第82話 えろは未来を変える

三月に入った。


えろ教使徒の奉仕活動により、各地では『柴田式(もしくは、『えろ式』)』と呼ばれる農法を試み始めていた。


そんな希望に溢れる百姓達とは裏腹に、岐阜城では織田信長が白目を剥いて固まっていた。






上杉から、首桶が届いたのである。






しばらく意識を飛ばしていた信長は、悲しいかな、流石に織田信長であった。


胃に優しい現実逃避からなんとか自力で脱け出し、ぶるぶる頭を振ると目の前の首桶を睨んだ。




「ど、どなたの首でしょう……」


小姓の佐脇藤八が恐る恐る信長に尋ねた。


あの上杉輝虎が態々送り付けてくる首である。


名のある織田家中の武士か。




表情をぴくりとも動かさない林秀貞が、首桶に添えられた添え書を読んだ。


「『越後を侵す悪鬼共を討ち取り候。我、仏道の守護者也』とありますな」


「悪鬼……誰じゃ?とにかく、開けてみよ」


信長が首桶を開けさせる。藤八が主に見せて良い相か中を確認し、一瞬動きを止めたが、意を決したように首台に載せていった。


取り出された首を見た信長等は、思わず言葉が出た。




「「「いや、誰じゃ、こいつ……?」」」




それはそうだ。


首は皆頭にふんどしを巻いている。顔の判別など出来よう筈もない。


だが、信長達にはわかった。


首が何者であるか。元凶が誰であるか。






「ぐ、ぐぉんろく(権六)を呼べええ!!!」




「ははっ、直ちに!」




主の怒り心頭の大音声に、佐脇藤八は広間を飛んで出た。


林秀貞は、眉間の高速もみもみが止まらぬ主君に、同情の目を向けた。








森部に急使がもたらされて後、希美は河村久五郎と、『上杉』と聞いて着いてきた信玄を連れて、急ぎ岐阜城に登城した。




そして、広間に足を踏み入れた瞬間、信長の豪速生首が希美の頭にクリーンヒットした。


希美は何かが頭にぶち当たった事はわかったが、それが何やらわからぬまま、何となく落としてはいけないような気がして慌てて抱き止め、腕の中の物体を認識するや、「ヒイヤアッ」と悲鳴を上げて河村久五郎に生首をパスした。




