第30話 魂六さん、気張る
「権六、わしも髭を無くしてみたのよ。良いものだの、飯が髭につかぬ」
「権六殿、某も髭を剃り、髪を伸ばしているのです。妻に十は若返ったと褒められましてな」
「権六は髭をどう処理しているのだ?剃るのか?抜くのか?」
「柴田様、ずっと好きでした」
「権六……」
「柴田殿…」
「権六殿…」
「ごん…」
(あーーー!権六、権六、うるせえ!さっきからひたすら呼び止められて、髭と月代の話ばかり。完全に、柴田勝家は『髭剃りのパイオニア』で後世に語り伝えられる事決定だわ。後、誰だ、どさくさに紛れて告ってきた奴は……)
評定を終えた希美は信長の居室へ向かっていた。
信長が希美に話がある、と呼んだのだ。
ちなみに信長の正確な言葉は、こうだ。
「ぐぉんろくぅ!!聞きたい事がある!後でわしの部屋に来い!いいなぁ!?」
どチンピラの言だ。
これが評定の締めの言葉なのだから、織田家の会議は世紀末過ぎる。
秀貞が「気張られよ」と希美を励まし、政務に戻って行った。流石、謀反仲間である。信長とこれから一戦交える希美の姿に、かつての自分を重ねたのかもしれない。
それにしても、「権六」「権六」と呼ばれ続け、希美はうんざりだった。
(権六って名前、本当に可愛いくない!何だか男臭くて、ダミ声で、ゲジ眉のイメージだわ《希美の個人の感想です、権六さんがいたらごめんなさい大好きです》)
希美の脳裏にかつての親友の言葉が蘇った。
「ゴキブリって、何であんなに嫌なのか考えたんだけど、原因は『ゴ』キ『ブ』リの濁点だと思う!濁点がつくと、可愛さがなくなるのよ。よって、私は今日からゴキブリを『ルンルン』と呼ぶ事にします!」
(あの時は、何言ってんだこいつ、と思ったけど、今ならわかる!たぶん濁点が戦犯なのよ。『ごんろく』じゃなくて『こんろく』なら、なんか可愛いんじゃないかなっ。漢字は……、魂六とか中2っぽさが何とも良い!柴田魂六勝家、いいじゃん!黒い着物着て、霊力でできた刀持ってそう)
希美は怒れる魔王の部屋に向かうプレッシャーも手伝って、思考が暴走していた。
『柴田魂六勝家』になど改名した日には、信長から髭を消し去った以上の大惨事な歴史改変となるだろう。
そんな事を考えているうちに、とうとう希美は魔王の部屋に着いてしまった。
平静を装い、声をかけた。
「殿、柴田魂六勝家、参りました」
うっかり間違えてしまった。
「遅いぞ!!」
信長はイラついている。もう声でわかる。
小魚食ってろ、希美は軽く毒づきながら部屋に入った。
そこには信長の他、丹羽長秀、滝川一益の姿があった。皆髭が無いので、素敵な若いお兄さん達だ。ただし、月代を止めてまだひと月ほど。伸びかけた髪が面白い事になっている。
しばらくは眺めて楽しめそうだ。
希美が座ると信長は短く言った。
「全て申せ」
「へ?」
「末森で起きた事、全て申せと言っておるのじゃ、このうつけが!!」
間抜けな声を出した希美に信長の癇癪が破裂した。
希美は末森での生活を思い返しながら、話す事にした。
「ええと、末森に帰ってすぐ、坊丸君の親分になり申した」
「……ほう」
信長が意味のわからなそうな顔をしているが、突っ込まない所を見ると、そんなに関心は無いようだ。希美は続けた。
「盗賊団も捕縛致しました」
「うむ」
「堺の天王寺屋助五朗と申す者と縁があり、文通を始めました」
「……ううむ」
信長が唸りながらしきりに目頭を揉んでいる。
(疲れ目かな?)
「ああ、先日湯殿で女間者に襲われましたな。依頼した者は巧妙に隠されておりましたが、まあどこかの反織田勢力でしょう」
信長の眉間の皺が深い。
「……それだけか?」
「それだけで御座るな」
信長の問いに、希美はきっぱりと言い切った。
途端、信長が吠えた。
「大馬鹿者!!」
障子が震えた。
「まずは天王寺屋の件よ。何故天王寺屋と繋がりを持とうと考えた」
信長の言葉に希美は考えた。
(まあ押し売られた結果なんだけど、堺は海外とも繋がりがあるし、欲しいものが手に入りやすいをんだよねーつまり……)
「利が、あるからに御座る」
「その利とは何じゃ」
「ここでは手に入らぬものが、手に入りまする」
「それは何じゃ」
信長の目が自然厳しくなる。信長とて堺に国内海外様々なものが集まる事は知っている。
今の自分ならば、鉄砲か、玉薬か、はたまた海外の未知の知識か。
この乱世で生き抜くためには力が必要だ。それが堺で手に入るだろう。しかし、頼りきれば商人に逆手に取られ、自分が商品となるのは目に見えている。
しかし希美は、ずれていた。
「食材に御座る!」
「「「は?」」」
信長だけでなく、その場にいた二人も目が点になった。
希美は気付かず、この時代にあるものでどこまで調理できるか想像していた。
「やはり小麦粉。小麦粉があれば、色々できそう。砂糖もいいかな。あ、芋!じゃがいもは汎用性高いからな!苗とか種とかから欲しいなあ」
信長は未知のものを見るような目で希美を見た。
「な、何で、食材?」
「上手いものを食べたいで御座る!!」
平成の世に比べ、食材が無さすぎるのだ。
上手いものを食べ慣れた希美にとっては当然の希求だった。
信長は脱力しながら、呟いた。
「鉄砲や具足ではないのか」
希美は少し考えて言った。
「どうしてもの場合は仕入れまするが、なんせ堺の商人はどこと通じているかわかりませんからなあ」
希美は営業時代、先輩に教えられた言葉があった。
『営業で話す内容の8割が雑談、2割が商談』
雑談ができてこそ、営業。ただしその雑談も、相手が興味を持つ事でなければならない。そこでわりと活用されるのが、同業他社との雑談で出た話題や差し障りない程度の他社の話だったりする。
(この時代なら、差し障りあり過ぎる情報を茶席などで手土産に話されそうだよなあ)
いまいち商人を信用しきれない希美の危惧が、この事だった。
信長は、失われたと考えた勝家の知謀が、そのうつけぶりで見えにくくなっていたと理解した。
(これならば、将として使えるやもしれぬ)
しかし、うつけの部分が不安材料か。
この時信長は、信長派の筆頭家老でありながら弟の信行を擁立した林秀貞の気持ちを痛いほど理解したという。
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