第46話 女子会は男子禁制である
「のう、柴田殿。三日後の歌会に、こちらの打ち掛けとこちらの打ち掛け、どちらが合うかの?」
品の良い調度品に囲まれた部屋で、少しつり目がちの意志の強そうな目を持つ華やかな美人が、二枚の打ち掛けを侍女に広げさせ希美に尋ねている。
希美は打ち掛けの美しさに忘れかけていた女心をぶん殴られながら、コーディネートに頭を悩ませていた。
「そうですな……本来なら、先取りで少し後の季節の柄を着るのが定石なれど、歌会はその季節を詠むもの。ならば、こちらの青海波紋に花菖蒲がよろしいかと。もうすぐ美濃攻めも始まりますし、菖蒲が勝負に通じまする。また、濃の方様は冬に属する色味を持つお方。こちらの打ち掛けの薄い紫は、お方様の美しさを引き立てまする」
美人は濃の方と呼ばれる信長の正室である。希美は、椿油と馬油の納品に清洲城を訪問し、濃姫に捕まったのだ。
「なるほどの。良い見立てじゃ。まさか柴田殿がこれほどまでに女の世界に精通しておるとは、思ってもみなんだわ」
ほほ、と笑う濃の方に、部屋にいた別の美女が同意した。
「本当ですわね。女を美しくさせる術に長けておりますし、人を季節に見立てる事で似合う色がわかるなど、女として柴田殿の知識は勉強になりまする」
涼しげでいて柔らかな瞳をしたエレガントなその美女は、信長の側室、商家出身の生駒の方である。
「柴田殿の椿油は、本当に髪を艶やかにしてくれます。私は髪が多く纏まりにくいので、重宝しているのです」
さらに、別の美女が希美に話しかけた。
深く透き通る深淵の森のような眼差しを持つ穏やかな雰囲気の美女だ。
彼女は信長の馬廻衆である塙直政の妹で、常陸の国に縁のある事から常陸殿と呼ばれている。当然信長の側室である。
(もげるがよい、織田信長よ……)
こんな美女達を侍らせて、更に数多の美少年にまで手を出すとは、猿呼ばわりされて然るべきは秀吉ではなく信長だろう。
ただ、浮気性な信長にイラついているのは関係ない希美くらいで、信長の室である美女達は特に気にしていないようだ。
彼女達にとって、武将である夫の男色は゛別腹゛扱いだ。むしろ、上司と部下のコミュニケーションくらいにしか思っていない。そういう時代なのだ。
『今日は飲みに連れていってやる』感覚で、上司と部下が男色コミュニケーションで仲を深めるなど、正直尻がいくつあっても足りないだろう。現代の感覚が抜けない希美にとっては、とんでもない話だった。
「そういえば、先日殿がまたお徳に乳を吸わせたのですよ!」
「「ええ!!またで御座いますか?!」」
濃の方は眉をひそめて嘆息した。
生駒の方と常陸殿は呆れ顔だ。
希美はそっと、目を逸らした。
濃の方が怒気をはらんだ声で言った。
「まったく、気持ちの悪い!あれほどお止め下さるよう申しましたのに……乳母の目を盗んでやっている所を私が見つけたのですよ。男が乳を吸わせるなど、何を考えておられるのか」
なるほど、現行犯逮捕だったようだ。
生駒の方が冷ややかに言う。
「そのような悪戯をする乳首など、切り落としましょう」
「そうですわね。私、ちょうど小刀を研ぎに出したのが戻ってきたばかりですの」
「まあ、常陸殿、大事な小刀が汚れますよ。私がねじ切りまする」
(の、信長、超逃げてーーー!!)