「散々首級を挙げてきた武士が何を今さら」という周囲の目を無視して、希美は信長に抗議した。




「首を投げるとか、馬鹿じゃないの?!イギリスサッカーの発祥といい、あんたら野蛮か!?」


「五月蝿いわ!!首を投げつけたくなるほどにはらわた煮え繰り返るわしの気持ちを、甘んじて受けとめよ!この大うつけがあ!!」


信長の血管が切れそうだ。


秀貞は冷静に希美達に促した。


「まずは、お三方共座られよ。話はそれからじゃ」






希美達が座した所で、冷静になれぬ信長の代わりに秀貞が話を進めた。


「まずは、事の経緯じゃ。今朝早く、上杉からその首共が送られてきた。添え書には、『悪鬼を討ち取った』とあった。お主、その首に見覚えあろう」


希美は、久五郎の持つ首と、首桶の横に並べられた首達を見た。


さっきは咄嗟の事で悲鳴を上げたが、希美とて武将である。転生してから後、合戦には何度も出て、首を取る経験もそれなりに積んできた。


ある程度の耐性はついている。




希美は眉根を寄せた。


「……誰ですかね?この首の人達」




「阿呆!ふんどしを巻いておるのに、誰かなどわかるか!ふんどしに見覚えがあろう、と申しておるのじゃ!」


信長が突っ込んだ。


希美はふんどしに刺繍された番号を見た。


「確かに、使徒の者達のようで御座る」


久五郎が、そっと丁重に、抱えた生首のふんどしを外していく。


「おお、北上村の和助ではないか」


久五郎が首の身元を割り出した。




そして、「御免」と信長等に断りを入れると、そのまま信長に見せぬよう、首の向きを変えて残りの首達のふんどしを外していった。


万が一凶相であれば、見た者に不幸が訪れると信じられていたためである。




「これは、為五郎。こっちは、与吉か。こちらは……」


久五郎は全ての首の名を知っていた。


「お師匠様、覚えておいででしょう?皆前年の降臨祭でお師匠様に直接お会いした使徒達です」


「そ、そうか……」


(全然、わからん。確かに言われてみれば、ふんどしのシリアルナンバーが200未満の者ばかりだわ。いや、そもそも、あの時皆ふんどしを巻いてたから、マジで誰か知らん……)


じっと首を見つめる希美に、久五郎が言った。




「皆、どこか穏やかそうな顔ですな……」




確かに、どの首も凶相ではない。恐怖や悔しさに食い縛りもせず、ただ両目を瞑っている。


久五郎は誰に聞かせるでもなく静かに語った。


「こやつ等はこうなる事を覚悟して美濃を出申した。いざ殺される時、恐怖も生きたいという気持ちもあったろうが、それでもえろを思うて死んだのでしょうな。えろを信じ、やりたい事をやって死んだ……」




希美は改めて彼らを見た。




えろを思うて死ぬって何なんだ。『えろ』なんて、現代じゃ『ろくでもないワード』上位ランクだぞ。


適当に語った言葉なんぞに命を懸けるって、本当に、何なんだ……!


希美は腹が立ってきた。




『えろ』はもう希美の知っている『エロ』じゃない。


『えろ』は、人が命を懸ける教えとなった。


正直、死んだのは知らぬ奴等だ。だが、えろ教徒だ。




(『えろ』に命を懸ける大馬鹿野郎共が信じた神は、この私だ!)








信長が、拳を握りしめる希美に鋭い目を向けた。


「この始末、どうつけるつもりじゃ」




希美は、視線を信長に移した。


信長は強い口調で希美を責めた。


「恐らくその首、上杉からの果たし状といった所か。その方は、自軍を危険に晒したのじゃぞ!」


希美は、鼻で笑った。


「危険?何もせずとも、危険に晒されるのが乱世で御座る。殿は、そんなものを恐れて、覇道を進まれるおつもりか?」


「ん?おい、今覇道って言ったか?」


何か信玄が喋っているが、空気を読んでほしい。




希美は信玄を無視して続けた。


「殿は、某の為した結果を危険、と言われる。だが、それだけではない筈。えろ教徒の行為を通して、えろ教や織田に好意的な国も増え申した」


「それは確かにそうじゃ」


信長は渋い表情で同意した。


希美は、手を広げて見せた。


「どうで御座るか?こやつ等が命を懸けて得たのが、他国と協調できる可能性。殿の覇道には、役に立ちませぬか?」


「使えますな」


黙って聞いていた秀貞が割って入った。


「他国から反発を受けながら京に上るのは、危険に御座る。えろ教徒が事前に地均しをしてくれれば、困難は少ない」


「京に上るって言ったよな。おいおい……わし、聞いて良かったのか?」


織田の機密情報が武田に漏れているが、希美達はとりあえず置いておいた。




「だが、上杉はどうする?!あれは手強いぞ」


信長の懸念に、希美は答えた。


「喰らいましょう、上杉を」


「喰らう……」


信長の喉がごくりと鳴った。


希美は目を細めた。


「他にも命を懸けて他国に行っているえろ教徒がおりまする。うちの可愛い信者を殺されていながら泣き寝入りなどしたら、他の地でもえろ教徒が侮られ殺されましょう。そのためにも、上杉は喰らわねばならぬ」




