第162話 光と影と急なボケ

「明智十兵衛光秀で御座る。与力として柴田殿のお力になれるよう励む所存。よろしくお願い致しまする」




(き、きたーーー!!!)






明智光秀が尾山御坊にやって来たのは、希美が尾山御坊に戻ってから二日後の事であった。


希美の眼前に座る光秀は、眉目秀麗な男だった。年の頃は滝川一益より少し若いくらいか。


瓜実顔うりざねがおの切れ長の目は穏やかで、すっと通った鼻筋に、口元は少しだけ笑んでいる。


体型は、なんかシュッとしている。


ムキムキではない。シュッとしている。




どこか柔和な雰囲気をまとうこの男が、将来ユダってしまうなど考えられない。






「よく来てくれたな。待っておったぞ!私が柴田権六勝家だ。よろしくな!」


「此度は、態々(わざわざ)其を与力にと望んで下さったとか。其の事を知っておられたので?」


光秀の疑問に、希美は少し歴史を思い出しながら答えた。


「うーん、まあ、知っていたといえば、知っていたかな。確か、土岐氏の支流の出だったよね?」


「おお、よくご存知で!」




(明智光秀といえば、逆行転生もの小説に大体出てくる脇役オブ脇役!転生者がこぞって仲間に欲しがり、数多の投稿小説で転生者に裏切らないよう改造されてきた『ミスター歴史改変』!今まさに私もそのテンプレを……!)


希美はちょっと感動にうち震えながら、懐古した。


「あの手の小説は散々読んだからなあ。お主については自然と詳しくなったのだ」


「?」




「それより、明智殿。殿に仕えるならば、一つ殿について知っていただきたい事が御座る」


「ほう……。それは是非ともご教授いただきたい」


「うむ。実は殿は、妙な性癖が御座ってな。大好きな者ほど虐めたくなるのだ」


「なんと!!」


「ちなみに、私も散々やられた。『うつけ』だの『阿呆』だのと罵られるのは常の事、殴られ蹴られ鞭でしばかれ、真冬に磔にされ、部屋に入るなり種子島で撃たれた事もあったなあ」


「ええ!?よくぞ、ご無事で……」


「死なぬからな。一番辛かったのは寝所に呼ばれて尻を出せと……」


「え、ええーー!?」


光秀は仰天している。希美はその時の事を思い出して、しかめ面になる。


「大丈夫だ。なんとか逃れた。とにかく、気に入ったら意地悪してしまう小学生みたいな性格なんだ。時々デレるのだが、優しさがわかりにくい時もある。なあ、明智殿」


「は、はい」


「殿がお主に意地悪になったら、気に入られたという事だ。お主の事が大好きな証拠だ。だから、色々あっても気にするなよ?」




(これだけ殿のツンデレアピールをすれば、明智光秀も、殿に意地悪されて謀反なんて事にはならないだろう。うん。こうやって、殿と明智光秀との仲を取り持っていこう!)


希美は『本能寺の変』回避に自信を覗かせている。


だが、光秀の顔色が悪い。




光秀は希美に恐る恐る聞いた。


「き、気に入られなければ、どうなるので?普通に任を解かれるだけですよね?まさか拷問とか……」


「え?」




希美は考えた。


(ああ、殿に気に入られるかどうか不安なんだな。でも、史実の明智光秀は信長にかなり重宝されてたはず)


希美は震える光秀の元に近寄ると、安心させるように肩に手を置いた。


そして、もう片方の手でサムズアップした。


「大丈夫!明智殿なら絶対、殿に気に入られるよ!これ、御仏のお告げな!!」




「虐められる……尻を……」


光秀は、気が遠くなった。


そりゃそうだ。


光秀からしたら、『信長は気に入った家臣をいたぶる鬼畜で、お前は信長にいたぶられる未来確定な!』と言われたのだ。


しかも、駆け出しの若い頃ならいざ知らず、この年になって尻を……!