妻たちが恐い相談をしている。
信長に『パパ乳』を唆してしまった希美は、震えた。
以前馬油の報告の際、希美の言葉で男親の授乳(乳は出ない)に興味を持ってしまった信長は、すぐに実行に移した。
そして、濃の方を始めとした妻達にこっぴどく叱られた。
だが、彼は気付いてしまった。
芋虫の如くもぞもぞと自分の乳首を懸命に食む、我が子の極限の愛らしさに。
「わしはお徳をどこにもやらん事に決めた」
ある時、真顔で信長は、希美に告げた。
「娘を行かず後家にすると?」
希美は冷たい眼で信長を見た。
「その方、室等と同じ事を申すな……だが大丈夫だ。婿を取る」
(ああ、そういえば、徳姫は徳川家康の長男の松平信康と結婚して、嫁姑戦争勃発。旦那とも冷え冷えで、信長に泣きついて旦那と姑を殺すんだっけ。……よし、信長の親バカ化は結果オーライだ。婿カモン!)
「お徳をわしの後継ぎにすれば……」
「NOOOOぉぉぅ!!織田家が混乱するだろ!絶対に、やっちゃいけないやつ!!」
「うう……、しかし、お徳を嫁にやりたくないのだ……」
「家臣の誰かに嫁にやれば、すぐ会いに行けるでしょ!」
「おのれ、許さんぞ、家臣ども。わしの可愛い娘を……」
「落ち着いて、殿!一体どうした?!」
「お徳がの、わしの乳を懸命に吸うのよ……その愛らしい姿を見ると、胸がきゅうっとなっての……」
(わかる、わかるよ、信長。だが、気持ち悪いぞ!)
「愛しさでたまらなくなるのじゃ。ずっとわしが守りとうなる。これが、母の愛なのじゃな」
信長は、はにかんだ。希美の眼には、信長がずっと幼く少年のように見えた。
「わしにも、初めて母の愛がわかった……」
希美は、その時の気持ちをよく覚えている。
暴力的で、我が儘で、目立つ事が好きで、人妻や年上好きで、意外に愛情深い独裁者。
(愛情不足……信長は、寂しかったんだな)
信長が母親の土田御前と不仲である事を希美は知っていた。
母の愛が、欲しかったに違いない。
が、与えられず、ここまで来た。
(信長は、母親体験で欲しかった母の愛を感じる事ができたのか。自分が得られなかった分、徳姫を愛する事にしたのかもしれない)
希美は、信長を抱きしめて甘やかしたくなった。
しかしそれは、今は信長の妻達の仕事だろう。
そして現在、愛を求めて母になりきり過ぎた信長は、本来なら愛されるべき妻達から血も凍る仕置きを受けようとしている。
(気持ちはわかるけど、妻が嫌がってるのに、やっちゃいかんでしょ)
希美の友人も以前、希美にこんな愚痴をこぼしていた。
「実家に子ども預けたらさ、子どもがぐずった時、お母さんが乳を吸わせてたらしいのよ。本当に気持ち悪いんだけど!ばば乳は許せん!」
実母ですらこの言われ様なのだ。
(信長よ、お父さんは尚更ダメだ。いい加減お前が卒乳しないと、愛想を尽かされるぞ)
「乳と言えば、『おちの方』です。殿は子に乳をやる乳母をあっという間に側室にして……」
「御義父上様も、殿の乳母を側室に……」
「御父上様も、側室が山ほど……」
「血は争えませぬ。もしや御父上様も、赤子の殿に乳を吸わせたのでは?……」
ほほほほほほ……
女達の笑い声が響く。
既婚女性が集まると、旦那の愚痴で盛り上がるのは、いつの時代も同じだ。
信長のお父さんが少し可哀想だが、駄目男の扱き下ろしだって女子会の醍醐味である。
基本、男子禁制だから、扱き下ろし放題フルボッコ状態だ。
(なんで男の私が参加できてるんだろうなあ)
もう四月も終わる。
五月十一日が、Xデーだ。
華やかで毒を持つ女子会とは対照的に、男達の血と汗と泥にまみれた命懸けの宴は、これから始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます