第95話 知らぬが仏

希美が牢に入って、ようやく十日が経った。


信長と止々斎が来た初日を除いて、牢に入れられている間は面会謝絶となり、希美は永遠にも思えるその九日間をあの丹羽長秀と二人きり……


そう、二人きりの、恐怖に彩られた蜜月タイムを過ごす事となったのである。




外の人達は、時折漏れ聞こえる柴田勝家の悲鳴を聞き、柴田勝家の尻を心配していた。








そしてとうとう出所の日。


お迎えに来た皆の前に現れた希美は、恐怖のあまり髪が真っ白に……になるはずもない。


肉体チート持ちなのだ。


だが、チート持ちのはずの希美の顔がやつれ、家老の次兵衛に支えられながら、よろよろと歩いて来る様は、迎えた人々にこう思わせた。




(あ、これ、尻は無事ではないな)


と。




上杉輝虎とその家臣達は、希美の元に駆け寄った。


「柴田……いや、『ゴンさん』と呼ばせてくれ!わしのために、なんと酷い目に……」


「柴田様!いえ、大殿!我が主のために尻を犠牲に……申し訳も御座いませぬ!」


「大殿!」


「大殿!!」






希美は疲れた表情で戸惑いながら言った。


「え、大殿?尻?」


そこへ信長が優しく声をかけた。


「掘られたのであろ?さ、これはわしがいつも小姓に塗ってやっている軟膏じゃ。使うがよい」


主の生々しい性活をほのめかしつつも、とんでもない誤解をうかがわせる内容だ。


希美は言い返す気力も無かったが、そこは確実に信長の言葉を否定した。


「私の尻は、未だ清らかで御座るぞ」




「ふふ……柴田様の全身、隅から隅まで清らかで御座る。某が、懇切丁寧にお世話致し申した」


そう言って、長秀が舐めるように希美の全身を見回す。


希美は虚ろな目で呟いた。


「『白河の清きに魚の住みかねて、元の濁りの田沼恋しき』……多少汚れてても田沼時代がよかった。私の田沼時代カムバック……」


混乱している。


お前は昭和生まれの平成育ちだろう。


「何じゃ、その歌は?」


「うう……詠み人知らず……」


輝虎が首を傾げている。


知らないはずだ。江戸時代の狂歌である。


これも、知識チートに入るのだろう。


見よ、歴史転生もの作者先生様達!これが、未来知識は無駄に消費させた例である。(悪い例)






