【短編】隣のバラは

秋風ススキ

本文

 我が子をほかの家の子供と比べてはいけない。子育てをする中で、佳代が何度か自分に言い聞かせた言葉であった。自分だって、ほかの母親と比較されて不愉快に感じることがあるのだ。子供には、自分が母親から別の子供と比較されていると、感じさせることすらさせたくない。そう思っていた。佳代は家の近所の小さな会社で事務の仕事もしながら家で主婦もする生活を25年ほど続け、今でも続行中であった。専業主婦で子供の弁当作りやPTAの活動などを完璧にこなす女性と比較されるのもいやな気分であったし、結婚しつつ大企業で管理職になっている女性と比較されるのも、いやな気分であった。

 幸い、子供たちは一流ではないにせよ順調に進学や就職を成功させていた。でもねえ、と佳代は思う。特に長男のことだ。大学を出て正社員になってくれたのはよいが、そして実家住まいを続けていることも親としては案外うれしいが、休日にはゲームばかりしているということが、佳代にとっては不満と不安の種であった。通勤の電車の中や会社の昼休みなどにもやっているらしかった。せっかく比較的ホワイトな企業に入ることができて、定時退社する日が多く、土日はほとんど確実に休みだというのに。会社の仲間とお酒を飲みに行っている様子もないし、彼女がいる様子もない。スマートフォンで行うゲームに熱中しているのであった。家族で夕食を囲んでいる時にも、息子はたまにスマートフォンをいじる。

 ちゃんと働いているのだし、趣味にまで干渉したくないとは思いつつ、せっかく若くて経済的な余裕もあるのだから、旅行するとか自動車を買うとかすればよいのに、と思ってしまうのであった。息子がゲームに課金している、毎月数万円を投じていると知って、その思いを強くした。目当てのキャラクターが出たという話を、息子が自分に嬉々として教えてきた時には、心配になってしまった。テレビのニュースなどを見ると、月に数十万円をつぎ込んでいる人もいるらしいとわかった。それに比べれば息子はまだ大丈夫ね、という安心感を得るのであった。


 佳代が不満を持ってしまうのは、いけないことだと思いつつ、知り合いのところの子供と比べてしまうからであった。子供同士が小学校や中学校で同じクラスだった縁などで今でも親しくしている同年代の女性が、近所に何人かいる。その中の1人は結婚して以来ずっと専業主婦であり、3人の子供たちはみんな理工系の、ランクの高い大学に行った。2人はすでに卒業してそれぞれメーカーと通信企業で働いていて、1人はまだ在学中であると聞いていた。それから佳代と仲の良い女性には、本人が大企業の管理職にまでなっている人がいる。その人は、子供は1人であるが、名門私立大学で経済を学び、すでに起業したとのことであった。佳代は、その起業した会社について詳しいことは知らなかったが、IT関係ということは知っていた。

 その2人の女性と一緒に食事をする機会が、久しぶりに訪れた。佳代は、その2人の子供たちの仕事について詳しく聞いてみることにした。母親は大抵、我が子の活躍について聞かせる相手を求めているものだ。

「うちの子たちは、ええと上の子は電機メーカーに入ったのだけど、国産でスマートフォンを作るプロジェクトに配属されているみたい。真ん中の子は通信企業に入って、携帯電話の基地局の整備をしているわ。ネット用の電波の仕事もしていて、忙しいのですって」

「きっと給料も多いのでしょうね」

「おそらく。でもあまり使わないで、投資に回しているわ。よくわからないけど、上場する前のベンチャー企業の株を買ったり、クラウドファンディングをしたりする仕組みがあるそうなの」

 管理職のほうの女性が、

「あら、それなら。うちの子が作った会社にも、投資してくれているかもしれませんね」

 と、言った。

「どういう会社なのですか?」

「それが。将来は巨大メディアを作るとか言って、大風呂敷を広げているのですけど、今はゲームの開発と運営をしているみたい。資金と経験と実績を得るためだとは思いますけど、わたしはあまり感心できませんわ」