場が静まり返った。


あの大国上杉を、去年まで小国の大名だった織田が喰らう。


夢のような話に、織田の面々は呆けた顔をした。


希美とて、現実感は無かった。


1562年。上杉謙信もまだ三十代半ば。黄金時代という奴だ。


それをへし折る。


正統派のとんでもない歴史改変だ。


だが、希美はやると決めた。えろの神として、えろ教徒を守りたい。希美は、正しい歴史よりえろ教徒をとったのだ。






「上杉をやるなら、わしが共闘しよう」


静寂を破ったのは信玄だった。


「どうせ、美濃と越後は離れておる。あの馬鹿てるとらも、それがわかっていてお主らを誘い出そうとこんな真似をしたのだろうよ。だが、織田と武田が組めば、逆にしてやられるのはあちらよ」


信玄の言葉に、信長が頷いた。


「なるほどの。我らの共闘は織り込み済みというわけか。ならば、あの軍神の事じゃ。何か仕掛けをしておろう」


「左様。あれは陰険だからな。嫌な手を打って参る」


信玄も同意した。




(おうふ……武田信玄と織田信長が夢のタッグ!そして、対戦相手は上杉謙信とか、観戦チケット完売間違い無しのやつじゃん)


胸熱中の希美を信長が見て嫌な顔をする。


「おい!その方が撒いた種だろうが!他人事のような面をせずに、何か意見を言え!」




希美は、「ソウデスネー」と反省しつつ、ちょっと考えて言った。


「そういえば、上杉さん、今何やってんで御座る?」


ラフな武士語を使わせたら、馬ウェイク利家と良い勝負の希美である。




信玄と信長は顔を見合わせた。


信玄が懐手して顎を撫でながら言った。


「確か、まだ上野国に居ると聞いている。唐沢山城を攻めている筈だ」


「唐沢山が落ちれば、越後に帰るよな」


「そりゃあ、落ちなくてもそろそろ帰るだろ。わしらを攻めねばならんし、流石に国を空けすぎだからな」


(お前もなー)




希美はジト目で信玄を見、提案した。


「よし、信玄は、北条さんとまだ仲良いんだよな。ちょっと共同で、上杉方の城を攻めてくれない?」


信玄が驚く。


「は?急に?!」


「上杉が越後に戻ったあたりで北条さん家の近くの上杉方へ攻めてくれたら、色々こっちも準備ができるからさ、よろ!その代わり、甲斐にえろ教徒送ってバンバン棚田作らせるからさあ。頼むよお」




希美の無茶振りを信長が嗜めた。


「権六、無茶を言うな。戦の準備はともかく、共同で戦をするなら相手と連絡を取り合わねばならん。書簡のやり取りや使者を立てるのも、それなりに時間がかかるものだ」


希美は不満そうだ。


「えー!でも武田なら、歩き巫女とかいるでしょ?ほら、有名な望月千代女ちゃんとかにお願いしてさ、迅速にやり取りできないの?北条さんなら、風間小太郎君もいるから、お互いそういう人使ってさ……あれ?」




全員固まっていた。




いち早く石化から回復した信長が、挙動不振な動きをしている。


「わ、わしは何も聞いてない!聞いてないぞ!な、佐渡?」


「ははは、はて?何の事やらですなあ??」


(やだ、イモ……演技力イモ過ぎる!あの有能な林秀貞まで、だっさ!いや、案外ギャップ萌え……)




しょうもない事を考えていた希美は、突然信玄に頭を鷲掴みにされた。


信玄がギリギリと頭を締め上げている……気がする!と希美は思った。


希美は肉体チート持ちである。






信玄は希美の頭を締めながら、目を据わらせて詰問した。


「おーまーえーはー!何故そんな事を知っているんじゃあ!?」


「え?!あー、いや、有名だよ?みんな知ってるよ」


「み、皆じゃとお……!どこじゃ!それは、どこの情報……、どこ情報じゃあ?!!」


(これ、機密情報だったのか!どこって言われても……)


「え、えろ界……かな」


希美は、また適当をこいた。


「……」


「……」


「……どこじゃあ、そこはああーー?!!」




未来である。


信玄がいくら頑張ってもたどり着けない場所だ。




だが、その未来は変わろうとしている。


『生涯不犯』を誓った上杉謙信の未来は、『えろ』に狂わされていく。


運命とは、皮肉であった。

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