[2-5] 猫の恨みは千代に八千代に

 その夜のことは、まぶたを閉じるだけで克明に思い出せる。


『いいか、ふたりはここでじっとしているんだ』


 それがミアランゼの父の最後の言葉だった。

 久しく使っていなかった剣を取り、『密猟者』を追い払うために出て行った父は、10人以上の『密猟者』に寄ってたかって八つ裂きにされて死んだ。

 扉の隙間から見ていた光景。月の下で踊り狂うように死んだ父。鮮血が飛び散り、下卑た笑い声が響く。


『この子、助ける……ください!』


 それがミアランゼの母の最後の言葉だった。

 猫獣人ケットシーである母が父と語らうために必死で勉強した人間の言葉。『密猟者』たちは、母の言葉が片言なのを嘲笑って、それから殺した。

 獣人ならそれはそれで買い手がついただろうに、それでも母を捕らえることなく殺したのは、極上の獲物を……奇跡に近いほど誕生が希少な獣人と人間の合いの子ハーフであるミアランゼを前にして、ただのケットシーなど端金だったからだ。


 『密猟者』の中に混じっていたひとりの冒険者を見て、ミアランゼは事情を悟った。

 半年ほど前のこと、森で行き倒れているのをミアランゼが見つけて助けた男だった。

 ミアランゼたち一家は人目を避けるように森の中に住んでいた。父と長い付き合いの商人が時折訪ねてくるくらいで、ミアランゼの存在を知っている者自体、少ない。助けられた男が情報を持ち帰り、そして『密猟者』になったのだ。


 人間と結ばれた母は部族の集落を蹴り出され、父もまた自分たち夫婦と娘であるミアランゼに対する好奇の目を避け、半ば隠れるように森の中で生きていた。

 だが、それでも行き倒れを見捨てて引きこもるほど利己的に非情にはなれなかったのだ。


 なのに。

 なのに。


『喜べ。お前に買い手がついた。シエル=テイラって国のお貴族様だ。

 ヒヒ……こんなシケた森の中とは大違いの煌びやかな暮らしができるぜ?』


 かつてミアランゼに助けられた男は、自分が受け取る代金を想ってか、笑みが顔から溢れそうなくらいにニタニタと笑っていた。


 * * *


 テイラカイネの街から、ほんの少しだけ北に離れた街道沿いの小屋にて。


「くそっ……! 忌々しい“怨獄の薔薇姫”め!」


 天を舞うアンデッド空行騎兵を窓から見て、しわくちゃの猿みたいな顔をした初老の男が歯噛みする。

 彼は山小屋のような粗末な建物には場違いな、煌びやかに金糸で装飾された濃緑のジュストコールを着ていた。


 シエル=テイラの廷臣のひとりだった男。

 ゼーバッハ侯爵ことフランク・ルパート・ゼーバッハである。


 彼は王都陥落の際に、いち早く脱出に成功していた。その後はエドフェルト侯爵マークスを頼りテイラカイネに身を寄せていたのだ。

 だが、ここにも“怨獄の薔薇姫”はやってきた。


 マークスは慌てて傭兵や冒険者を集めていたが、王宮騎士団すら打ち破った“怨獄の薔薇姫”に対抗できるはずがない。

 マークスの『秘策』さえ上手く決まればどうにかなるだろうが、間に合うかどうかは分からない状況だ。せめてまでは守りを固めて耐えるか、身を隠さなければならないのだ。


 そこでフランクは街から離れた場所に避難し、身を隠して待機するという手を取った。“怨獄の薔薇姫”が撒き散らした文章で指定した攻撃の期日は今日。そのためフランクは昨日の晩からこの場所に隠れていた。


 ここは猟師たちが狩りの拠点に使ったり、街道を行く者が休憩場所にする小屋だ。フランクはここに数日は籠城できる程度の物資を持ち込んでいた。煙が立たないように暖炉は使わず、橙色のランプのような暖房用魔動機械アーティファクトが小屋の中の空気を辛うじて暖めている。