光秀は土下座した。


「其、一生柴田殿の与力として勤めたいと思いまする。どうか、ずっと、こちらに置いて下され!」


「何故!?与力だから、いつかは殿の所に帰るでしょ?」


「嫌です!どうか其を離さないで!!もういっそ、柴田殿のもの(家臣)にして!」


「何言ってんだ、お前!?」


希美の膝にかじりつく光秀。


どうも、薬が効きすぎたようだった。




「父上、また新しい男を引っ張りこんで……」


希美がハッと顔を上げた先に、廊下から覗く坊丸の姿が。




「いや、これは違っ……、待ってっ、誤解だから!坊丸さん!?明智殿、離して!」


「其を離さぬと言ってくれるまで、離しませぬ!」


「わ、わかった!離さぬ!お主を決して離しはせぬ!」






「まあ……、あのように情熱的な口説き文句を!」


「酷いわ!ご家老の次兵衛様がさぞ嫉妬なさる事でしょうね」


「いえ、むしろ、それが次兵衛様に火をつけて、その夜は荒々しく殿を……」


「……最高ね、それ」


「それは、良い事なのですか、浜?」


「坊丸様、時には嫉妬が二人の愛を燃え上がらせる事もあるのですよ……。さあ、もう参りましょう」




「浜っ!伊予っ!坊丸君に妙な事を吹き込むの止めろ!!」






坊丸達は行ってしまった。


「ああ……、絶対坊丸君に『男色ハーレム武将』だと思われてるよお」


「柴田殿、殿に戻されそうになったら、其を守って下され……」


光秀が潤んだ瞳で、希美を見上げる。


「上目使いで見るなよ……。わかったよ。お前は私の『ズッ与力』だょ」


新しい言葉が生まれた瞬間である。


その言葉をひっくるめて、希美と光秀との会話を余すことなく書き留めた太田牛一は、懐の紙が切れたため、自室に取りに行こうとそっと次の間から立ち去った。


希美は気付いていない。


牛一のこの報告書を読んだ信長が魔王と化すのは、もう少し先の話である。






場面は、希美と光秀に戻る。


光秀はきちりと座り直すと、懐から書簡を取り出して希美に渡した。


「何?誰から?」


訝しげに書簡を受け取った希美に、光秀は言った。


「三好修理大夫殿からで御座る」


希美がギョッとして光秀を見る。


「え、三好長慶?なんで、私?殿じゃないの?」


「はい。殿には既に報告しております故、心置きなく読まれませ」




希美は書簡を開いた。


「ええと……、何なに、『三好筑前守(義興)にかけられた呪いを解いてくれ』?何言ってんの、こいつ」


光秀が希美に説明を始めた。


「其が京にて、三好軍敗走の話を聞いた少し後の事、公方様にお暇いとま申し上げ、こちらに戻るための挨拶回りをしておりましたら、三好家の使いが参ったので御座る」


「ふんふん」


「この書簡を持って参った使いによると、修理大夫殿は柴田殿の予言を随分と気に病んでいる様子。『息子(義興)は、えろ大明神様に仇為そうとして祟られたのだ』と怯えているそうです。それで、芥川山城まで来てほしい、と」




「はあっ!?」


希美は思わず声を上げた。




「祟ってねえわ!人を祟り神扱いするなよ!」


「そうなのですか?」


「明智殿まで何言ってんの?そんな凄い事できるなら、私、真っ先に河村久五郎を祟ってるよ?」


「河村殿はお弟子ですよね?」


「あやつ、私を変態にプロデュースしようとするんだ」


「……聞いておりますぞ、全裸鎖にマーラの兜で戦場を駆け抜けたとか」


「止めて。その話は記憶から、いや、日本史から消し去って」


希美は両手で顔を覆った。






「それで、どうされるので?」


光秀の問いに、希美は指の隙間から聞き返す。


「殿は、何て言ってるの?」


「『行くなら勝手に行け。ついでに修理大夫の首を土産にせよ』と」


希美は、はあ、とため息を吐いた。


「焦らなくとも、三好長慶なら来年死ぬっての……」


「え?!」


「あ……」




「……」


「……」




「はっはっはっはっ!……さて、日課の『えいさーダンス』の時間だわ。ちょっと『ちんすこう』叩き割ってくるな!」


そう言っておもむろに立ち上がった希美の袴の裾を、光秀が掴んだ。


「柴田殿?」


「なんだ、明智殿も興味があるのか?琉球の風習でな、先祖の霊を送るのに踊りながら『ちんすこう』を叩き割って、そのかけらを皆で回し食べるらしいぞ!なかなかハートフルだろ?」


「し・ば・た・ど・の?誤魔化しても無駄ですよ?」


「うん。ごめんね、適当に盛った。『ちんすこう』の件くだりは嘘だよ。酒盛りをするらしいんだけど私、酒はそんなに好きじゃないから、『ちんすこう』だったらいいなあって。ほら、『サーターアンダギー』は、一個でお腹に溜まっちゃうだろ?」