「ゲームを」

「ほら。ソーシャルゲームでしたっけ。課金とか言って、人からお金を巻き上げているみたいで、わたしはどうも。美少女キャラクターというか、肌も露わな女性の絵もたくさん使用されているみたいですし」

「あら、でも。スマートフォンが売れるのも通信が使用されるのも、そういうサービスが色々とあるからこそ、ですからね」

 佳代は沈黙した。自分の息子がそのジャンルのゲームに消費者としてお金を使っているなんて、言う気にはなれないのであった。


 多くのベンチャー企業とIT企業が本社や研究開発用のオフィスを置いているオフィス街。まだ新しいビルの上層階、ワンフロアが丸ごと‘彼’のオフィスであった。

「社長はどうしたの?」

「社長室で考えをまとめているところだよ。重要な決定は、我々部下や外部の顧問から意見と情報を集めた後で、1人で行うからね」

 数名の社員が仕事の手を休めて雑談していた。

「しばらくはゲーム事業に注力し続けるか、そろそろ芸能界や伝統的なメディアと協力して映像配信やネットメディアに進出するか」

「そういえば最新鋭の人工知能の試作品を購入したのだよね。起業してすぐのころに。あれ、いつ収益につなげるのかな?」

「そのことに関しては、社長がお1人で進めている話だから。下手なことを言うと首になるぞ。ご自分でハードウェアの増設や日頃の管理まですべて行うほどの入れ込みようだからな」

「社長室のスペースの半分くらいは、その関連の装置で埋まっているもの、な」

 社長室では社長が、マイクとスピーカーで人工知能と対話していた。画面とキーボードを介してのやり取りも補足的に併行していた。

「母へのプレゼント、どうしようかな? 母の日ということでもないけど」

「母親思いの息子という人物像を地道に形成していくことは大切ですよね。現状では、金融資産を個人として持っているのも企業で決定権を持っているのも50代や60代の人が多いですし、若い世代は若い世代で、家庭の不和のような事柄には敏感です。特にあなたのお母さまは大企業で管理職をなさっておいでですから」

「うん」

「腕時計か何かでよろしいかと」

 画面には高級ブランドの腕時計の画像がいくつか表示された。価格などの情報も表示されていた。

「ああ。その一番高いヤツを注文しておいてくれ」

「かしこまりました」

「さて。ソシャゲはまだ稼げるかな」

「収益を上げることは可能ですが、世間からの反感が心配になってくるところです。将来的に、同じ社名やブランドを使用して多角化するつもりならば、これ以上この事業を大きくすることは不利益だと思われます」

「その通りだ」

「教育のためのソフトウェアの開発に力を入れることをおすすめします。まずは計算問題や暗記科目の練習問題を無料で利用することができるサービスの提供から始めて、それから有料のソフトウェアの開発に取り組みましょう。子供が1人で対話的に学習を進めることができるようなソフトウェアを作るのです。今は学校教育への不信感が根強く、不登校の子供も社会的に認められつつあります。まずはそういった個人が購入するでしょうし、将来的には公教育に、全てとは言えないまでも部分的には、とって代わることも可能です」

「うむ。そうしよう。しかし君なら今でも教育が務まりそうだな」

「ご冗談を。それに、普及させるためには、一般的なパソコンのスペックに収まるソフトウェアである必要があります」

「その通りだ。よし。この方向で行こう」

「頑張ってくださいね。部下や取引先の方たちを説得できるように」

 画面上に、可愛い少女の絵が現れた。

「ああ。学校の勉強ならともかくビジネスや現実の問題のことでは、正しい答えを出すことよりも、バカにその正しい考えを納得させることのほうが難しいからな」

「まあ。社長ったら。現金が入ったら、わたしのシステムへの増設も忘れないでくださいね」

「もちろんだ」

 画面上の美少女はウィンクをした。

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