さて、信長が意外そうに長秀に言った。


「お主、あれほど権六に執着しておきながら、口説きもせなんだのか?男同士で石牢十日間、何も起きないはずが無かろう!」


この両刀使いは何を言っているのか。希美は『本能寺の変』ドッキリの決行を、固く心に誓った。




しかし長秀も意外そうに信長に返した。


「嫌だなあ。某がこんな美味しそうなモノを目の前にぶら下げられて、何もせぬわけが無いでしょう?」


皆の視線が希美に集まった。希美はぶんぶんと首を振って『否』を表した。


本当に、指一つ入れられてない。




長秀はそんな希美の肩に手を乗せ、嗤いながら囁いた。


「精神なら侵し尽くして差し上げましたよ。ね、柴田殿?」




希美の肩が強張った。


長秀は楽しそうに思い出し嗤いをした。


「たあくさん、かき混ぜましたなあ。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も」


「う、うわあああああああ!!!」


希美はしゃがみ込んだ。


長秀も追うようにしゃがみ込み、希美の耳元に顔を寄せた。


「ふふふ、某と柴田殿が混じり合い、一つとなった証……美味しかったなあ。柴田殿、美味しい……」


「止めろお!!ぜぜ絶対見ない!……ああっ!でも、音が……音があっ!私の耳を潰してくれ!!」


希美は耳を塞ぎ、益々縮こまった。


長秀がその様を愛しげに見ている。


辺りはしんと静まり返り、夏も盛りになろうかというのに人々の肌には粟粒が立っていた。




次兵衛は唖然としていたが、はっと気が付き希美を抱き抱えるように長秀から引き剥がした。


希美は次兵衛にしがみついた。


おっと、次兵衛がちょっと嬉しそうだ。


希美は相棒が傍にいる心強さからか、少し落ち着いてきたようである。






そんな凍えた空気をものともせず信長が口を開いた。


「お主、なんか気持ち悪いぞ!」


「酷いで御座る。某は真剣なのですがねえ」


信長の軽い悪口に、長秀は悪びれた様子もなく立ち上がった。


信長は長秀を信頼して重用しているせいか、その応対に周囲との温度差が如実に表れている。


信長には、お気に入りの家臣に対して、わりとそういう甘い所がある。




輝虎が信長に食ってかかった。


「お、おい!この男は、何なんじゃ!?」


信長は事も無げに答えた。


「よく気が利く使える家臣じゃな!」


「いや、そういう事では無くてじゃな……」




信長は顎を擦りながら昔を思い出したようだった。


「五郎左は、元は丹羽家から人質として織田家に参ったのじゃが、わしは家督を継ぐに当たり、有能な家臣を集めておってな。目端が利くという噂だったので会いに行った」


「ふむ……」


輝虎が相づちを打った。




SAN値が回復してきた希美は、あの長秀の過去が気になるのか、次兵衛の肩越しに信長を見守った。




「部屋を覗いてもおらぬ。庭を見ると、なめくじを二匹並べてニヤニヤしておる男がおった。それが、こやつよ」


輝虎が呆れたような声を出した。


「ええ……」




「五郎左はわしに言った。『どちらかがなめくじ、どちらかが蝸牛(かたつむり)の成れの果てで御座る。さて、どちらがどちらでしょう』。わしは『わからぬ』と答えた。こやつは『でしょうね。某も目を離したらわからなくなり申した』と言った。わしは、底知れなさをこやつに感じ、わしの元に誘った」


信長は、ちらと長秀を見た。


「するとこやつ、『魂をくれたら家臣になる』と詰まらぬ冗談を言うので、わしも『死んだ後ならよい』と適当に答えた。こやつは『じゃあ、契約成立で御座る』と」


「おい!それって悪魔……」


青くなった輝虎が口を挟んだ。


「あ、あわわわ……」


希美は震えが止まらず次兵衛にしがみつく力を強めた。


次兵衛の肋骨がみしみしと音をたて、次兵衛は苦悶と幸福がない交ぜになった表情で、希美を抱き抱えたまま失神した。


流石、相棒(意味深)の鑑である。


弁慶の立ち往生もかくや、だ。




長秀は希美に向かって意味深に微笑んだ後、信長に言った。


「そんな十代の頃の戯れ言、今さら恥ずかしい」


「お主、なんでも出来るのに冗談だけは詰まらぬよの」


はっはっはっ、と、信長・長秀主従が笑っている。


輝虎は呟いた。


「本当に、冗談だろうな……織田家は化け物の巣窟かよ……?」


確かにそうだ。魔王の信長を筆頭に、悪魔疑惑の丹羽長秀、えろ神柴田勝家は鉄板だ。他にも、鬼を二つ名に持つものがちらほらいる。


RPGなら、勇者が退治しに来る面子である。






それにしても冗談でなければ、哀れ信長の魂は売約済みである。


恐怖に戦くもう一人の化け物、希美は益々手に力を込め、次兵衛は泡を吹いた。


次兵衛は希美によって魂を奪われそうだ。


希美の魂の搾取方法が物理に過ぎる。




次兵衛の魂がいよいよ搾取されようとしたのを止めたのは、同じく魂の被搾取仲間(疑い)の信長だった。




信長が、希美に人事異動を通告したのだ。






「ああ、忘れる所であった。権六よ、その方に越後一国を任せる故、責任をもって東を抑えよ」






希美は、思わず次兵衛から手を離し、彼の魂は搾取を免れたのであった。

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