「そうじゃない。其が聞きたいのは、そっちじゃない。修理大夫の事ですよ!」






希美は、肩を落として光秀を見た。


「その話、しないとダメ?」


「駄目です」


頑なな光秀の様子に、希美は渋々話し始めた。


「あのな、私が知っているのは、三好長慶の予定表なんだ。恐らく病死だから予定に狂いは無いと思うけど、関わり方次第ではその予定が変わる事もあるんだ。だから、あまりこの話を広めたくない。広めるほど予定が変わる可能性があるし、私が今回関わる事で、予定が変わるかもしれないからさ」


「つまり、柴田殿は芥川山城に行かれるのですな?」


光秀の念押しに、希美は頷いた。


「行くよ。誤解は解かないと。私が義興殺したって恨まれるの、嫌だし」




光秀は少し俯き、考える様子を見せた。そして探るように希美を見る。


「あなたは、まさか修理大夫を助けるつもりなのか?」


希美は肩をすくめた。


「病気を治せと言われても、私には無理だよ。管轄違いだ」


光秀は、ふう、と息を吐いた。


「それがよろしい。彼の方がいなくなれば、織田の天下が近付くのですから」


「あ、殿には内緒な。『三好を攻めよう!』とか言われるの嫌だし。そろそろ内政チートのターンにしたいんだ。そもそも戦争したいなら国力上げないと、『欲しがりません、勝つまでは!』みたいな悲惨な事態になっちゃう」


「なっ、それでは、主君を裏切る事になるのでは?!」


声を荒げる光秀に希美が突っ込んだ。


「真面目か!そもそも、裏切りに関してはお主に言われたくないわ」


「どういう意味ですか!其は主に秘め事など…………くっくっくっ、いくらでもしてやるぜえ!」






言葉の途中で急に黙った光秀の声色が変わり、希美は驚いてその顔を見た。


光秀は悪そうな笑みを浮かべ、ニヤニヤこちらを見ている。




「くくく……、主に秘め事か。いいじゃねえか。そのまま下剋上しちまおうぜえ」


「あ、明智さん?」


「【初めまして】だなあ、柴田権六よお。俺は、言うなればもう一人の明智十兵衛よ」


「も、もう一人?急に二重人格設定放り込まれても、私ドン引きのリアクションしかとれないよ?」


「ああ?意味わかんねえよ」


「いや、お主の方が意味わかんねえわ」




希美は混乱しつつも、急に二重人格ボケをねじ込んできた光秀のチャレンジ精神を買って、それに合わせる事にした。




「ええと、つまり明智殿の中には二人の明智殿がいるという事ですね?」


「ああ、そうだぜえ?堅っ苦しい品行方正な方が『光』秀だとすれば、俺は世の中全てをぶっ壊したい『影』秀とでもいうべき存在よお」


「なるほど、なかなかの中二設定で私の全身、サブイボ全開ですよ!で、影秀さん(笑)は、なんでまた急に現れたの?」


腕を擦りながら尋ねた希美に、影秀が嗤いながら答える。


「くくく……、何やら面白そうな話をしてやがったからなあ。『光』秀が出来ぬ事をするのは、いつだって俺の役目ってわけさ。『光』秀の口、俺がふさいでやるよ」


「え、そんな事が出来るの?」


「『光』秀とは違って、俺はいつも闇の底から『光』秀を見てるからなあ。少し口を動かぬようにするくらいは簡単さあ」


「なんか、浅井久政を彷彿とさせるよ、影秀さん(笑)。でもなんで、私に協力を?」


「別にお前に協力してるわけじゃねえ。言ったろ?俺は、『光』秀が出来ない事をするだけさ」


「あ。そういえば、そんな事言ってましたね」


「じゃあ、話もついた所で、俺はこのまま退出するぜえ?なんせ久々の外だからなあ。そこらの女中としっぽり楽しむかあ……」


「あ、はい。お気をつけて……」






そう言うと、影秀は出ていった。


希美は、ポカンとしたまましばらく座っていたが、やがてぽつりと呟いた。


「そっか。前に九郎左さん(朝倉景紀)が『変わってる』って言ってたのは、こういう難解なボケを急にぶっこんでくる人って事だったのか。……それにしても、散々ボケ倒して、オチが無いとかどういう事なの……?」






希美が首を傾げたその時、遠くから影秀の叫び声が聞こえた。


「うわああああ!!!髭の女ああっ!!」






「ああ、これがオチね」




希美はなんだかスッキリした気分で、三好さん家への訪問準備を始めたのだった。

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