 狭い小屋の中にフランクと共に居るのは、まずフランクが掻き集めた護衛の冒険者4人(廷臣であったフランクは配下の騎士を持たない)。王都で屋敷の警備に雇っていたふたりの私兵。世話をさせるための従僕ひとり。

 そして手元にある中で最も高価な財産にして、使用人であり家畜であり妾でありオモチャ……猫獣人ケットシーと人間の合いの子ハーフの少女、ミアランゼだった。

 

「旦那様、こんな街から近いところで本当に大丈夫なんでしょうかね?」


 雇われた冒険者のひとりが不安げに声を上げる。

 すると、あからさまに気分を害した様子でフランクは眉根を寄せた。


「なにぃ? 冒険者の分際で、お前は私の考えを疑うのか」

「いや、でもこんな……」

「腰が痛くてここまで来るのも大変だったのだぞ!」


 近いのは間違いない。窓からは街の上空を飛ぶアンデッド空行騎兵の姿が分かるほどの距離だ。

 だがフランクはこれ以上遠くまで行く気は無かった。腰の状態が思わしくなく、とても遠くまで行く気にならなかったのだ。


「それに私は街から危険が排除され次第、速やかに街へ戻らなければならんのだよ。マークスの屋敷にいろいろと置いてあるからな……いや、まあマークスがそれを取りはせんだろうが、下手をすれば今から来る奴らが……

 ああ、とにかく! 私が大丈夫と言うからには大丈夫なのだ! お前らは言われた通りに仕事をしていればいいんだっ!」


 冒険者はもう何も言えない様子でうつむく。

 それを見てフランクは、ざまを見ろとばかりに鼻を鳴らした。ただでさえ馬鹿なのに、ろくに考えもせずに口を開くからトンチンカンなことを言うのだ、と。


 ひとまず気を落ち着けて座ろうかと椅子を探したフランクだが、壁際に置いてある椅子はどれもこれも木材を荒っぽく組み合わせただけのようなワイルドなもので、フランクにとっては座るどころか見るにも堪えないものである。さっきまで座っていたが、既に尻と腰が痛くなり始めていた。


「まったく、椅子もゴツゴツで気のきかん小屋だ。

 クッションを持ってくるべきだった……いや、待て。そうさな」


 フランクはにんまり笑う。

 そして、懐から金属製の小箱みたいな魔動機械(アーティファクト)を取り出すと、そこに向かって声を発した。


「おい、ミアランゼ。椅子の代わりになれ。四つん這いになるんだ」


 小屋の隅で置物のように控えていたミアランゼがびくりと震えた。


 フランクに何かを命じられる度に、嫌悪と恐怖と怒りのあまり、ミアランゼの心は煮えたぎる鍋のようになる。

 だが、その心とは全く関係なくミアランゼの身体は動く。彼女が首に嵌めた『隷従の首輪』の力だ。

 フランクが持っている命令機に向かって声を発すると、首輪の装着者は自分の意思と全く関係なく強制的に従わされてしまう。ミアランゼが脱走したりフランクを殺したりできないのも、首輪の力でそれを禁じられているからだった。


 ミアランゼの身体は自動的に四つん這いになる。

 すると、フランクはミアランゼの背中に座り込んだ。


「くっ……!」

「ふん。ひどい座り心地だが、柔らかいし多少は温かいな」


 酷評しながらもフランクは満足げだった。

 周囲の冒険者たちは目を合わせようとしない。ゼーバッハ侯爵の趣味の悪いお遊びに内心では思うところあるのかも知れないが、そのことで雇い主を堂々と非難するようなことはしなかった。


 ミアランゼの身体が軋む。

 歯を食いしばって耐えていたミアランゼは、ふと思い立ったように、胸の内に渦巻く怒りを言葉に変えた。


「お前など……王都で殺されていればよかった」

「何だと?」


 ミアランゼが口答えをすることは稀だ。

 それは反抗した時の折檻を恐れているからではなく、口答えすることそのものがフランクの思うつぼだと感じていたからだ。なんともないような顔をしているのが、フランクを一番悔しがらせるからだ。

 だが、今日はなぜだかそんな気分にはなれなかった。


「お前は生きるに値しない外道だ。楽しみのために他人の命を奪い、他人を好きにする……!

