような気がする。

 髪と目の色のせいだとルネがハッキリ自覚したのは、いつのことだっただろうか……


「……昔々のお話よ。この国が出来たばっかりの頃、偉い占い師さんが言ったの。

 『銀の髪と銀の目をした誰かがこの国を滅ぼす』って……」

「じゃあ、やっぱり悪い色なの?」

「違うわ! だって、そんなお話とルネは全然関係ないじゃない!」


 かがみ込んだロザリアはルネの肩を掴んで向き合う。

 日だまり色の優しい目が、いつになく強い光を宿していた。ルネが見たことないほどロザリアは真剣な顔をしていた。


「こーんな可愛い女の子がシエル=テイラを滅ぼせるわけないわ。

 それに、占い師さんが何か間違えていたのかも知れないわよ。例えば、本当は銀髪銀目じゃなくて全身雪まみれの人だったかも知れないし」

「……あははっ」


 想像して、ルネは笑ってしまった。

 吹雪の中を歩いて雪まみれになった人は、目どころか全身真っ白の銀ピカだ。


 釣られるようにロザリアも微笑んで、ルネに軽くキスをした。

 そして、うきうきとした様子でルネの手を引く。


「さあさあ、つまらないお話は忘れてご飯にしましょ。

 ねえ、ルネ。今日は特別な日だけれど、何の日か覚えてるかしら?」

「もちろん! わたしの10さいのたんじょう日!」

「大正解」


 拍手をして、ロザリアは小さな包みを取り出した。

 可愛らしい小箱に紅いリボンが結ばれていた。


 ルネの誕生日にはプレゼントをくれて、ちょっとしたご馳走を食べるのが恒例だった。そういう事ができる程度は余裕があった。

 生活は質素だったしロザリアはせわしなく働いていたけれど、王宮を出るに当たって多少の財産を持たされていたか、何らかの名目で年金でも給付されていたのかも知れない。


「はい、プレゼントよ。開けてみて」

「うん!」


 リボンがほどかれるまでの僅かな時間がルネにはもどかしく思えた。

 気持ちが先走って不器用になる手で包みを解くと、その中には、暮れの空に輝く一番星のような輝きが箱の中に収まっていた。


「これ……ブローチ?」

「銀色の薔薇のブローチ。ルネの髪と同じ色よ。きっと似合うと思うわ」


 薔薇の花の形をしていて、裏側をピンで留める構造になっているブローチだ。

 おそらく純銀ではなくメッキか何かだったのだろうけれど、それでもルネにはとても美しく見えた。

 どんな宝石だってこのブローチにかないはしない。こんな綺麗なものを自分は着けることができる。そして、それをプレゼントしてくれたのは大好きなお母さんなのだ!