 復讐のために人殺しをしているアンデッドモンスターの方が、よっぽど筋が通っているじゃないか!

 滅んで当然だ、こんな国! お前みたいな人の顔をした悪魔が重用され……」


 ミアランゼの背中から重みが消えた。と、思った直後だった。


「きゃああっ!?」


 衝撃がミアランゼの頭を揺らし、ミアランゼは倒れ込んだ。


「クハハハハハ! ようほざきよるわ!」


 暖炉から抜き出した薪を持ってフランクが立っていた。

 これでミアランゼを殴りつけたのだ。


 倒れ込んだミアランゼだが、身体はフランクの命令に従い、また四つん這いの姿勢を取ろうとする。

 それをフランクは再び殴りつけた。


「あぁっ……!」

「ワシが貴様を買ってから、もう10年ほどになるか? ん?

 よいよい、若いメイドどもすら目が腐っておるというに、お前はまだ目が死んでおらん!

 それでこそ躾け甲斐があるというものだなぁあ!!」


 興奮のあまりひっくり返った声でフランクが叫んだ。


 フランクはミアランゼを気に入っている。

 彼にとっては、ミアランゼを肉体的に苦しめ、精神的に追い込み、もがき苦しみながらもあがこうとする姿を見るのが何よりの娯楽なのだ。

 10年。言葉にすると一言だが、幼かったミアランゼが大人になるほどの時間。もはや森で生きていた幸せな時間よりも長く、ミアランゼはこの男に家畜として隷従させられ、ひっきりなしに屈辱を与えられてきた。


「どれほど憎く思おうと! 貴様はこのワシに逆らえん! 誰が主であるか、魂に刻むといい!」

「つっ……うっ! うぁっ……!」


 容赦無く薪が振り下ろされ、ミアランゼを打ち据えた。

 身体はまったく自由に動かない。声を上げるのだけがミアランゼにとって唯一の抵抗だった。


「死ね! 死ね! 死んでしまえ! お前など、お前など……!」

「『殺す』ではなく『死ね』と言うか。ほほ、分かってはいるようだな。どうせ貴様には何もできんのだと、分かっているようだなぁ!」

「ぐ、うっ……!」


 薪がミアランゼの背中を打つ。

 歯を食いしばってミアランゼは悲鳴をこらえた。


 ――私に……こいつを殺す力があれば!

   殺す……! 殺す……! 殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺


 もし、想いだけで人が殺せるなら、とミアランゼは思った。

 心をどんなに殺意で埋め尽くしても、その恨みが届くことはない。


 ないはずだった。


 その時突然、辺りが大きく揺れた。


「うわあああ!?」


 フランクが情けない悲鳴を上げて転倒する。のしかかられたミアランゼも潰れるように突っ伏した。


 再びミアランゼが顔を上げた時。

 小屋は、半分吹き飛んでいた。

 壁も柱も、元の高さの半分くらいまで残っているがそこから上がごっそりえぐり取られている。キンキンに冷えた風が吹き抜け、抜けるように青い空から日差しが降り注ぐ。


「≪生命感知ライフセンサー≫に妙な反応があると思って来てみたら……」


 中途までになった煙突の石組み上に、何者かが降り立つ。

 見上げた先に存在したのは、ミアランゼが夢にまで見た銀色の輝きだった。


 銀髪銀目の麗しい少女。

 白いドレスのスカートには鮮血の薔薇。

 片手には自分の首を、もう片方の手には宝石を削り出したような真っ赤な剣を持っている。


 ネームドモンスター“怨獄の薔薇姫”。

 あどけない顔を獰猛に歪ませて、彼女は嗤った。


「ビンゴだったわね。ゼーバッハ侯爵に間違い無いかしら」

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