 ロザリアはエプロンのポケットから、ひょいと同じブローチを取り出す。


「これは私の分。お揃いなの」

「えへへ……お母さんありがとう!」


 ルネはまた嬉しくなった。

 自分ひとりでも嬉しいものが、ふたりでお揃いとなればさらに嬉しい。


「さあ、それじゃあ……」


 ロザリアは弾むような足取りで台所に引っ込んで、何かを持ってくる。


「……オ祝イノゴ馳走ヲ食ベマショウ」


 ごとり、と大皿が食卓に置かれる。

 ロザリアの生首の載った皿が。


「え?」


 殴りつけられて歪んだ顔。瞼を閉じられ、眠っているかのようでもあるが、その眠りは決して安らかなものに見えない。

 皿の上には血だまりが出来ていて、所々に血がこびりついた薄紫色の髪が皿からあふれ出して食卓に広がっていた。


 その皿を置いたロザリアは、首から上が無かった。

 切断面から滴る鮮血が、ボロ切れみたいな服を赤く染めていく。


「お母さ…………」


 崩れ落ちる首無しの母。

 噴き出した血がルネの頬にかかる。


 暖かだった家の中は冒涜的な眺めに変わっていた。

 臓物のような戸棚。

 脈動する肉色の壁と天井。

 一輪挿しの花瓶には血と膿の花が咲く。


 骨の扉が荒々しく叩かれた。

 ああ、騎士たちがやってくる…………


 * * *


「……っはぁっ……はぁっ……」


 そこはパニーラルネひとりの寝室。

 万年金欠の孤児院で個室を持てるなんて贅沢な話だが、そもそもパニーラルネの部屋は、図面を引いた時にうっかり出来てしまった隙間を無理やり部屋にしたかのような場所で、寝台ひとつ入れるのが精一杯という有様だ。それで一人部屋なのである。

 暖炉すら無い。火鉢を持ち込んであるけれど、燃料を節約するため『本当に寒い時以外は使わない』という約束だった。


 堅い寝台の上に身体を起こし、パニーラルネは荒い息をついた。

 短い髪が額に張り付くほどの汗を掻いていた。


「反則じゃないのよ、あんなの……!」


 毒づく。

 あまりにも酷すぎる悪夢に対して。


 直接の仇であるローレンスやヒルベルトは死んだ方がマシな目に遭わせ、多くの騎士を殺した。シエル=テイラも崩壊状態だ。

 だが、それでも悪夢は終わらない。穿たれた傷が癒えることはない。


 ――なるべく寝たくないのだけど……でも、憑依中は時々寝ないと魔力回復に支障を来すし……


 睡眠も休息も食事も不要なアンデッドの肉体と違い、生きた人族にんげんの肉体には睡眠が必要だ。

 体力的な問題は魔法で解決できるが、その魔法を使うための魔力さえ、睡眠を取らずにいると回復しにくくなるというのが痛い。

 パニーラルネの場合3日くらいなら眠らなくて平気だが、それでもたまにはちゃんと睡眠を取る必要があった。


 しかし、眠るとおぞましいばかりの悪夢を見る。

 そしてお決まりのように……


「……やっぱり」


 粗末なシュミーズとベッドシーツは、ぐっしょりと濡れそぼっていた。

 ストレス性のものだろうと分かってはいるが……あまり直視したくない光景だ。


 ――でも! 今日のわたしには、エヴェリスに開発させた新魔法がある!


 暗闇の中、パニーラルネは企み顔で後始末に掛かる。

 掛かろうとした。


「パニーラ……」

「わっ!?」


 いきなり寝室の扉が開いてパニーラルネは驚く。

 小さな窓の鎧戸の隙間から月明かりが差し込むだけだった部屋を、ロウソクの明かりが照らし出した。


 今のパニーラルネと同じ、粗末なシュミーズを寝間着として着ている少女だ。意志の強そうな鋭い青黒の目。いつもは三つ編みにしている胡桃色の髪をほどき、絡みつく蔦草のように垂らしている。

 年齢は、確か14歳。15歳を成人と見なすこの世界では大人の一歩手前だ。

 この孤児院で最年長である彼女の名は、ユーニス。


「ご、ごめんなさい。驚かせちゃった? うなされていたみたいだから、気になって」

「大丈夫。もう大丈夫だから」


 最年長のユーニスは先生と共に、保護者のような立場で他の子たちに接している。

 悪夢を見てうなされるパニーラルネの声を聞きつけ、様子を見に来たようだ。


 パニーラルネの返事を聞いて、心配そうだったユーニスは安堵した様子だ。

 そして。


「「あ」」


 ふたりの声が揃った。


 パニーラルネは今、惨劇の検分をするため、ワラを包んだ掛け布団と毛布をはね除けていた。

 要するに、明かりを持ったユーニスからは何が起こっているのか丸わかりである。


 ユーニスは、気まずそうにちょっと視線を逸らした。


「……え、えっと……先生には私から言っておいてあげるから……パニーラは着替えてらっしゃい」

「…………はい」


 パニーラルネは俯きながら応えた。


 ――こういう展開は想定してなかったわ……


 新魔法の出番は無かった。

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